02
 意識がゆっくりと浮き上がるのを感じて、うっすらと瞼を開ける。カーテンの隙間から差し込む朝日に眉を顰めながら身じろぐと頭に鈍痛が走る。まるで仏壇に置かれているお鈴と鈴棒を巨大化させて、一定の間隔で目一杯殴り付けた音が頭の中で反響し続けているかのようだった。いや、何でお鈴と鈴棒なんて例えをここで思い付いたんだろう。普通ハンマーで頭を殴られたような、とかそういう表現の方が適切な気がするのに、縁起でもない。
 寝起きと二日酔いのせいか、意識と身体が上手に繋がらず思うように動かせなくて、溜息が漏れる。今日が土曜で本当に良かった。昨日お酒を飲んだせいで普段よりも喉が渇いてヒリヒリするし、昨日帰ってきてから歯を磨いた記憶がなく、案の定口の中が気持ち悪い。すぐにでもこの状態から抜け出したい気持ちともう少し横になってからでいいやという気持ちが拮抗する。

「あ、やっと起きた?」

 それはいい塩梅に微睡んでいたわたしの意識を一瞬で覚醒させるには十分な衝撃だった。私は一人暮らしで、昨日は一人で飲んでいたはずだ。だから、今、この部屋に自分以外の誰かがいるなんてどう考えても可笑しい。全身から血の気が引くのを感じて息が詰まる。背後からは、おはよ〜なんてこの場にそぐわない暢気な声が聞こえてきて、それが余計に恐怖を駆り立たせた。
 背後を振り向くことは疎か身動きひとつできず、悄然としているわたしに痺れを切らしたようにゆっくりとこちらに気配が近付いてくるのが分かった。

「ね、起きてるよね。何で寝たふりしてるの?」

 後頭部のすぐ近くの布団が沈んで、うっすらと顔に影が被さる。意を決して恐る恐る首だけをそちらへ向けると、顔に継ぎ目のある左右非対称の目とかち合う。再度おはよ〜と言った彼の白銅色の髪がさらりと揺れるのを見て、更に頭が痛くなった。夢ならさっさと醒めろ、と念じてみたものの、目の前の“それ”は消えるはずもなかった。

「え、っと……、どちら様、でしょうか……?」
「ああ、そういえば自己紹介してなかったね。俺は真人だよ」
「あ、はい……」
「それで、俺は律義にも君が起きるまで待っててあげたんだからさ、いい加減教えてくれない?」
「……あの、何の話でしょうか……、話が全く見えないんですが、」
「君が言ったんだろ、愛が何なのか教えてくれるって」
「は、え……わたしそんなこと――」

 あれだけ見て見ぬふりをしてきたのに、まさか“それ”とこうして会話することになるとは夢にも思わず、しどろもどろになりながらも昨日の記憶を思い返すことに専念する。
 所々抜け落ちてはいるものの、残念ながらそんな会話をしたことはしっかりと覚えていた。新手のワンナイトの誘い方とか、酔っていたとはいえ我ながら何というとんでもない勘違いをしてくれたのだろう。ガンガンと絶えず頭を打ち鳴らす痛みに唇を噛む。
 そこではっとして布団を捲る。上半身がブラジャーのみなのが気になるが、下の衣類は全く乱れてはいなくて胸を撫で下ろした。これで心配の種がひとつ減った、まぁ残る種が大き過ぎるのだけど。上に服を着ていないせいではない冷たさに肌が粟立つのを感じる。

「……すみません。昨日は酔っていて、ぼんやりとしか覚えてないですけど、教えるって確かに言いました。ただ、あの……、愛が何なのか正直わたしもよく分かりません。なので、今のわたしは真人さんが求めるものを差し出すことはできません」
「ふーん、それで?」
「けど、真人さんの納得のいく答えが見つかるまで協力することはできます。だから……」
「だから、それまで殺さないで、とでもいうつもり?そんな口約束で君を信じろって?」

 君は一度その口約束を破っているのに、ひやりとした彼の指先が私の首筋をなぞる。まるで心臓を直接握られているようで、悲鳴を上げそうになるのを何度も喉の奥で押し殺す。

「ど、すれば、信じてもらえ、ますか……?」
「んーそうだなぁ、」

 品定めするような目でわたしを撫ぜてから、やがて口元を歪める。

「なら縛りを結んでみる?」
「縛り……?」
「簡単にいうと、破ると報いを受ける誓約のことだよ。内容は、」

『一か月以内に君は俺が納得のいく答えを導き出す。その間俺は君に危害は加えない』

「期限付きなんですね……」
「当然。そうしないと君が無駄に時間を引き延ばすかもしれないでしょ。何、この条件じゃあ不満?これでも妥協したつもりだよ」
「、いえ、その条件で構いません」

 ぐっと強まった冷たさに嫌な汗が背中を伝う。それが全身を呑み込む前にわたしは首を縦に振るしかなかった。その様子を見た彼は満足そうに嗤って冷たさを潜ませた。
 精々頑張りなよ、なんて声が聞こえたが、それに返事をすることはできなかった。二日酔いと真人さんによる負荷を同時に受け続けた私はもう、限界だった。コンセントから電源コードをいきなり引っこ抜いたようにぶつり、とそこで意識が途切れる。
 どこかでチーンという甲高い音色が澄み渡って消えていった。