ねぇ、ユリ。聞こえているかい?あの日々は、夢の様な時間だったね。
なによりも大切だった。だから僕は、必ずなしとげてみせるよ。
君の笑顔をもう一度、幸せに思い出すためにね。

「一緒に行こう」

それが、君への愛になれるなら。
それが、僕の償いになるのなら。


1ハロー、聞こえているかい?


痛みで、目が覚めた。ゆっくりと重い瞼を開くと、白い天井が歪んで見えた。同時に鋭い痛みが側頭部を突いて、思わず呻く。低い声が微かに部屋に響いた。

「……っ、ここ、は…?」

右手で痛みを訴える頭をさすりながら、フルギは身体を起こした。どこかの床に転がっていたようで、背中や腰までも鈍い痛みを訴えている。
目を閉じ、またあけて、閉じて。瞬きを何度か繰り返して、ようやく周囲の景色が歪まなくなった。
フルギが倒れていたのは、少し古いが調度品はしっかりとした、洋館の一室のようだった。
一体ここはどこなのだろう。まったく見覚えのない場所に、フルギはいた。
わずかにフルギの重さにみしりと音をたてるフローリングの上に立ち上がり、部屋を見渡す。
クローゼットが一つにベッドが一つ、それからドレッサー。
窓に近寄り、外を見渡したが一面森が広がっていて、ここがどこなのかは一切わからなかった。

「どこなんだ、ここ」

まったく見覚えが無い。そもそもここに来た記憶が無い。
覚えていることと言えば、大学から家に帰宅していたところまでだ。そこから記憶が飛んでいるということは、もしかして自分は誘拐でもされたのだろうか…。
目が覚めたと思ったらこれだ。一体自分の身になにが起こっているのか、フルギはまるで分からなかった。
仮に、仮にだ。もしも自分が誘拐されているのだとしたら?男子大学生の上に、金持ちではない、いやむしろ貧乏な自分を浚うメリットなど一切思い浮かばないが、もしそうなのだとしたら。
ぞわり、背中に怖気がはしった。慌てて体を手で触りながら確認、体にはなにもなさそうだ。財布などはとられているようだが。
少なくとも寝ている間に何かされているということはなさそうだった。
なんとなく恐くて、そっとドアの方をみつめる。
木製の少し重そうなただのドアだ。持ち手が金色に鈍く輝いており、掃除が行きわたっていることが窺えた。そこから誰かが、もしかしたら犯人が入って来るかもしれない。
そんな半分妄想じみた恐怖をフルギは感じながら、まずは部屋を物色してみることにした。ドアの外にはすぐに犯人がいるかもしれない。
もし部屋の中に何かあるのなら手に入れておきたかった。
クローゼットをあけると、驚くほど中にはなにも入ってはいなかった。
ただここも埃や汚れはなかったので、最近まで使われていたか、掃除をされているかのどちらかだろう。クローゼットを閉め、ドレッサーに近づいた。
どこかに武器になる様なものがあると安心なのだが、この様子ではそれも望めそうになさそうだ。少し落胆しながら、ドレッサーの鏡を覗き込む。
こちらも綺麗に磨かれていて、フルギのこげ茶色の髪の毛と薄緑色の瞳がはっきりと映し出された。その顔は非常に血色が悪かった。
ここに連れて来られるときに、なにか薬でものまされたのかもしれない。深い溜息をついてから背後のベッドへと振り返る。もうあとはこれくらいしか調度品はなかった。
近づいてみると、真っ白で美しいベッドだ。そしてふと、気が付いた。

「…これは?」

白いシーツの上に、これまた真っ白の封筒が置いてある。横型の封筒だ。
手に取りながらベッドに座り、封筒をひっくり返してみる。裏側にも、何も書いては無かった。数度ひっくり返してよく観察してみたが、やはりなにもない。
しかし少し振ってみると、小さな重い物が入っているようだ。指先で触れてみるとゴツゴツしている。
あけてみるか。ペーパーナイフなどはないので、窓際で日に透かしながら中身を破らない様に慎重に指先で封筒を裂く。
中には、便箋と鍵のようなものが入っていた。封筒をかたむけて手のひらの上に乗せたそれは、かなり古びた形をしており、鍵の先は所謂鍵穴といったまると四角を組み合わせたような形をしていた。もしやと思いドアの方をみると、やはり鍵穴の様なものがみえた。試していないから分からないが、この部屋の鍵なのだろう。

「……は?」

つづいて便箋をひらいたフルギは、思わずそう呟いていた。そこには、こうつづられていた。

『ここから出られるのはただ一人』

たった一行、パソコンで打たれた文字が記されていた。便箋には、百合の模様が薄く記されている。
上品なその便箋に、たった一行のその言葉は異様に不気味に感じられた。

……ここからでられるのはただ一人。

「俺以外にも、誰か、誘拐された人がいるってことか…?」

フルギは便箋を握りしめながら、ドアに向かって歩き始めた。



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