あれは幻かそれとも、自らが作り出した幻影なのか。
海でおぼれたあの時の、耳の奥で水の音がなっていた時のことを薄ぼんやりと思い出す。
目の前は薄い青青青青青。こぽこぽと音が鳴り、口から洩れる空気は自分の命が残り短いことを示すように徐々に小さくなっていって。空気が得られない苦痛、自由に動けない悔しさ。もがき苦しんで意識が消えそうになった時、
そんな時、不意に後ろから抱きしめられた。

その感触は、今でも忘れられない。

「…ひさしぶりに、行ってみるか」

あれは小学校三年生の夏、家族旅行で海に出かけた時のことだった。自身が溺れるという事件があってからはその海はもちろん、プールや果ては学校の水泳の授業さえやらせてはもらえなかった。まず自身の家のお風呂ですら危惧されていた。
家族は心配性に過ぎる、けれど死にかけたのだからそれも仕方がないと納得も今ではしていた。
あれから八年。自分は十七歳になり、高校に入ってからの授業の水泳で泳ぎも克服している。その際周りからは水は怖くならなかったのかと聞かれるが、不思議と嫌いではなかった。むしろ好きな方である。
こぽこぽと耳の奥で水が鳴る感覚、それからあの優しい体温。
今は冬で、人もいないし海に行くのは丁度いいだろう。思い立ったが即行動、それが自分の指針である。
立ち上がって、財布を握りコートを羽織り海に向かうことにした。

電車に揺られ、一時間。そこへは簡単に着いた。記憶の地名をたよりにやってきたが、案外来られるものである。記憶力万歳。
そこはやはり冬というシーズン外の季節であるからか、人もいなくて酷く寒々しい印象を受ける浜辺だった。
あまり広くはなく、しかし砂は白く美しい。この地元の人のみぞ知る浜辺といったところで、それを両親が知っていたのは友人にでも聞き及んだのかもしれない。

「…さむ。」

マフラーで口元を覆うように首をすくませる。寒いのは好きな方だが、それでも寒いものは寒い。両手もコートのポケットにいれ、浜辺を散策する。ああ、もう少し温かい恰好をすればよかったな。中が学生服ではあまり防御機能を果たしてはくれない。今日は午前中に少々学校へ赴かなくてはならない用事があったので、学生服だった。まあ学生服って選ばなくてよくて楽だから好きだけど。
そんなとりとめもないことを考えながら歩く砂浜は、時折懐かしい記憶をよみがえらせてきていた。
ああ、確かここで妹が転んだんだっけ、とか。このあたりで砂浜をひたすら掘っていたな、とか。
―――このあたりで、溺れたな、とか。

ごつごつした岩がところどころに海面に出ているあたり。確かここらから海に入り、潮に流されて岩の影の水深の深いところに行ってしまい溺れたんだ。
水の音、息が水へと逃げていく音、もがいてももがいても消えない苦しさ、近づかない海面。それから青。
今思い出しても少し背筋が寒くなるが、死にかけたという言葉ほどの恐怖感は訪れていない。
きっと、それは。

「………あ、」

この目の前にいる、彼女のおかげなのだろう。





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