少しうとうとしてきた頃、着いたっスよ、という優しい声に瞼を持ち上げると、同じように優しい顔が目に入る。


「眠いっスか?」

「ううん、大丈夫」


私の返事を聞くと、彼は優しく私の額にキスをする。
車を降り、目の前に広がる光景を目にして、思わず小さく呟いた。


「海……」

「そ。逃避行っぽくないっスか?」

「そうね。夜中の海なんて初めて。ありがとう」

「惚れ直した?」

「はいはい」

「百合冷たい!」


砂浜まで行くのはヒールだからやめておき、砂浜へ降りる階段に腰掛ける。
私の右に座った彼の左手が、私の右手に絡んだ。
彼の指輪がひやりとした気がして、思わず手を見やると、不意にある記憶が蘇る。


「……昔、小学生の頃に見た夢なんだけど」

「なんスか?」

「私の小指には、赤い糸が巻いてあって。その赤い糸を辿っていくんだけど、赤い糸の先にいたのは、私の大好きな人じゃなかった。誰だったかは、覚えてないんだけど。しかも、大好きな人なんて、その時の私には居なかったのに」

「へぇー。それ、オレだったりしないんスか?」

「どうだろ、全然覚えてないんだよね、ほんとに。ただ、」

「ただ?」

「……涼太みたいにチャラくはないかも」

「ヒドッ!オレのことそんな風に思ってたんスか!?」

「涼太はどう見てもチャラいよ」


ただ、そこに居たのは、夫だと思う。
その人を見たとき、私は落胆したけれど、納得していたし、その人を見たときに感じた安心感は、まさしく夫が与えてくれているものと酷似している。

小指の赤い糸の代わりかのように、薬指の指輪が鈍く光る。
同時に彼の指輪も私の目に入って、居心地の悪さから目を反らした。

眼前に広がる海の奥、同じように広がる夜空を見上げ、瞬きをすると、ひと粒。
え、と思った時には、落ちては降り続くそれを、慌てて手で抑えると、指輪のように銀色に光った気がした。


「百合!?」

「ご、ごめん。なんか、なんでだろ……わかんないけど、」


最初は静かに瞳から零れた涙が、どんどん溢れてきて。


「泣かないで、百合」


ぎゅっと優しく強く抱き締めてくれるけれど、止まりそうになかった。


「……百合が泣いてると、オレも泣きそう」

「うん……いいよ、大丈夫」


結び合った小指の約束に、哀しくなったんだ。
2人して涙を流しているのを、綺麗に光っていた星々が、震えて滲んで、私たちを照らして、私たちを見ている。

そのまま、ひとしきり泣いて、落ち着いてきた頃に目を合わせると、お互い恥ずかしくなって、笑い合った。
もう一度、手を繋ぎ合って海を見ると、指輪の冷たさは変わらないけれど、気にはならなかった。

海を見ながら彼の横顔をチラリと見て、頭に浮かぶのは、もう隠せないわ、という言葉。
そう、私にだけ、見せてくれる横顔を、知ってしまったの。

後悔はしていない。
車の中、カバンの中で、私の携帯は、夫の名前を映し出して震えていた。



(20120922)
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