小説 | ナノ


「臨也、もう少し上むいて、顎引いて。…ん、そのまま、動くなよ。」

シズちゃんの彫刻刀が、だんだんと俺に似てきた石膏を削る。身動きできない息苦しさと、シズちゃんにじっと見られている緊張で頭がくらくらしてくる。前までもう少しリラックスできてたのに、あの時、シズちゃんが風邪引いたときから、変に意識するようになってしまった。シズちゃんは前と全然変わらないし、俺がおかしいみたいだ。(でも、絶対、夢なんかじゃなかった)今でも思い出せる、シズちゃんの匂いとか、目を瞑った顔とか、赤くなってた頬とか、柔らかくて熱かった、唇とか、

「臨也、もう動いて良いぞ。…臨也?」
「ふ、うわっ」

いつの間にか目の前に移動してきていたシズちゃんに驚いて変な声をだしてしまった。シズちゃんは目を丸くした後、どうしたんだよ、と首を傾げる。やめて、かわいいよばか。

「な、んも。」
「そうか…?あ、もしかして、風邪うつしちまったか?」

申し訳なさそうに頭をかきながらシズちゃんはさらりとそう言った。え、うつしちまったかって、シズちゃん、覚えてるの?あれを?

「え、と、え…?シズちゃん、覚えて…?」
「いや、ほんとあん時は悪かったなって思ってるんだぜ?折角看病しに来てくれたのに俺は…」

うん、うん、俺、シズちゃんの看病しにいったんだよ。そしたらシズちゃんはベッドで寝てて、だから俺、ほんとにちょっとだけ、近くで見たいなって思っちゃって、そんで、(ああ、また思い出しちゃった)(しんじゃう)とにかく、もしシズちゃんがあれを覚えてるんだったら、俺はどうしたらいいんだろう。いや、むしろ、あれを覚えてるのにシズちゃんがこの態度って、なんか、なんか、意識なんてされてるわけないのに、ないってわかってるのに、ちょっとへこむな。

「ずっと寝てただろ?お前がきてくれてんのにさ。飯の材料とかありがとな、仕事中に電話までしたのに、ほんと悪いな」
「うんうん、……うん?寝てた?…うん…?」
「?…寝てただろ?」

なんだ、なんだ、シズちゃん覚えてないんじゃん。なんだ、心配して、損したな…。なんだ。

「……あ、」
「な、なにっ?なんか、思い出した?」
「…あー…もしかしてさ、」

なんとなく気まずそうに視線を泳がせながら、静ちゃんはぼそぼそと、寝言、言ってたか?といった。うん、すごいかわいい。

「言ってなかったよ、なにも」
「そうか、よかった」

ほんとに、覚えてないみたいだ。よかったな。うん、よかったよ、ね。なんだか、少しだけ残念だなんて、思ったりとかして。覚えてたら、シズちゃんはどう思ったのかな。……うーん、やっぱ、覚えてなくてよかったかも。だってきっと誰かと勘違いしてたんだろうし、引かれたら俺立ち直れない。よかったよ、覚えてなくて。
もしシズちゃんが、俺だとわかってキスしたんだったら、なんて考え出しちゃって。ありもしない希望を持つのはやめよう。傷ついて、すぐに立ち直れるほど、若くないんだしさ。

「……お腹、すいちゃったな。」
「ん、飯くうか。今日はトマトあるから、トマトのパスタな。」

うん、いいや、これで。このままで、充分。






あの日の、あの時のことを、俺は覚えていた。そりゃもうばっちりと、感触とか、熱さとか、匂いとか、そんなレベルまで。正直、それで何回か、抜いた。
ただ、一週間後に食わぬ顔でやってきた臨也が、それまでとかわらずそつなくモデルをこなしているのを見て、言い出せなくなった。怖気づいた。俺はあの出来事のことをその一週間はえんえんと、それこそずっと、門田に変だと指摘されるくらいには、考えていた。
(少し)(少し、悔しいと思った)
なんでもないみたいに振舞えるのは、やっぱりいくらか経験があって、場数を踏んでるからなんだろうか。臨也がいて、俺がいない世界が、五年もあるんだ。出合ったのだって、ついこの間で。俺が臨也について知ってることなんて、ほんとうに少ない。
言えばよかったのか。でも、なんて。
パスタを茹でながら、なんとなく失敗したような気がしてきた。臨也の態度が少しおかしかったからだ。なんとなく、動揺しているというか。まあ当たり前だろう。付き合ってもいない、それ以前に同性の俺に、名前呼ばれて、近寄ったらキスされたんだから驚くのが普通だろう。さすが社会人というべきか、あくまで表情はほとんど崩さなかった。ただ、なんとなく表情が引きつっているように見えた。
リビングからは臨也が食器を用意する音が聞こえてくる。さあ、どうしたものか。カーテンを引いてしまったアトリエにちらりと視線をやる。もうほとんど出来てしまって、ほんとうはモデルなんてやってもらう必要がなくなった彫刻の臨也が、そこにたたずんでいた。
ふ、と溜め息をつく。あー煙草すいてえ。臨也の前では吸わないようにしてんだけど。パスタを湯からあげてオリーブオイルを絡め、切っておいたトマトと紫タマネギを和える。しそとバジルを混ぜ込めば完成だ。

「臨也、皿……」

首だけで後ろを振り返って、それ以上なにも言えなくなってしまった。
リビングのテーブルに備え付けてある、ガラス細工が施されたテーブルランプ。俺が入居したときからあったそれは、随分長い間手入れもしないで放っておいたから、埃を被ってしまっている。その埃を指先で拭うように臨也は指を動かし、色素の薄い瞳に光彩を映した。光の加減で赤に見える臨也のその目はランプのガラス細工をじっとみつめ、ゆっくりとこちらを見る。

「これ、綺麗だねえ。あ、いいにおいする。盛り付け俺がやるね。」

ひょい、と立ち上がり、臨也は俺の手からパスタの入ったボウルを持ち上げた。おいしそう、と呟き、皿にパスタを盛り付けていく。白くて細い首筋が、テーブルランプの橙色の光に照らされた。

「臨也」

美しく盛り付けられたパスタを満足げに眺めながらイスに座った臨也に、震えそうな声を押し止めて名前を呼ぶ。

「お前、あの時のこと、なんか覚えてるか?」

ぴたり、と固まってしまった臨也の頬を、デーブルランプのガラス細工が映していた。






続きます
タイトル/zinc


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