ろぐ | ナノ

ガラリ。少し乱暴にその感触になれてしまった戸を開けた。瞬間ふわりと独特な匂いが香る。この匂いは嫌いじゃない。中にはいつものあのひとがいた。


『いらっしゃい』


また来たのね、そう言いつつ彼女は柔らかく笑った。ひとの良さそうな笑顔を浮かべられ、俺はそのかおにまた胸を高鳴らせる。ドキドキ ドキドキ。


『今日はどこ?』
「腕」


言葉と共にカッターシャツの袖をまくり、右腕にできた傷を見せる。すると彼女は『わあ』なんて大人らしくない少女のような声をあげた。こんなモノ職業柄見馴れただろうに、何故毎回こうも驚かれるのか。毎度思う疑問を浮かべながらも俺は彼女、保険医の向かいのイスに腰掛けた。どくどくと血の流れる腕を見て顔をしかめられる。


「(そんな顔されると悪ィことした気分だっつの、)」
『平和島くんさぁ、私が保険医だからって血を見馴れてるとか思ってるでしょ』
「あ?いや…」
『そりゃあ見馴れてるっちゃ見馴れてるけどね、君の怪我はおかしいの』
「なんだよおかしいって」
『いやもう学生が負う怪我じゃないというか。いい加減保健室じゃなくて病院とかになっちゃう気がして先生は怖いよ』
「…病院なんか行かねえ」


コラ、敬語使いなさい!今更ながらの説教を適当に聞き流し、傷を手当てしていく先生を見る。俺の腕を掴む白くて小さな手や、ピンセットを持つ細い指、伏せられた目、まばたきの度に揺れる長い睫毛。何もかもが俺の身体をそわそわさせた。妙な気持ちが起こらないよう窓からの風に流れるカーテンを瞳に映す。すると先生の心地好い声が保健室に澄み渡った。


『平和島くんも折原くんも本当に無茶するね。青春時代の有り余るパワーってやつ?若いって羨ましいわ』
「先生も若いだろ」
『今年24になるけど、それでも若いって言ってくれる?』


24と17……ありっちゃあり、だよな?いやでも先生から見れば俺はまだまだ子供なのか?うーん、変わったひとだからな…基準がわかんねー。
そんなことを考えるとも知らず、俺が黙ったことをさっきの質問の答えとして受け取ったらしくムッとした顔を見せる先生。


『やっぱりオバサンなんて思ってるんだ』
「えっ、あー、違う、24とじゅうな……」


言いかけてハッとする。「27と17はありかなしか考えてました」なんて言えるはずもない。恥ずかしすぎるだろ、俺!違う、そーじゃなくて、なんて言葉を並べていくに比例して先生の顔が曇っていく。


『24はオバサン、ねぇ』
「思ってない」
『どうかしら』
「本当だ」
『信じていいの?』
「ああ」


しだいに晴れていく彼女の、かお。本当のことを言っただけ、いや、やっぱり本当のことはわからない。俺にとって24がオーケーなのはオバサンじゃないという感覚からではなく好きになった先生がたまたま24だったからなわけでつまり先生が何歳だろうとこの薬品臭い場所で恋をしたわけで。むしろ俺の方こそあんたに17はガキかと聞きたいくらいだ。


『いま、平和島くんが考えてること当ててあげようか』


にやり。いたずらっぽく笑うのは、その、アレだ。反則。かわいいなとか思っちまうだろーが、おい。抱きしめてーなとか、いろいろ考えちまうだろーが、おい。消毒液がたっぷり塗られた右腕にはいつのまにかガーゼが巻かれていた。別にいいよとは言ったが実際マジで当てられたら焦るな、ほんと。


『先生ってキレイだなー、でしょ』
「全然ちがうな」


めちゃくちゃかわいいが正解だよバカ。正解を、教えてやろうか。焦らすように問うと先生は目をまるくしたあと、それはもうキレイに笑った(あ、今正解になった)。


「24から見て17はガキですか」


言った言ったぞ言ってやった。保険医と言えど教師に恋をして告白までしたなんて、臨也の野郎ならすぐに嗅ぎ付けるな。からかわれるに決まってる。そん時はそん時だ、あのムカつく顔ぶん殴ってやる。……たとえあのナイフでやられたってまたここに来られる。そう思う俺はおかしいのだろうか。

突然、俺の好きな場所で、俺の好きな表情で、俺の好きな声で、俺の名前を呼ぶ。平和島くん、そう言ったのはまぎれもなく 俺の好きなひと。


『いいことを教えてあげようか』


知ってる。
期待するようなことを言っておいて。


『先生は17歳という7つも下の人間に興味はありません』


俺を突き落とす。


『年上趣味だし、今まで付き合ってきた人も全員年上だし』


しかも突き落とすだけじゃ足りないらしく、地面にうちつけられた瀕死の身体をさらにした、した、下、地獄まで落とす。小悪魔なんてモンじゃないとんだ悪魔。


『でもね』


え?


『そんな先生でも、ひとりの年下男の子に恋をしてしまいました』


年下?


『いつも怪我をしては仏頂面で保健室にやって来て、よくそわそわしてて、とても優しくて素敵で金色の髪がキラキラ光ってて眩しくて』


…それで?


『ねえ平和島くん』
「……」
『私にとって17がオーケーなのは平和島くんがたまたま17歳だったからだよ』
「おれ、が、」
『たとえ君が7つ下でも、そんなの関係なく私はここで確かに君に恋をしました』


反則。いったいいくら反則するつもりなのか、この美しく可愛すぎる保険医は。とにかくこれ以上言われちゃ俺の心臓が持たないので、抱きしめると饒舌はストップした。禁断の恋上等。ぜってー守るから、俺と付き合ってくれよ先生。耳元でそう言うと先生は少し笑ったあとに絶対よと言った。その声はやっぱり心地好いものだった。


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消毒液の海に浸って恋をしよう 110826
先生との恋とかって実際隠し通せるものなんでしょうか?漫画や小説では色々ですが実際現実ならどうなのか知りたい!