彼は本当に人間なのだろうか、とふと思った。 いや、実際に普通のどこにでもいる男の子なのだが、今まで私が出会ったことのないタイプの人間だった。去年から背がぐんぐんと伸びてあっという間に私を追い越してしまった竹谷は、大雑把に言うならば『優しい』。 「一人で泣くなよ」と竹谷は言ってくれる。どうしてだろう、どうして彼は私が泣いていることに気づいてくれたのだろう。 いつもそう。いつも逃げた毒虫ばかり追いかけてるくせに、私が傷ついて落ち込んでるときに限って竹谷は私に構うのだ。「どうした」「何があった」とは一言も口にせず、ただ黙って隣にいてくれる。「なまえ」と優しい声で名前を呼んで、腫れ物に触れるかのように頭を撫でてくれるのだ。 「なまえ」と呼ぶ声がとてもとても優しくて、それは幼子に言い聞かせるような春のひだまりのような暖かさをもった声だった。その声に、私はいつも泣かされるのだ。 ああ、ああ、竹谷。君はどうしていつもそうなのかな。どうして私をいつも甘やかすの。そう言えば竹谷は「そんなことない」と凛々しい眉毛を困ったようにハの字にさせて言うだろう。彼は無意識なのだ。彼は他意なく人に優しくできる。
「竹谷、竹谷」 「ん」 「どうしてそんなに優しくしてくれるの」 「優しくないさ」
背中越しに竹谷は笑った。ぴったりとお互いの背をあわせ、私は少しだけ体重を傾けた。全くビクともしない。
「優しくなんてない」
ぽつり、と天に唾を吐くように竹谷は呟いた。何故だか自嘲しているように聞こえたが、私はとうとう尋ねることが出来なかった。不意に柔らかい風が吹き、蒸し暑さがほんの少し和らいだ。そっと目を閉じれば、瞼越しに光る夕焼け、ひぐらしの鳴き声、竹谷のにおい。竹谷からはいつも自然の香りがする。それは草だったり土だったり動物だったり、或いは竹谷自身の匂いだったり。その匂いに私はどうしようもなく胸が苦しくなるのだ。 ねえ、たけや。心の中でそっと聞こえないように囁いた。 あなたは誰にでも優しいから、きっと私にくれた優しさを忘れるのでしょう。舞い落ちる花びらのように忘れるのでしょう。
「なまえ」 「なあに」
もぞりと竹谷の背中が動き、私は名残惜しく離れた。竹谷は私のほうに体を向きなおして、傷だらけで骨ばった指で、私の頬を掠めた。「お前に泣かれると、俺はどうしたらいいのかわからなくて、何も言えなくなるんだ」
「泣くなとも言えない俺は、優しいっていうより情けないよな」
ねえ、お願いよ竹谷。これ以上優しくしないで。本気で好きになってしまうから。
少女の病に春はくるか 20120630⇒back |
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