喚けば届くわけじゃない

高専夏油と同級生 ※暗め



 街の景色もすれ違う人の姿もどこか蜃気楼のようにぼんやりとしている中、少し離れたところに鮮明な二人の男女が向かい合っている。それを見て瞬時に分かった。嗚呼これは夢だ。

「夜蛾先生がね、傑くんが派遣先の人たちをみんな殺したっていうの」
「そんな訳ないのに、ね、何かの間違いでしょ?」
「だって、傑くんは、弱きを助け強きを挫くって。呪術は非術師を守るためにあるって、そう言ってたもんね……?」

 制服を着た女がそう捲し立てるも、制服を着た男は真っ直ぐに視線だけを女に向けるだけで何も言わなかった。それに耐え切れずに女は再び言葉を絞り出す。

「ねぇ、何があったの?言葉にしてくれなきゃ、わたし、分かんないよ……」
「……」
「、どうして何も言ってくれないの……」
「君に言ったところで、何が変わるっていうんだい?」
「え、」
「最初から名前は、私を理解する気なんかなかったろう」

 まるでガラス細工にでも触れるような、慣れ親しんだ繊細な温かさはそこにはなく、剥き出しの鋭さが女を貫く。それは女を通してわたしへと至った。
 当時のわたしは否定するだろうが、今のわたしにはその男の、傑くんの言葉は正しくわたしの核心を抉るものだと分かる。――違う。本当は、当時のわたしも何となく感じていた。いつからか、傑くんが何かに愁苦辛勤していたことを。それが日に日に彼をすり減らしていったことも。けれど、わたしはそれに触れることはしなかった。触れてしまえば、もう今までのような関係ではいられない気がして、未知の恐怖に負けて、勝手に一線を引いてしまった。わたしには、傑くんのそれを受け入れるだけの勇気も自信もなくて、見て見ぬふりすることを選んでしまった。
 だから、目の前のわたしは何の反論もできずに、ただ涙を流すしかできないでいるのだ。そんな卑怯なわたしを見透かしたように、彼は目を細めてほんの少しだけ寂しげに笑った。

「お願い、行かないで……」
「……、ごめんね」

 背を向けた彼の制服を未練がましく掴む目の前のわたしは、いつもみたいに仕方ないなと笑いかけて欲しいとどこまでも我儘で幼稚に喚いた。けれど、それでよかったのかもしれない。なりふり構わずにもっと早く、そうしていたら、何かが違っていたかもしれなかった。それに気付くのがもうどうにもならないくらい遅過ぎたのだと、彼の背中が物語っていた。
 彼は簡単に振り払って進むこともできたはずなのに、少し振り返ってやんわりと目の前のわたしの指を解いた。
 最後のそれは残酷なくらい優しくて狡かった。全てが淡く溶けていく中でそれだけが鮮明にわたしの手元に残った。




 目を開けると、いつもと同じ朝を迎えて、いつもと同じ憂鬱を感じた。服やごみが散乱した部屋を横目に点滅する携帯を手に取ると、久しぶりに開いたそこには何件か着信やメールが届いていた。その中から一番上の着信履歴にカーソルを合わせてボタンを押す。無機質なコール音をぼんやりとしながら聞いていると、途中でぷつ、と音が消えた。

「おー生きてたんだな」
「うん、一応ね」

 数か月ぶりに聞いた同級生の声色は懐かしくて、でも何だか少し大人びて聞こえた。

「わたし復学することにしたよ」
「へぇ、今にも死にそうって感じだったのに。どういう心境の変化?」
「何も変わってないよ、これからもずっとね」

 脱力感と倦怠感と嫌悪感は、あの日から今もずっと変わらず心に巣食っている。あのときああしていればこうしていれば、なんて解決できないことを解決するために唯一機能した脳を動かしていたが、そんなもの程度が知れていた。
 でもそれは、わたしにとって必要な時間だったのかもしれないと、今になって思う。考えるより先に動き出すなんて滅多にできるものではないし、それこそ辛い思いの為に身体が先に動くなんてその方がどうかしている。そうでなければ、今のわたしはきっとこうしてはいなかった。
 ならいっそ開き直って自分の愚かさや惨めさに従順になってしまおうと、あの夢を見てそう思えた。私の中の傑くんを、嘘にしてしまいたくはなかった。

「それでもいいやって、観念しただけ」
「ふーん、いいんじゃない?名前らしくて」

 虚飾のないその言葉は雑にわたしの背中を押してくれた気がして、視界が少しだけ滲んだ。