黒入籍後
捏造




左手に握りしめるのは数分前に通話を終了された携帯で
右手にあるのは先程までその携帯に付けていたストラップ。
デザインはシンプルなもので、俺のは黒を基調とした色合い。
元はセット物のストラップ、もう一つは白を基調とされたもので
その持ち主は、相方。
今ではもう、ただの相方で、ただの友達。


「さっき、籍入れてきた」


とだけ電話越しに告げられて返す言葉もないまま一方的に切られてしまった。
彼女がいるのは知っていた。それでも俺に好きやと言ってくれるなら
あいつに女が居ようが居まいが別に気にならなかった。
俺かてあいつと付き合ってる期間中に彼女ができたりもしたし御相子でもある。
ただ、俺は彼女よりもあいつの方が大事で、好きやった。
あいつは俺よりも彼女と生涯を共にすることを選んだ。それだけのこと。


いつかこうなることは分かっていたはずなのに。
いざ現実となってしまえばこうも受け入れがたいものとなるなんて。
相方の、友達の幸せを素直に祝福すらできないなんて。
ああもう、これから仕事に出向かないといけないというのに。
今一番顔を合わせたくない奴と何時間も一緒の空間に居ないといけないのに。
こんな中途半端な気持ちじゃまともに話すらできないだろう。


とは思うものの時間は刻一刻と過ぎていくばかり、集合時刻となり
当然そこに現れるのは相方である井本。


「…いの、もと」
「おう、はよ」


発する言葉の一つ一つに力が入ってしまう気がしてうまく話せない。
当の本人は何も気に留めていないのだろうか。
そこから何となく沈黙が流れて二人の間に気まずい空間ができてしまった。
普段なら存在しない存在することすら有り得ない空間。
俺はといえば落ち着かずそわそわしてばかり、用意された部屋の中を行ったり来たり。
変に緊張してしまいじわりと額に汗が滲む。


「藤原、俺になんか言う事あるやろ」
「、言う事て、」


口元を緩ませた井本が沈黙をぶち破った。
言う事、といえばきっと、おめでとうだとかそういった類の言葉だろう。
俺だって言いたい、言わなければならないと思ってる。
ただ、出掛けた言葉が喉の辺で突っかかって出てこない。
口をパクパクさせたまま井本の顔を見れば今まで見たこともなかったような
柔らかい優しい表情。ああこいつはほんまに幸せなんやなあ。


「……好き」
「は、」


やっと出せた声は自棄に掠れていてしかも思って居たものとは別の言葉で。
目の前の井本と今の俺の表情は多分同じものだろうと思う。
ただ先程の言葉は紛れもない事実で、思いがどんどん溢れる。
口を開けば止まることを知らない言葉たちが流れ出ていく。


「好きや、愛してる、ずっと、ずっと」
「ふ、じわら」
「傍に居て欲しい、誰よりも近くに居て欲しい」


そっと無防備な手を取りこちらに引き寄せる。
小さな体を包み込んで、いつものように、いや、いつもより強く抱きしめる。
あかん、年甲斐もなく泣いてまいそう。


「ちょ、あかんって、俺、もう」
「わかってるわ、あほ」


それでも抱き締める力をさらに強める。
こうでもしていないと、どうせすぐ俺から離れていってしまうんやろ。
それが正しい事でも、それが普通の事でも、俺の中の何かがそれを拒む。
この年になって反抗期か、と内心自分を嘲笑う。


「なあ藤原」
「いやや」
「聞けって」
「むり」
「藤原」
「…嫌、や」
「頼む」


身体を距離を離され顔を向けられる。
泣きそうやん、と軽く笑われて指摘されるが仕方ないだろう。
ゆっくりと、あやすような口調で淡々と告げられる言葉がひどく胸に突き刺さる。


「俺とお前は相方やろ」
「うん」
「ほんで、友達やん」
「うん」
「俺やってお前のことは好きや、今も変わらん」
「…、ん」
「分かるやろ、なあ」


いっぱいいっぱいに背伸びをした井本が既に涙を流していた
俺の左の瞼に唇を落とした。
それだけで、何もかも満たされた気がした。




「おめでとう、井本。好きやで」