気になる五条



「あんなの毎日よくやれるよな」
「ああ、悟おはよう。気が付かなかったよ」
「嘘つけ、目ぇ合っただろ」

 ああ、やっぱり違う。白々しくそう返す傑の調子はいつも通りの筈なのに何故か違和感を覚える。傑だけじゃない、硝子も何かが変わった。それは近くで見てきた俺にしか気付けないような僅かな変化で、でもその何かが分からず最近の俺はイライラしていた。ただ、その変化の原因に間違いなくあの女が絡んでいることだけははっきり分かっていた。
  名字は長い間海外に住んでいたらしく、そのせいか初めから妙に馴れ馴れしかった。今まで何の苦労もせずのうのうと生きてきたような天真爛漫さも俺にとっては癪に障るものだった。つまりあいつへの第一印象は最悪で、こんな奴とこれから毎日顔を合わせなきゃならないのかと思うと吐き気さえした。
 極めつけはさっきのあれだ。傑と名字が頬を合わせていたのを思い返す。海外の挨拶の一種だか何だか知らないが、あんな軽々しく他人と触れ合うなんて考えられなかった。つーかわざわざ日本に来てまですることじゃねーだろ。そんな冷めた目で見る俺を余所にふたりはあっさり馴染んでいった。まるで俺の方がおかしいのかと居心地の悪さを感じる程に。硝子は幼馴染で気の置けない仲だからとまだ片付けられるにしても、何の接点もなかった傑がどうしてそんなにすんなり受け入れられるのか俺には理解できなかった。

「……なぁ、そんなにいいモンなの?」
「最初は私も驚いたけど、悟が思ってる程悪いものじゃないよ」

 悟も触れてみれば分かるんじゃないかな、そう言った傑は今まで見たことのない表情をしていた。何がそこまでそうさせるのか俺には全く分からなくて、それが余計にイライラを加速させた。

「まぁ、まずは名前に対する態度を改めないことには話にならないけどね」

 咎めるような声に盛大に舌打ちをする。俺の名字に対する態度が褒められるものでないことは自覚しているし、それを隠そうとも思っていない。ただ、傑を変えた何かの正体が気になるのもまた事実だった。正直そこまでする価値があるようには思えないが、これ以上イライラし続けるくらいならさっさと解決させてしまいたかった。



 だからこうして、俺は名字がひとりになったところを見計らって声を掛けた。悟くんから話しかけてくるなんて珍しいね、なんて言いながら嫌がる素振りすら見せず名字は俺の質問にあっさりと答えた。

「だって人に会ったらまずは挨拶するものでしょ?日本だとお辞儀や会釈をしたり家族や友達には手を振ったりするように、わたしにとってビズは普通の挨拶なの」

 それに、と目尻を下げて名字は嬉しそうに続けた。

「ビズするとね、何だかすごく愛を感じるし、自分からも“だいすきだよ”って気持ちをいっぱい伝えられる手段だなって思うから」
「はっ、頭ん中お花畑かよ」

 やっぱり気にする価値なんてなかったな。心が急速に冷えていくのを感じる。愛なんて言葉を恥ずかしげもなく使った名字を嘲笑いながら目を細めた。
 俺に対して他人が取る行動といえば五条家に取り入ろうとしてくる奴らか、俺で己の承認欲求を満たしたいだけの馬鹿な女共しかいない。血の繋がった両親でさえ無下限呪術と六眼を併せ持った五条家跡取りとしての俺にしか興味がなく、共に過ごした記憶なんてまるでなかった。愛なんてどこにあるっていうんだ。

「愛なんてこの世に存在しねぇんだよ」
「悟くんが気付いてないだけで愛は近くにちゃんとあるよ」

 吐き捨てる俺に名字はそう言い切った。へらり、と笑ってはいてもその声はしっかりと芯のある確信めいたものだった。

「例えば悟くんが傑や硝子を大切に想ってる気持ちにだって愛はあるでしょ?」
「は?お前に何が分かるんだよ」
「分かるよ。だってふたりを見るときの悟くんは凄く優しい目をしてるもん」

 だからわたしは悟くんと仲良くなりたいなって思ったんだぁ、という名字はどう見ても嘘をついているようには見えなくて面食らう。

「硝子から話を聞いていたときからそうだったけど、そんな悟くんを知った今はもっとそう思うようになったけどね」

 馬鹿じゃねーの。こんだけ分かりやすくお前が気に食わないって態度取ってくる相手によくそんなことが言えんな。頭湧いてんだろ。善人ぶってる自分に酔ってんじゃねーよ。言い返す言葉は山ほど浮かんでくるのに、俺は口を噤んだ。あれだけ嫌悪感を感じていていた癖に、名字にそう言われて不思議と嫌だと思っていない自分に気が付いたからだった。取り入ろうとしてくる奴らや媚を売ってくる奴らとも違う。かといって傑や硝子とも少し違うような、むずむずとした気持ちをどうしようもなく持て余していた。
 “悟も触れてみれば分かるんじゃないかな”
 頭の中で傑の台詞が反響する。傑の言うように名前に触れればそれが何なのか、俺にも分かるのだろうか。