06
「これで終わり?」

 触れた魂を雑に弄りながら振り返るとそれが丁度最後の人間だったらしい。頷く夏油の足元には頭部が陥没していたり膨張していたりと人間としての原型を留めていない元人間たちが横たわっていた。
 こんなのわざわざ俺じゃなくて漏瑚が燃やしちゃえば手っ取り早かったのに。そこから視線を外してちらりと壁に掛かった時計に目をやる。殺した人間の大半は大した呪力も持たない人間ばかりで呆気ないものだったが、いくつか場所を移動した上に目的地と次の目的地との距離がやたら離れていたせいで片付けるのに思ったより時間が掛かってしまった。

「そ。なら俺もう行くから」

 窓の外はいつもにも増して闇の密度が濃い夜になっていた。もう名前は仕事を終えて部屋に戻ってきている頃だろう。これ以上もたもたしてたら名前寝ちゃいそうだし、さっさと向かおう。昨日のドラマの続き一人で見てもつまんないし。
 ポイッと元人間を無造作に床へ転がし、窓枠に足を掛けて身を乗り出そうとした瞬間背後から俺を呼び止める声がした。

「随分急いでいるようだけど、何か用事でもあったのかい?」
「あのさぁ、分かってるなら引き留めないでくんない?」

 面倒くさそうに答えるも意に介さず口角を僅かに上げたまま夏油はこちらを見据えていた。

「もしかして最近頻繁に何処かへ出掛けていることと関係があるのかな」
「そんなの俺の勝手でしょ。聞いてどうするの」
「別にどうもしないさ。ただ君があまりにも愉しそうにしていたから少し気になってね」

 俺ってそんな風に見えてたの、と少し面食らう。別に隠していた訳ではないが、こうして指摘される程表面に現れているとは思っていなかった。
 俺たちはあくまでお互いの利害が一致して手を組んでいるだけの関係に過ぎない。夏油は勿論、漏瑚や花御も割と好きに出歩いているが、必ずしも何処で何をしていたかなんて逐一話さなければいけないなんてことはない。――あれ、でも何をしてきたとか俺は結構聞いちゃうこと多いし、それならこんな面白い玩具を見つけたんだって名前のことを自慢したって不思議じゃないのに、どうして話す気にならないんだろう。
 内心首を傾げながら黙り込んだ俺を見兼ねてか夏油は肩を竦めてみせた。

「まぁ、今はこれ以上の詮索はしないさ。ただ、夜遊びは程々にね」
「はいはい」

 夏油の言葉を輪切りにその思考は霧散する。兎に角今は時間が惜しかった。どこか念を押すような音を適当に聞き流しながら今度こそ俺はその場から立ち去った。

「呪霊の君が時間なんかを気にしてその存在をひた隠しにするくらいだ、余程その玩具はお気に入りなんだろうね」

 薄暗い部屋で目を細めながら夏油がそんな独り言を呟いていたことを俺は知らない。


*


「あれ?」

 カーテンの隙間から覗き込んだ部屋の中は真っ暗だった。もしかしてもう寝ちゃったのかな。ベランダの戸を横に引くとすんなりと開いた。カーテンを掻き分けて部屋の中をぐるりと見回したがそうではないらしい。そもそも人の気配が感じられない。

「いつもならとっくに帰ってきてる筈なのに、寄り道でもしてるのかな?」

 これじゃあ急いできた意味ないじゃん。はぁ、と大きな溜息が無人の空間に響いた。
 それにしても鍵開けっ放しとか不用心だな、まぁそうなるようにしたのは俺なんだけど。以前換気口から部屋の中へ侵入したときのことを思い出す。
 あの時の名前は本当に傑作だったなぁ、吃驚し過ぎて腰抜かしちゃうんだもん。その後、今後は必ずここから入るよう言い含められてからはそうするようにしている。換気口は論外で、玄関だと誰もいないのに勝手に扉が開くところを他の人間に見られたら不自然に思われるから、らしい。正直玄関だろうがベランダだろうが変わらないだろと思ったが、名前は一歩も譲らず、挙句の果てには俺がうんと頷くまで何をしても無視を決め込まれ、仕方なく折れてあげたのだ。
 一頻り思い出し笑いしてから再びベランダへと出る。このままいつ帰ってくるのかも分からない名前を大人しく待つという考えは俺にはなかった。

「確か、こっちの方だったかな」

 気紛れに会社へ向かう名前を尾行したことがあった為大体の場所は把握していた。それに名前の身体には俺の残穢が鮮烈に染み付いている。後は目を凝らす必要すらないその気配を俺はただ辿っていけばいい。
 案の定探し当てるのは容易だった。何度目かの信号に出会ったところで目線の先に名前の姿を捉えた俺は一目散に駆け寄ると思い切りその肩を抱いた。

「名前、み〜っけ」
「ひっ……!え、真人さっ、何で、!?」
「あんまりにも遅いからさ、待ち草臥れて来ちゃった」

 あは、その顔最高。全身を強張らせ激しく狼狽える名前が滑稽で思わず吹き出しかける。思い描いていた以上の反応にその双眸の中で俺はにんまりと笑った。

「? どうかしたのか?」
「、いえ……何でもありません、」

 余韻に浸っていると俺でもなく名前でもない声に遮られた。途端名前は弾かれたように俺から視線を切ってそう取り繕い出した。
 誰こいつ。目の前のそれはどうやら俺が見えない部類の人間のようで目線は名前にのみ注がれている。

「ねぇ、帰らないの?折角迎えに来てあげたのに」

 そう話しかけても見向きもしない名前に眉を顰める。そいつと話しててもちっとも楽しいって思ってないくせに、だらだらと中身のない会話を続ける意味が理解できない。何度見ても時間を割く程価値のある人間には到底思えなかった。それでもこいつのせいで足止めを食らっていたことだけは分かって、先程までの高揚感は一気に台無しになっていた。
 こいつ邪魔だなぁ、さっさと殺しちゃお。そしたら名前は心置きなく俺と帰れるもんね。何より俺が驚かしたときよりも名前を動揺させている事実が気に食わない。殺意の矛先を手に込めて目の前の人間に触れようとした寸前で、ぐいっと後方に身体が下がった。

「すみません、わたし用事があるのでお先に失礼しますっ!」

 焦りを滲ませながらその人間から離れるように名前は足早に歩き始めた。あの人間を庇っての行動なのは気に入らなかったが、結果的には自分の思い通りに事が運んだ為俺は手を引かれるままついていくことにした。
 ふと、そういえばこうして一緒に街中を歩くのは俺たちが初めて出会って以来だということに気付く。あの時もこんな風に名前が俺の手を握ってきたっけ。
 でも今は――脇目も降らず黙々と歩を進める名前を盗み見る。あの時のへらへらした表情とは打って変って焦燥感に駆られていた。大方あの人間に変に思われてないか、とか下らないことを考えてるのだろう。名前はやたら他者の視線や評価を気にする節がある。そんなものを恐れて縛られているからこそ弄りがいがあるのだが、何故かその様子が癪に障った。何か胸の辺りがもやもやする。やっぱりさっきの人間、殺しておけばよかったな。かといって今から戻るのも面倒だし、これ以上余計なことで時間を無駄にはしたくなかった。けれど道中このままなのもそれはそれで面白くない。
 あ、いいこと思い付いた。徐に俺は名前の腕を引っ張りながら脇道に逸れる。困惑する名前を顧みず薄暗い奥へ奥へと進み、街の喧噪が殆ど届かなくなった頃漸く名前は口を開いた。

「ま、真人さんっ、こっちは帰り道じゃ……」
「よっと、ちゃんと捕まっててね〜」
「え?ちょっ、――――ッ!?」

 確か人間ってこういう時は別のことに意識を向けてやればいいんだよね。人気のない場所を選んで実行したのは俺なりの優しさだった。自身の魂の形を変化させて背中に双翼を生やしてから名前を抱き上げる。勢いよく空へと飛び立つと同時に声にならない悲鳴が耳元で聞こえた。見ると俺にしがみつきながら名前は魚のようにぱくぱくと口を震わせていた。

「あはは、そんなに吃驚した?」
「驚かない方がおかしいですよ……っ!」
「今日の名前は驚いてばっかりだね」
「誰のせいだと思って、」
「でもこの方が早く帰れるでしょ?」
「そういう問題じゃ……、もういいです」

 反論するのも面倒になったのか名前は言い掛けた言葉を飲み込んで大人しく身体を預けてきた。

「絶対に落とさないでくださいね」
「落とさないよ、ちゃんと抱えてあげてるじゃん」
「はぁ、何か物凄く疲れた……早く帰って寝たい」
「えー帰ったら昨日のドラマの続き見ようよ」
「あ、お酒入ってるのであんまり揺らさないで欲しいです」
「もー我儘だなぁ」

 もうすっかりいつもの調子に戻った名前に気を良くした俺はそのお願いをきいてあげることにした。昨日のドラマの続きも明日でいっか。そんなことを考えているうちに燻っていたもやもやは跡形もなく綺麗さっぱり消えていた。