「た、大変だ……」

「は?」

「どうしよう葉乃!!」

「何が?」

「あたし、もし司くんと結婚したら久間ひかりになっちゃう!!」

「そうだろうね。だから何なの? 久間ひかりの何が駄目なわけ?」

「いや、駄目ってわけじゃないけど……!!」

「じゃあ何?」

「だ、だってクマヒカリってコシヒカリみたいじゃない!?」

「はあ?」


ある日曜日、私は朝からひかりの家にお邪魔していた。


今はテスト前でも何でもないので勉強する必要もないし、やることと言ったら俗に言うガールズトークぐらい。


とは言っても私達の間で行われるガールズトークなんて、言ってしまえばひかりのノロケ大会だ。


ひかりは暇さえあればノロケる。「司くんかっこいい」が口癖だと言っても過言ではない。


しかも最近のひかりは私だけではなく鮮美にまでノロケ話を聞かせてしまうのだから凄い。前から思ってはいたが彼女は色々な意味でなかなかの強者だ。


放っておけば1日でも2日でも「司くんがね〜」と言い続けそうなひかりは、予想通り今日も久間くんとのあれこれを延々と語り続けた。


最初の方はまだ聞く気になるものの、数時間も似たようなことを聞けばさすがに飽きる。


朝からずっと続いていたひかりのノロケ話も聞き飽きて、少しずつ眠くなってきた頃。


「だってクマヒカリってコシヒカリと2文字しか変わらないよ!! 最早コシヒカリの親戚でしかないじゃん!!」


……ひかりがこれまたよく分からないことを言いながら騒ぎ始めた。




ひかりの考えていることはよく分からない。


ついこの間まで久間くんに全然手を出されないとか何とか言って落ち込んでいたのに、それが解決したら今度は随分先のことを考えて勝手に焦っている。


本当に不思議な子だ。


「あのさ、なんでそんな先のこと考えてんの?」

「いや、あのね! あたしこの前授業中に司くんと結婚する夢見たの!」

「はい?」

「夢に出てきた司くんはちょっと大人っぽくなってて超かっこよくてさ〜いやもちろん今もかっこいいんだけど、夢に出てきた司くんはもうやばいの、思い出すだけで鼻血出そうなレベルなの! 分かる!?」


その話をする内にまた夢の内容を思い出したのか、ひかりは思いきり口元を緩めてにやにやしている。


全く、焦るのかにやけるのか――いや、相談するのかノロケるのかどっちかにしなさいよ。


というか授業も聞かずに何をやっているんだかこの子は。


私が忙しなく頭を働かせている間に1人だけ幸せな世界に浸っていたのかと思うと少し憎らしい。


それなら私だって鮮美の将来の姿とか見てみたいし。もし奇跡が起こって結婚でも出来たらどんな感じになるのか知りたいし……って違う違う。


「で? 鼻血が出そうになるくらいかっこいい久間くんが何なの?」


ひかりがこれでもかというくらい久間くんを絶賛するのはいつものことだから、そこにはあえて突っ込まない。


ガラは悪いし見た目は怖いけれど、まあ久間くんの見た目がいいのは事実。


一度本人を見れば分かることを何回も何回も言ってくるあたり、ひかりは本当に久間くんにべた惚れなのだと思う。


いや、それは久間くんの方も同じか。あっちはひかりほど分かりやすくはないけれど、ひかりが相当大事にされていることは私も知っている。


「あ、今問題なのは司くんのかっこよさじゃなくて司くんの名字なの!」

「……ああそう」

「いや、もちろん司くんのかっこよさも問題だよ! もうあれは罪だね! 罪なかっこよさだね!」


1人で勝手にハイになったひかりは手に持っていたクッションをばんばん叩きながら興奮している。


「でも大変なのよ葉乃さん!」

「だから何がよ」

「あたしは司くんと結婚したいの! あの夢を見てから余計にその願望が強くなってやばいの!」

「じゃあ今からプロポーズしてくれば?」

「え〜プロポーズは司くんからに決まってるじゃん……とか言ってたら司くんのプロポーズ想像しちゃった! ぎゃー恥ずかしい!」


ひかりは勝手に赤面して1人でキャーキャー言っている。


……酔っ払ってるんじゃないのこの子。いっそ本当に久間くん呼んで来ようか。


ひかりは私の冷ややかな視線にも気付かずにニヤニヤしている。


「で、ひかりは結局何が言いたいのよ?」


脱線し続ける話題をやっと元に戻すと、ひかりは急にニヤニヤするのをやめて私を見た。


「……ねえ葉乃、クマヒカリってどう思う?」

「どうって? 別にいいんじゃない?」

「え、お米っぽくない? あたしお米作っちゃう系女子だと思われたりしないかな?」

「し、しないでしょ……」


訳の分からない心配をするひかりに思わず苦笑い。


だいたいお米作っちゃう系女子って何だよ。そんな言葉初めて聞いたし。


「そんなにクマヒカリが嫌なら久間くんを藤堂司にすれば?」

「あ! 藤堂司でもかっこいいね!」


適当に言ったことにもいちいちにやけるひかり。


まあ確かに、久間ひかりより藤堂司の方が響きはいい気がするけれど――


「でもさ、ひかり」

「何ー?」

「久間ひかりだろうと藤堂ひかりだろうと、好きな人とずっと一緒にいられるならそれでよくない?」


未来は不確かで曖昧だ。

今は幸せでもこの先何が起こるか分からないし、いくら永遠を誓ったところでそれが現実になるとは限らない。


だからこそ、“大切な人と一緒に歩める未来”はとても尊いものだと思う。


ひかりは名字がどうこう言っているけれど、もしその悩みが現実味を帯びたものになる時が来たら……それはとても幸せなことなのではないかと思う。


「うん、そうだね! 司くんと結婚出来るならクマヒカリでもコシヒカリでも何でもいいや」

「でしょ?」


いや、コシヒカリはさすがに駄目だと思うけれど。


「……でも、ひかりの悩みって毎回毎回かなり幸せな悩みだよね」

「え、そう?」

「うん。まあいいんじゃない? 私もひかりが幸せそうで何よりだし」

「え、ほんと!? ありがと!」


ひかりはクッションをぎゅっと抱き締め、嬉しそうににっこり笑った。


結婚することが確定しているわけでもないのに私達は一体何を言っているのだろうか……と思いつつも、ひかりの未来の名字騒動はそこで一旦幕を閉じた。





そしてその夜。


「はーのちゃん」


鮮美がひょこっと私の部屋にやって来た。


「何か用?」

「うわー冷たいなあ。俺がせっかくサプライズでお宅訪問したんだからもうちょっと嬉しそうにしてよー」

「鮮美が勝手に私の部屋に入って来るのなんて今日が初めてじゃないでしょ」


いちいち驚いてたり喜んだりしてたらやってられないから、と言いながら私は読んでいた雑誌に視線を戻した。


白い丸テーブルの前に座ってぺらぺらページを捲っていると、鮮美の気配が近付いてくる。


「葉乃ちゃーん」

「何?」

「何読んでんのー?」

「雑誌」

「そんなの見たら分かるしー」


鮮美を見ようともしない私にしつこく話し掛けた後、鮮美はテーブルの上に置いていた雑誌をひょいっと取り上げてしまった。


「ちょ、何すんのよ」

「雑誌じゃなくて俺のこと見てよー」

「……あんたどんだけ構ってちゃんなの」

「それは葉乃がシカトするからじゃん」

「してないよ」

「全くもう、ツンツンしちゃってー」

「はあ?」


鮮美は私から取り上げた雑誌を床に置き、私の真後ろに腰を下ろす。


「ねえ」

「何よ」


鮮美は当たり前のように私の腹部に腕を回し、後ろから私を抱き締めてくる。


ナチュラルセクハラだ……と思いながらも、別に彼の腕を振り払う理由もないので好きなようにさせておいた。


すると鮮美は調子に乗って更に私を抱き締める力を強くした。


「葉乃ちゃーん」

「だから何?」

「大好きー」

「……な、何よ急に」


不意打ちのように囁かれた言葉に、思わず顔が熱くなる。


全く何なんだこの男は。さらっとそういうことを言われると柄にもなく照れてしまうからやめて欲しい。


「俺の傍からいなくなっちゃ駄目だよー?」

「あ、当たり前でしょ」

「死ぬまで一緒だからねー?」

「……重いし」

「今更?」


鮮美が開き直ったようにくすくす笑えば、彼の吐息が耳にかかってこそばゆい。


鮮美は時々さらっとこういうことを言ってくる。


“ずっと一緒”とか、“好きだ”とか。そんな言葉を支えているのは深くて重たい愛。


未来なんて分からないけれど、ずっと欲しかったものを手にした私は今これ以上ないくらいに幸せだ。


だから。


「葉乃ちゃんは重い男嫌い?」

「うん、好きではない」

「えー」

「でも鮮美ならいいよ」

「へ?」


これからもずっとこの幸せが続けばいいと思う。


鮮美の傍にいることが私にとって最大の幸せだから。


「ずっと一緒にいたいのは私も同じだし」


私は腹部に回された鮮美の手に自分の手を重ね、微笑んだ。


珍しく素直な私に驚いたのか、鮮美は少しの間何の反応も見せなかった。


だけど。


「葉乃」

「ん?」

「葉乃が可愛すぎて悶え死にそう」

「はい?」


鮮美は少しの隙間も作りたくないとでも言うようにぎゅうぎゅうと私を抱き締めた。


「いや、死なれたら困るんだけど」

「葉乃のせいで寿命縮みそうだわー」

「意味分かんないし」

「葉乃ちゃああん」

「あんた酔っ払ってんじゃないの?」


緩みきった声で私を呼びながらべったりくっついてくる鮮美は小さな子供みたいだ。


だけど、こんな風にべたべた甘えられても全く鬱陶しいと思わないあたり私は本当に鮮美に溺れきっているのだなと思う。もしかするとひかりといい勝負かもしれない。


重症なのはみんな同じ。


相手のことが好きで――好きすぎて、ついつい叶うかも分からない夢を見てしまう。


「いや、でも葉乃がデレた時の破壊力はまじでやばいから」

「はあ?」


こうやって鮮美の温もりの中に沈んでいられる今が少しずつ積み重なって、それが2人の未来に繋がっていきますように。


恋情に溺れた私の頭に浮かぶのは甘ったるい夢ばかりだけれど、今はこうやって幸せな未来を想像していたい。


こんな風に理想を語るなんて柄じゃない気がするけれど、でも。


「あー、まじで葉乃ちゃんかーわいー」

「あのねえ……」


……鮮美の腕の中で幸せな夢を見るのも悪くないと思うから、ね。




:: presented by yusa



完結 2012.11.25
拍手お礼 2012.12.01~2013.12.31
公開 2014.06.12