dream | ナノ






 就職のためにはるばる一人、田舎から上京してきた私は人の多さに目を白黒させていた。ぎゅうぎゅうになりながらも電車に乗り、人の荒波に流され、気がつけばどこだかわからない場所に立っていた。

「こ、ここどこ……」既に涙目である。右を見ても左を見てもビル。人。標識。人、人、人――田舎から出てきたばかりの私には、都会人に道を尋ねるなんて真似はできなかった。だがこのままでは陽が暮れてしまう。暗くなる前に引っ越したマンションへと……辿り着けるだろうか。

「あんたさ、もしかして迷子?」

 その時だった。突然背後から声をかけられ、私は咄嗟に振り向く。するとそこには長身の男性がダルそうに立っており、視線は私に注がれている。「えっ、な、何故それを!?」至極当然な私の質問に、男性は飄々として「上京してきましたと言わんばかりの田舎者オーラだったから」と言った。

「し、失礼にも程がありますよ!」
「あ、そう? ごめんねー」

 気の抜けた返事である。というかむしろ、謝る気がないのに謝られるのが一番むかつくのですけれど。私が必死で怒りを押し殺していると、男性はくぁ、と一つ欠伸をして「どこ行きたいの」と手を差し出した。

「え」
「ほら、地図あるでしょ」
「あ、はい。えーと確かここに……」

 コートのポケットに入れておいた住所が書かれた紙を差し出すと、男性は「すぐそこじゃん」と右の方角を指差した。「ここから二つ目の信号を左に曲がって――」

「俺ん家もそっちだから連れてってやるよ」
「え、え!?」

 両手をポケットに突っ込んで歩き出す男性に、私は状況が飲み込めずわたわたと辺りを見回してしまった。すると男性に「早く来る」と怒られてしまい、私は重い荷物を持って早足で男性の後に続いた。

「ほら、ここだろ」男性が言った通り、本当にすぐ近くだった。私は自分の方向音痴っぷりに小さくなりながらも、男性にお辞儀をする。「ありがとうございました……」

「ん。今度は迷わないようにね」
「次からは迷いません!」

 真っ赤になって否定すれば、こえーと笑われてしまった。どこまでも人を小馬鹿にした態度の人だ。都会ってやっぱり変な人が多いのだなぁ、と小さくなる男性の背中を見送りつつふと思い出した。

「そういえば、名前聞くの忘れた」

 なんだか少し、勿体無いことをした気になった。


***


 上京してから数ヶ月経ったが、特にこれといって変わったこともなく平穏に日々を送っていた。道に迷うことは……まあ、少なからずあるが。

 道に迷うといえば、あのとき助けてもらった男性はどうしてるだろう。強烈な出会いと失礼な言動のせいか、私は彼のことを未だに覚えていた。思い出せば結構格好よかったかも……いやいや、思い出は美化されるっていうから実際そうでもなかったかも。私も若干失礼なことを考えつつ、目的地であるコンビニの自動ドアをくぐる。「いらっしゃいませ」という店員さんの声を聞きつつ、私は棚からタマゴサンドとドクターペッパーを取る。デザートコーナーに目がいくが、ここで買ってしまったら太る……! と自分に言い聞かせて泣く泣く諦めレジへと進んだ。

 会計を済ませ、出ようとしたときに雑誌コーナーへと目が移る。何気なく目の前にあった新聞を取れば、そこには一面に「達海猛」という名前がデカデカと表記されてる。そして本人であろう写真を見て、私は言葉を無くした。

「う、うそ……」そこに映っていた「達海猛」こそ、あのときの男性だったのだ。新聞に載る彼はサッカーのユニフォームを着て、仲間たちからもみくちゃにされながらも笑顔でガッツポーズを取っている。きっとゴールを決めたのだろう、と記事を読まなくても察しがついた。というより、新聞でこんなに堂々と扱われるなんて――。

「あの時の人、実はすごかったんだ……」
「そうでもないよ」
「人って見かけによらないですよね、あんなヘラーッとしてた人が……」
「ヘラーッとしてて悪かったな」

「え?」自分は一体誰と会話をしていたのだ。跳ねた心臓を抑えつつ背後を見遣れば、数秒前まで凝視していた顔。「え、え、ええっ!?」今度は口から心臓が飛び出しそうだった。

 思わず新聞と目の前の人物を交互に見ると、「そんな薄っぺらな紙よりも、実物のほうがずっと男前だろ?」と男性――「達海猛」さんはニヒーと笑った。

 写真とは真逆の笑い方をする「達海猛」さんに、私は思わず「そうですね」と言って笑ってしまった。


 それが切欠だったのか解らないけれど、私と達海さんはしょっちゅうどこかしらでバッタリ出くわすことが多くなった。最初はお互いに驚いて「偶然ですね」なんて会話を交わしていたものだけれど、何回も続くと流石の達海さんも「またか」と苦笑したものだ。その顔に不快が混じってなくてホッとした。

 同い年ということもあって、私は達海「さん」じゃなくて達海「くん」と呼ぶようになり、達海くんは私を「苗字」――次第に「なまえ」に変わっていた。私はそれに気づいていたけど、敢えて気づかないふりをした。達海くんはちょっと照れ屋なところがあるので、下手にイジッたら臍を曲げてしまうからだ。拗ねてずっと苗字で呼ばれるよりも、名前で呼んで欲しかった。

「なあ、カレー食いたい」
「シーフードカレーでいい?」
「えー、普通のがいい。普通のカレー」

 そう言って唇を尖らせる達海くんが可愛くてちょっと笑ってしまうと、ムスッとした達海くんに小突かれてしまった。けれど私はますます笑った。まるで恋人のようなやり取りだが、私と達海くんの間には何もない。好きだ、と言われたことはないし、言ったこともない。けれど彼はいつでも傍にいてくれたし、こうやって時々私の元へ夕食を食べに来る。私はその関係に、とても満足していたのだ。

 今考えれば、なんて愚かだったんだろう。


***


 テレビで日本代表エースと紹介されてから、達海くんの人気や知名度は広まっていった。前々から何をやらせても目立つなぁ、と思っていたら目立つどころの騒ぎじゃなくなってしまった。

 達海くんがすごいのは知っていた。前に、誘われてサッカーを観戦しに行ったときもサポーターの人たちに達海くんがどれだけすごいか力説されたのを覚えている。そのときのおじさんの顔がとてもキラキラと輝いていて、ああ、愛されてるんだなと私にも伝わってきて暖かい気持ちになった。自分のことじゃないのに嬉しくなるなんて不思議だ。

 会える時間がなくても、達海くんが元気にサッカーをやっているという事実だけで、寂しさは紛れた。このときだけは。


 それから暫く後、達海くんが代表収集を怪我で辞退したことを知った。不調が続いていたことは気づいていたが、まさか怪我をしてしまうとは。私はすぐさま達海くんに連絡を取ろうと――して、停止した。

 電話してどうするの? 「大丈夫?」なんてありきたりな言葉をかけるの? その言葉を、果たして彼は欲しているだろうか。

 携帯を握り締めた手に自然と力が集まる。どうすればいいのかわからない。どうすれば、どうして、どうして何も言ってくれないの。

『走れ! 誰よりも速く!』つけっぱなしのテレビから、もう何度も見たコマーシャルが流れた。『駆け抜けろ!』ああ、達海くんだ。『何処までも遠くへ!!』最後に会ったのいつだっけ。最後に声を聞いたの、いつだっけ。

「遠い、なぁ……」

 ねえ、達海くん。私バカだから何か言ってくれないとわかんないよ。そんなに我慢強くもないよ。くるしいよ。――私たち、住む世界が違いすぎるよ。


 達海くんから連絡を貰ったのは、「達海猛の復帰戦」と騒がれた試合のすぐ後のことだった。




「あ、いた」

 久しぶりに聞いた緊張感のない声に、無意識に強張っていた全身から一気に力が抜けた。

「何でうな垂れてんの?」達海くんは首を傾げてベンチに腰掛けた。ちょうど拳一個分くらいの距離だ。

「いえ、別に……」私は乾いた笑いを浮かべ、達海くんをちらりと横目で見遣った。テレビで見てたけど、やっぱりなんかちょっと、違うなぁ。何が「違う」のか説明出来ないが、出会った当初の達海くんと比べれると今の彼とは何かが違った。達海くんの横顔をじーっと見つめてると、「なに」と気になったのか達海さんがこちらを向いた。「見惚れてた?」

「うん。実物のほうがずっと男前なので」

「だろ」ニヒーと達海くんが頬を緩めた。なんだか出会った頃を思い出してしまい、私はつられて吹き出した。

 目の前のフェンスを挟んだグラウンドでは、小学生のチームだろうか。赤と青のユニフォームがキャアキャアと声を上げてボールを取り合ってる。両方のチームとも同点で、残り時間もあと少ない。いけ、そこだ、決めろ! ベンチからは監督やチームメイトが大きな声で応援している。「明日は全員声ガラガラだろうな」と達海さんは柔らかい笑みを浮かべて言った。「そうだね」相槌を打つと、しんと沈黙が降りた。

 不意に、沈黙を破るように達海くんは私の手を握った。握ったというよりも、手の甲を優しく覆うといったほうが正しいだろうか。達海くんのゴツゴツした手をじっと眺めた後、ゆっくりと視線を上げる。

「イングランドに行くことにした」

 ぱちり。視線が交差すると同時に、達海くんはタイミング良く口を開いた。

「そう、」電話では『話がしたい』とだけ言われた。けれどその時点で、私はなんとなくこうなることを予想していたんだと思う。自然と笑みが零れた。「いってらっしゃい」

 あっさり返されたそれに、達海くんはちょっと拍子抜けしたようだった。「他に言うことねえのかよ」私はこんな達海くん珍しいなぁと観察しつつ頭を捻った。

「えーと……パスポートは無くさないように気をつけてね」
「……」

 私の答えが気に入らなかったのか、達海くんは深く溜息を吐いた。失礼な、と怒ると達海さんは「悪い」と全然反省してない顔で謝った。なんだろう、このデジャヴ。悪いと思ってないのに謝らないでと言おうとして口を開いたら、オレンジ色の光に目がくらんだ。ああ、もう陽が暮れてしまう。

「そういえば、初めて会ったときもこんな夕焼けだったね」
「お前、大分田舎臭さが取れてきたな」
「うるさいなぁ」

 ふいっとそっぽを向けば「怒った?」と楽しそうな声の達海くんが尋ねてくる。敢えて無視すれば、ぎゅっと手を握る力が強まった。いつもどおりのやり取りが、今日で最後。私はゆっくりと前を向いた。ピーッ。試合終了の合図が響く。

「なあ、泣かないの」
「泣かないよ」

 泣くわけがない。だってこうなったのは、私の責任でもあるから。

 結局私は、達海くんに甘えていたのだ。他の人たちと同じように。達海くんは私が一歩を踏み出すのをずっと待っててくれた。その気になれば私の背を押すことだって可能だっただろうに、敢えてそうしなかったのは私を試していたのだろう。達海くんは待っててくれたのに、私は逃げてばかりだった。達海くんはずっと弱虫な私に歩幅を合わせて隣にいてくれたのにそれが当然だと勘違いしてしまった、なんて愚かなこと。

 さあ、いい加減この人を解放してあげよう。

「もう無理しちゃだめだよ」

 小さく、彼にだけ聞こえるように呟いた声は震えていた。達海くんは返事をする代わりにさらに強く強く手を握ってくれて、その暖かさに胸が苦しくなった。達海くんはじっと前だけを見ている。私はその横顔を、いつまでも見ていた。

 いつまでも、見ていたかった。




二人のストーリー
20101107⇒
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