01
 “それら”はわたしが物心ついた頃には、当たり前にそこにいた。道端に立ち尽くしていたり、誰かの肩に乗りかかっていたり、宙に浮いていたりする“それら”は大きさも見た目も様々で、特に人が多く集まるような場所でよく見かけていた。
 時にちょっかいをかけて来たり、わたしから話しかけたりすることもあったけれど、その度にまわりから心無い言葉と奇異の目を向けられ続ければ幼心でも理解する。“それら”は見えてはいけないもので、また見えていることを知られてはいけないんだ、と。そのときわたしが恐ろしいと思ったのは“それら”に対してではなく人間の方だった。
 どうして自分ばかり、と何度目かの涙を零したときに、ふと気が付く。人は、自分とは違う、或いは自分を含めたその他大勢とは何か異なるものを持っている人間というのは、容易に排除の対象になる。そして、それは少しまわりを見渡せば、そんな事例は悲しいほどいくらでも転がっていた。
 例えば、信仰する神が異なることによる排除、国籍や肌の色、生まれが異なることによる排除、言葉が異なることによる排除、病を抱えていることによる排除、見た目の差による排除、能力の差による排除、考え方の差による排除――。
 それは遠いどこかの国で紛争が、だなんてまるで画面越しにゲームの世界でも眺めているような感覚じゃない。とても身近で、日常のあらゆる場面で、あらゆる排除の対象を目の当たりにし、そして何とか自分は排除する側にまわろうとする。でもその排除の対象は何か条件が変化すると手のひらを返したように簡単に排除される側にまわされる。その繰り返し。
 他人を変えられるような力なんて持ち合わせていない、ただの凡人のわたしはその事実を前に諦めざるを得なかった。本当のわたしを表に出せば淘汰されることが目に見えているのに、わざわざ傷付きにいくほどマゾではないし、それに耐えられるほどのメンタルも持ち合わせていない。だから嫌でも周囲に同調することに徹して、見えている“それら”は自分の妄想なんだと無理矢理言い聞かせるようにした。そうすれば友人も彼氏もそれなりにできて、わたしは排除される側ではなくなった。
 これからもそうして騙し騙し生きていくしかないし、きっとこれが普通なのだろう。自分が不幸だなんて悦に浸るつもりはないし、それがこの世の中で生きていくということなんだろう、と頭では分かっている。分かってはいてもふとした瞬間、本当に全てがどうでもよく思えてしまうような虚無感に包まれてしまう。今みたいにつらつらと無駄に物思いに耽る程度には、今のわたしは辟易としていた。

「はぁ、飲んでから帰ろ……」

 そばに寄ってきた“それ”をさり気なく避けつつ、目の前にあるバーの扉を押し開けた。


*


 普段よりちょっと飲み過ぎたかもなぁ、ふわふわとした気分で家路についていると、前から人が歩いてきていることに気付くのが僅かに遅れてしまった。あ、すみません、と小さく謝りながらその人の横を通り過ぎようとした瞬間、勢いよく腕を掴まれ反射的にびくり、と身体が跳ねた。

「君、俺のこと見えるんだね」
「っ、え?」

 ばくばくとなる胸を押さえながら、今の衝撃で酔いが回るのを感じつつ振り返ると、笑顔の男の人と目が合った、ような気がする。目が少し霞んでしまってよく見えないが、多分整った顔立ちをしている彼はこちらを見つめながら何かを言っているようだった。

「あ、の……、すみません、何て言いました?」
「もー、ちゃんと一回で聞き取ってくれない?だからぁ、お姉さん、愛って何なのか知ってる?知ってたら教えてくれない?」
「はい?」

 きっとわたしは今怪訝そうな顔をしているに違いない。突然見知らぬ人に腕を掴まれながら唐突に愛って何かなんて聞かれれば誰だってそうなる。けれど酔いの回った頭に中には、あ、これ新手のワンナイトのお誘いか何かなのかも、という考えが浮かんだ。
 まぁ確かにそういう表現の仕方もできなくもないか。今彼氏がいる訳でもないし、今日くらい遊んじゃおうかな。イケメンの彼に声を掛けられたことにちょっと気を良くしたわたしは了承の意を示すことにした。

「さっき飲み過ぎてあんまり手持ちないんです。わたしの家でもいいですか?すぐ近くなので」
「俺は別にどこでもいいよ」
「じゃあそれで。というか、お兄さん手離してくれません?」
「逃げられても面倒くさいからさ」
「逃げたりしないですよ」

 というか別にわたしに逃げられてもお兄さん困らないでしょ、というわたしの言葉にまぁね、なんて素直すぎる返事に思わず笑ってしまった。
 そりゃ相手には困らない見た目してるもんなぁ、と思いつつ、やっぱり腕を掴まれながらはちょっと歩きにくい。一旦手を離して貰ってから、お兄さんの手を握って今度こそ帰路についた。