黄瀬涼太と関わるにはどうしたらいいだろうか。
悩んで出てきた案は、どこかの少女マンガで見たような、生徒手帳を落として走り去ろうというものであった。

元々、私は黄瀬涼太に好意なんてこれっぽっちも抱いてなかった。
寧ろ、どうでもいいというか、チャラいな、イケメンだけど、とか、そんな感じ。

私の好きなタイプは、なんでもいいから、何かに頑張ってる人。
これだけは負けないぞ、みたいな自信とか、素敵だと思う。
努力してる人に惹かれる、もちろん、生半可じゃなく、本気でやってる人。

黄瀬涼太はバスケ部のエースだ。
自信に溢れていて、キラキラしていたけれど、練習に熱心には見えなかった。
きっと、彼はどう見ても強すぎるから、勝つのが当たり前なんだろうな、というか。
いや、そういう最強な感じもかっこいいと思うんだけど、でも本気でバスケをやってるようには見えなくて、なんでバスケを選んだんだろう、とか、そこまで興味はないけど、少し思ったほど。

だから、いつかの昼休みに黄瀬涼太の話題になった時、本当にバスケが好きな人が絶望する強さだよね、なんて、皮肉を込めて言ったこともある。
そんな私が、黄瀬涼太に惹かれるなんて、まぁ、人生何が起こるかわからないとはこのことだ。

私の友人は、中学の頃から黄瀬涼太の大ファンで、中学時代の試合も度々観に行き、高校は独自のリサーチで彼が海常へ行くと知り、同じ海常を選んだ程の強者。
でも彼氏はちゃんといて、なんでも彼女の中で黄瀬涼太の顔はどストライクらしく、所謂目の保養というやつなのだと言う。
それにしても本気過ぎるだろうと思ったのだが、それはそれで凄いと思うので、尊敬はしている。

そんな彼女と仲の良い私は、黄瀬涼太の試合があれば、当然お誘いの声がかかるので、先日行われた練習試合を、彼女と一緒に観たのだが。
その試合は、勝つのが当たり前であったろう彼が、負けた試合だった。

黄瀬涼太はいつも余裕を持って試合をしていて、それは私も彼らしく似合っていると思っていたけれど、最後の最後で本気を出したところで、不覚にもかっこいいじゃないか、なんて思ってしまって。
無意識に涙を流した彼を見た時、何故彼がバスケを選んだのかはわからないけれど、きっと今はバスケのことが好きなんだろうと、本気なんだろうと思った。
それに黄瀬涼太自身もようやく気付いたのかな、なんて考えてる時点で、全く興味のなかった黄瀬涼太に、興味が湧いたことは否定出来なくて。

それからの彼のバスケへの打ち込みようは凄まじく、やっぱり頑張ってる男子はかっこいい。
自信に溢れてキラキラと、次こそは負けないと練習しているその姿に、惹かれてしまった。

でも、ただ彼に近付くだけではその他大勢の女子と同じ。
とにかく顔だけでも、あわよくば名前も覚えてもらうには、やはり生徒手帳を拾ってもらうのが1番。
彼は私が見ている限り、目の前で落としたものを素知らぬ顔して知らんぷりするような人ではない筈だ。

けれど、そもそもこの作戦にはいくつか問題があって、まず黄瀬くんの周りに人がいたら失敗する可能性があるので、彼が1人、尚且つ周囲にも人のいない状況でないとならない。
更にいきなり私が走り出したら不自然なので、黄瀬くんに最初から私を走っている人として認識してもらう為、彼の視界に入る時には既に走った状態である必要がある。
そして、黄瀬くんがそこに1人でいるということを事前に知っていないと難しいので、やはりマンガというのは上手く出来ている。

どうしたものかと考えながら、生徒手帳を空へ投げる。
それが真っ直ぐ落下して、私の手の中に戻るはずだったのに、私の頭の上を通り過ぎて伸びてきた手が、生徒手帳をかっさらう。


「えっ?は……?」


我ながら間抜けな表情を浮かべていたと思う。
振り返って生徒手帳を奪い去った人物を視界に入れると、ぽかんと開いた口が塞がらない。


「へぇー。名前ちゃん、って言うんスね」

「え……黄瀬くん……?」

「そーっスよ」


生徒手帳をパラパラとめくって私の名前を確認すると、いつも皆の前で浮かべている人懐っこい笑みではなく、試合時のような不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。


「よく、試合来てくれてるっスよね」

「え、あぁ、はい」

「でも、友達の付き添いみたいで、あんま興味なさそう」

「あ……ごめんなさい。でも、最近は、」

「見てくれてる?」

「まぁ……そんな感じです」

「なんで?」

「え……」

「オレのこと、きらいかと思った」


なんでこんなに知られているんだと思うほど、黄瀬くんは私のことを知っていた。
けれど、流石に嫌いだなんて思ったことはないので、それは慌てて弁解する。


「そんな、きらいだったわけじゃ、きらいではなかったというか、その、興味なかったのは、否定、できない、けど……」

「いいっスよ、別に。前に話、聞いちゃったから」

「話……?」

「オレに対して、結構否定的だったっしょ」

「あ……えーっと……どの話かわからないけど、たぶん気分を害すような話は、してたと思う……ごめんなさい」

「いや、謝らなくていいっスよ。聞いた時はイライラしたけど。図星だったって、今は思ってる」


黄瀬涼太の話はそこそこする機会があるから、具体的にどの話なのかわからないまま、話が進んでいく。
少し尋ね辛いけれど、どの発言についてか訊いてみようとすると、その前になんとなくわかった。


「オレ、本気でバスケする気持ち、忘れてた」


その話なら何人かにした覚えがある。
彼は本気でバスケをしていないのに、本気でバスケをしている人には勝ってしまうから、世の中不公平だと。
私が黄瀬涼太へと抱いていた嫌悪感の1つだったから、話す回数が多い分、黄瀬くんが耳にする確率も上がる。


「オレ、憧れの人がいて、バスケ始めたんスけど。バスケが楽しくて、好きだったのに、その話を聞いて、そういえば、最近なんでバスケやってんのか、わかんなくなった」

「……でも、今はちがうよね」

「そ。この前の練習試合で負けて、すごい悔しくて、オレやっぱバスケが好きだって思った。もっとちゃんと、バスケと向き合おうと思った」

「……うん。だから私も、黄瀬くんのこと、ちゃんと見るようになったっていうか、見ようとしなくたって惹きつけられるくらい、黄瀬くん今輝いてるよ」

「……じゃあ、」


そう言って距離を詰めてくる黄瀬くんに動揺して椅子から立ち上がると、手首を掴まれて近距離を保たれる。
休み時間の今、私がいる理科室は、先生が面倒だからと昼間は鍵を閉めない為、学校内で1人になれる絶世のスポットだった。
ただでさえ人通りの少ない廊下にある理科室はやけに静かで、心音さえ聞こえてしまうんではないかと思う。


「もうちょっと惹きつけられてみない?」

「え、え?」

「名前ちゃん、オレのこと気になり出してるっスよね」

「そ、れは……」

「オレも気になり出してる。最初はお前に何がわかんだよって、ムカついたけど。でも、オレに興味ない女子ならいるけど、オレのバスケ見て的確に突いてくる子、いなかったから、興味ある」


モデルの至近距離は心臓に悪い。
激しくなった動悸が手首を掴んでいるから伝わったのか、脈速い、と言って唇に弧を描くその顔の、なんて色気のあることか。


「き、せくん……」

「ね。ちょっとお互いのこと、知ってみない?」


ちゅっ、と手の甲へキスを落とす黄瀬くんに、関わったら最後抜け出せないと直感で思ったものの、私の返事は肯定以外の何物でもなかった。


(20121023)
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