嘲笑リズム | ナノ


「だからさっさと、最低なオレのこと嫌いになって」


そう言った時の黄瀬くんの顔は、すごく切なそうだった。黄瀬くんは自分のことを最低だと言うけれど、私には黄瀬くんが心の底から酷い人だとは思えなかった。本当に酷い人は、雑誌買ったよって言ってきた女の子に嬉しそうに「ありがとう」とお礼を言ったりしない。サインちょうだい、とおずおずペンを差し出す女の子に笑顔で書いてあげたりしない。優しい人なんだ。

私に対して冷たいのは単純に私のことを嫌いだからなわけで。…考え方によっては素直なんじゃないだろうか、黄瀬くんって。


「き、キスするとこ見ちゃったんだ……」


美里ちゃんのところに戻って一緒にファーストフード店へ入ってからさっきのことを話した。そして苦虫を噛み潰したような表情でそう言う。細い指でバニラシェイクのストローをいじりつつ信じられないとでも言いたげな顔だ。


『うん、びっくりしたよ』

「そりゃそうでしょ!…ま、黄瀬くんってけっこういろんな女の子とデートしてるとこ目撃されてるもんね」

『え、そうなの?』

「あれ、知らなかった!?ごめん…」

『平気だよ、あ、平気じゃないけど知りたいっていうか…』


もちろん平気なわけない。だけど黄瀬くんのことなら知っていたいし、そう思うことはおかしくないよね?


「部活オフの日は女の子とデートしてるってよく聞くよぉ」

『へえ…』

「それもほとんど違う子だとか」

『…へ、へえ』

「キスしてるの見たんだぁ、つらいねそれ」

『…つらいです』


ぐてーん、とテーブルに体を預けため息をつく。美里ちゃんは「んー」だとか「そっかぁー」だとか言っていて、何考えてんのこの子。


「ねえねえ、さやかちゃん」

『なーに?』

「ここだけの話ね、今週の家庭科、また調理実習らしいよ」

『…そうなの?』


あれ?2週間くらい前もしたよね?ってかここだけの話にする理由は何?


「で、作るものはマカロン」

『マカロン?』

「わたしの言いたいこと、わかる?」


にーっこりと笑って、美里ちゃんは両手で頬杖をつく。この子はほんとに可愛いな、なんて考えながら私は黙って首を振った。美里ちゃんは時々私の考えの斜め上を行くのだ。


「チャンス、だよ」

『え?』

「黄瀬くんにアピールする!」

『…あの、美里ちゃん。私今わりとへこんでて…』

「だからこそだよぉ」

『へ?』


やはりその天使のような笑顔を消さず、美里ちゃんはピンク色の小さな唇で言葉の続きを言う。彼女特有の間延びしたそれを待つ間も脳裏に植え付けられたキスシーン。


「つらいときに頑張らないでいても何にも変わらないでしょ?やなとこ見た、だから傷が癒えるまでは悲しんどこう、それで黄瀬くんがさやかちゃんのこと好きになる?」

『な、ならない…?』

「そうそう。つらくたってめげずに頑張って頑張って最後まで頑張り続けた人が勝つと思うんだよねぇ、わたし」


美里ちゃんって、ふわふわしてて意外とたくさんのことを考えてる。それってほんとに尊敬するところで、憧れたりもする。

つらくたってめげずに頑張って最後まで頑張り続けた人。


そうだ、私はただでさえ嫌われてるのにつらいとこ見てへこんでたって仕方ない。行動しないと、少しでも彼に好かれるように、少しでも黄瀬くんに、見てもらえるように。


『よしっ!頑張る!ありがとう美里ちゃん!家庭科の調理実習頑張るよ』

「うんうん。それでこそさやかちゃん」

『マカロンかぁ…作ったことはないけど大丈夫かなぁ…でも料理は得意だし…』

「……」

『なんとかなる…、…?美里ちゃん、どうしたの?』

「さやかちゃん」

『え?』


美里ちゃんが両手で頬杖ついたまま、言う。


「頑張るのはいいことだけど、泣くのはダメなことじゃないんだよ?」

『……』

「だからさぁ、好きな人が他の人とキスしてるとこなんて見たら悲しいし、泣いちゃってもいいんだよ」


その言葉に私の堪えていた涙はぼろぼろと溢れ出した。黄瀬くんの前だとうっとうしいと思われちゃ嫌だからと、留めていたのに。流れる涙を止める術なんて知らなくて、私は美里ちゃんに頭を撫でられながらファーストフード店で子供みたいに泣いた。

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