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立ち止まってしまうくらいなら




「ええ、一ヶ月お世話になる!?」
「うん。朝にお母さん達から電話が来て、ちゃんと話し合ってそう決めたの」
「そ、そっか……」
「ていうかお母さん達に勝手に連絡したでしょ」
「うっ、そ、それは……だって名前ちゃん絶対詳しいこと言わないだろうと思ったから!」

 さすがマネージャー、と呟いた安室さんの脇腹に軽く拳をぶつける。午前十一時、穴場だという喫茶店で社長と話をしてきたという学さんと合流した。
 学さんはそわそわと眼鏡のフレームを何度か持ち上げながら「そっか、でもなぁ、平気かなぁ」と忙しない。そんな学さんに安室さんが何かを耳打ちすると、学さんは白い頬をぶわっと赤くさせて「ええ!?」と大袈裟にリアクションを取る。

「何言ったんですか?」
「男の秘密です」
「はぁ……?」
「そんな目で見なくても……それより、今日は一度自宅に戻ってポストの中と家の中をもう一度確認するということで大丈夫ですか?」
「……はい、大丈夫です」

 正面に座る学さんが心配そうに眉をへにゃりと下げている。安室さんは小さく笑うと、学さんの手と私の手を取ってテーブルの真ん中で重ねた。三つの手のひらが触れ合う。

「お二人共、そんな不安そうな顔しないでください。マネージャーはタレントに似るんですかね、朝の名前さんとそっくりな表情してますよ」

 私はこんなに情けない顔してたのか。学さんはずび、と鼻をすすると、赤くなりかけた瞳を揺らして小さい声でぽつぽつと話し出した。

「ごめんね。僕がこんなに情けないから、名前ちゃんに怖い思いさせちゃって……ほんとは僕がいろいろ立ち回らなきゃいけないのに」
「学さんの悪い癖その一、すぐに泣く」
「えっ」
「その二、予想外のことが起こるとすぐに混乱する」
「うっ、あの、名前ちゃ……」
「その三、なんでも自分のせいにする」

 学さんがパチリと瞬きをする。その拍子に瞳に溜まる涙が跳ねてテーブルに一粒落ちてしまった。

「今回のことは学さんのせいじゃないでしょ」
「うん。……うん、ごめんね」
「はいその四、すぐに謝る!」
「あはは、名前さん中々厳しいですね」

 ようやく笑った学さんにほっと肩を下ろして頬を緩める。そうして喫茶店を出た私達は少しの緊張感を空気に含ませながら私の家へと向かった。

 ▽

 知らない人に入られていると知ってしまってからは家中に不信感を抱いてしまう。ポストの中に入っていた切手のない一枚の封筒を取り出して家の中に足を踏み入れる。安室さんの背中越しに部屋の中を覗いたところで感じた違和感にあれ、と声を上げる。

「……机の位置が、少しずれてる?」

 私の言葉に安室さんの目が細まった。私に学さんから離れないようにと声を掛けて、壁のコンセント前にしゃがみ込む。

「……やっぱり、また入られてますよ」
「う、うそ」
「本当です。昨日盗聴器を探した時に、下のネジだけ少し緩めにつけてたんです。それなのにちゃんときつく締められている」

 言いながら安室さんがドライバーでコンセントの蓋を外すと、姿を現したのは昨日も見た黒くて小さな機械。昨日とったばかりなのに。もしあのまま家で寝ていたらと考えただけで身体が冷えて手足の感覚が無くなる。

「手紙、貰ってもいいですか?」
「あ……はい、」

 安室さんが手紙の封を切って中身を取り出す。今日は写真は入っていないみたいだった。手紙も一枚だけ。安室さんが顔を厳しいものにさせたのを見て手元を覗き込んでから後悔した。

どうして家にいないの
せっかく婚姻届を取りに行ったのに

 いつもの長文とは対照的に、たったの二行が便箋の真ん中に書かれていた。思わず肩を震わせて唾を飲み込んだ時、玄関がガチャリと音を立てる。──え、

「しっ!」

 口を開きかけた私の手を安室さんの手が覆った。まだドアノブはガチャガチャと音を立てている。相手が合鍵を持ってるなら、きっと開けられてしまう。今ここで顔を合わせるには心の準備も何も出来ていなかった。心臓の音が耳元でガンガンとなっているみたいに聞こえる。一瞬音が止んで、鍵穴に何かを差し込む音が聞こえた。鍵が、回ってしまう。

「──学さん、これってここでいいんでしたっけ?」
「え、あ、あぁ、うん! おっお願いします!」

 急に声を張り上げた安室さんにびくりと肩が震えた。私の口を覆っていた手はいつの間にか離れていて、今度は落ち着かせるように私の肩を抱いて優しく背中を摩っている。学さんの情けない声だって気にならないくらい頭の中は真っ白だった。
 しかし二人の声が部屋に響いた途端、ガチャガチャとうるさいくらい音を立てていたドアノブは静かになり、回りかけていた鍵が動きを止める。代わりに聞こえるのは早足に立ち去る誰かの足音。

「……行ったみたいですね」
「び、び、びっくりした……」
「は、あ……っく、」
「名前さん?……大丈夫、ゆっくり息をして」

 頭の後ろに回った大きな手のひらが私の後頭部を引き寄せて安室さんの肩に押し付けられる。大丈夫、大丈夫、と耳元で繰り返される落ち着いた声はゆっくりと心臓の音を元通りにしてくれた。滲んだ涙をアイシャドウごと安室さんのシャツに吸わせてしまうのは悪いからと無理やり引っ込める。

「怖い思いをさせてしまいました、すみません」

 安室さんのせいじゃない、と言葉にしたかったのに、きっと震えて言葉にならないだろうと大人しく首を二、三度降る。学さんは真っ青な顔ではくはくと口を開閉させながら心臓を抑えていた。

「し、心臓出るかと思いました……」
「咄嗟に返事をしてくれて助かりました。相手もマネージャーである学さんのことは知っているはずなので、知っている名前を耳にしたら逃げるんじゃないかと思ったんです。上手くいってよかった」

 安室さんがカーテンを薄く開いて外を確認する。ひとつ頷いた安室さんが「必要なものを持って出ましょう」と準備を始めたので、隣の部屋のクローゼットからボストンバッグを持ち出してその中に化粧品やら下着やらをぎゅうぎゅうに詰め込んだ。洋服は買えば済むので数着だけを用意した。下着はすぐに必要になるので持たないわけにはいかない。ついでにベッドから枕も持ち出して小脇に抱えれば準備万端だ。

「午後は軽い生活用品を揃えに行きましょう。それと……この部屋に防犯カメラを設置してもいいですか?」
「はい、大丈夫です」
「あ、じゃあ僕が防犯カメラ買ってきます。安室さんは名前ちゃんの買い物に付き合ってあげてください」
「助かります。設置は僕がやりますので、後日受け取りますね。何度かやったことあるんです」

 玄関に鍵をかけ、荷物を持ってくれている安室さんに荷物を受け取ろうと手を差し出すと枕だけを渡される。

「明日は十一時から撮影なんですけど、迎えはどうすればいいですか?」
「それなら僕が送り迎えをします。学さんの車はもう相手に知られていますし……なんなら僕が学さんも車に乗せますので」
「ええ!? それは申し訳ないので僕は大丈夫です!」

 気を遣わなくていいのに、と眉を下げて笑った安室さんに促されて車に乗り込む。手を振った学さんの車が走って消えて行ったのを見届けてから安室さんが車を動かした。横をすぎるアパートの草陰が揺らいだ気がして窓を覗いたけど、あっという間に離れてしまっていてもう一度見ることは出来なかった。