青に溺れろ

さしす組と同級生



「はぁー……」

 わざとらしく声に出して溜息をついてみたものの、肺の中身をすっきり出しただけで一向に気分は晴れない。そんなわたしとは対照的に、空は抜けるような青さに澄み切っていて更に心が荒れていく。ついさっきまではこの空にも負けないくらい輝いていたのにな。真っ暗な携帯の画面をぼうっと見つめながら、ここ最近わたしの心の大半を占めていた人物のことを思い浮かべる。
 彼は他校の男子で、わたしの不注意で道端で扱けてしまったところを、偶然通り掛かった彼が心配そうに声をかけてくれたのがきっかけだった。これ使って、と絆創膏を差し出されたところで、その優しさにうっかり恋に落ちてしまったわたしは、お礼がしたいという口実で彼と連絡先を交換した。
 それからはお互いの時間を合わせて、ちょっとした遊びに出掛けることもあった。彼に少しでも可愛いって思ってもらいたくて身だしなみに気を配ったり、そわそわしながら返信を待ったりして、毎日が充実していた。
 みんなからは、最近やけに楽しそうだね、と笑われるくらい、分かりやすくわたしは舞い上がっていた。その勢いのまま、思い切って彼に告白をしたのがついさっき。そしてわたしの恋心は呆気なく玉砕してしまった。もしかしたら、なんて浮かれていた自分が馬鹿みたいで恥ずかしくなる。
 屋上の柵に凭れながら、立てた膝に額を押し当てて何度目かの溜息を漏らしていると、握ったままだった携帯が震えた。のっそりと画面を見ると硝子からのメールだった。

『名前サボり?どこいるの?』
『屋上でサボってる〜』

 授業が始まる前に少しだけ気分転換をするつもりが、とっくに授業の時間になっていたらしい。けれど今は何も考えたくないし、どうしても一人になりたかった。硝子に返信をして、さっきと同じ体制に戻る。今日くらいいいよね、と自分に言い訳をしながら瞼を伏せた。



 どのくらい時間が経っただろう。数分、もしくは数十分はそうしていたかもしれない。微かに屋上へと続く階段を誰かが登ってくる音が聞こえて顔を上げる。この時間に屋上に用がある人なんか限られているのに。
 一瞬硝子かなとも思ったが、すぐにその考えは掻き消える。彼女は面倒くさがりなきらいがあるが、割と真面目に授業に出るタイプだ。となると、もう夜蛾先生しか思い付かなかった。授業に出ていないわたしを険しい顔で探し回っている姿を想像して、悪寒がした。まぁ、サボったわたしが悪いもん、しょうがないよね。潔く怒られよう。
 がちゃり、と屋上の扉が開く音がした。

「え、二人とも何でここに……」
「授業ちょー退屈だったから抜け出してきちゃった」
「名前が授業をサボるなんて珍しいからね、一応様子を見にきたんだ」

 現れたのは般若顔の夜蛾先生ではなく、五条と夏油で、僅かに身構えていたわたしは面食らう。いつもの調子で話している彼らに、酷く安心して自然と肩の力が抜けた。
 心配の色が見え隠れしている彼らに、大丈夫だよ、と口を開いたつもりだったのに、代わりにぽろり、と何かが落ちる。あれ、気まで抜いたつもりなかったんだけどな、おかしいな。堰を切ったように涙が溢れて、止まらない。
 狼狽えながらも駆け寄ってきた彼らは特に何も聞かずに、五条は不器用な手つきで頭を撫でてくれて、夏油は背中を優しく擦ってくれた。



「落ち着いた?」
「……まぁ、だいぶ」

 泣き過ぎたのと、同級生の男子ふたりに泣き顔を見られたのとで、頭がズキズキする。冷静になると無性に気恥ずかしくて、俯きがちに鼻を啜ってそう答えた。それは彼らも同じなのか何ともいえない空気が漂っていて、落ち着かない。
 すると、ずっと黙り込んでいた五条が頭をがしがしと掻きながら、あ゛ー辛気臭ぇ、と口を開いた。

「イケメンの俺が慰めてやってんだから、お前はさっさとそのブス顔どうにかしろよ」

 五条のいる方を見上げると、その目は微かに泳いでいるように見えて、それが彼なりの精一杯の悪態なんだと気が付いた。

「……でもわたし、五条は整った顔してると思うけど、ぶっちゃけタイプじゃない」
「……は?」

 途端、横にいた夏油が吹き出す。ぽかんとしていた五条は、その声に我に返るとわたしの額に思いきりデコピンした。

「いだっ!!ちょっ、今の結構本気だっだでしょ、まじで痛いんだけどっ!」
「はっ、ざまぁ〜」
「名前、悟は今女子にタイプじゃないって言われて軽くショック受けちゃってるだけだから、大目に見てあげて」
「ハァ?ちげーよ。つーか、名前!なら傑はどうなんだよ!?」
「え、夏油?うーん……五条よりはタイプの顔だけど、夏油は変な前髪してるし、意外とネチネチしてるとこあるか、っいひゃいいひゃい!」

 五条の悪態を輪切りに、さっきまでの妙な気まずさはなくなっていった。横でお腹を抱えて笑い転げている五条と無言の笑顔で頬を抓ってくる夏油を見て、いつも通りの心地よさにわたしも同じように笑ってしまった。

「あんたら戻ってくるの遅い。先生怒ってるよ」
「硝子!」

 屋上の出入り口から聞こえた声の元へ駆け寄って抱き着く。耳元で、メールしてくれてありがとう、と呟く。思ってた以上に元気じゃん、心配して損した、と軽くわたしの頭に硝子の頭をぶつけてきて、返事をする代わりに腕の力を少し込める。
 顔だけを彼らの方に向き直して、息を吸い込んだ。

「硝子ぉ、五条と夏油がわたしのこといじめてくる〜」
「私は売られた喧嘩を買っただけだよ」
「ほらぁ!えーん硝子慰めてぇ」
「あーよしよし」
「おい、嘘泣きこいてんじゃねーぞどブス」
「はい傷付いた!もう無理硝子今日一緒に寝て!」
「はぁ……今日だけだからね」
「! やったぁ、硝子大好き」
「えー俺らは?」
「部屋にクズ共を入れる訳ないだろ」

 そんな他愛ない会話を、今度は四人でしながら階段を降り出すころには、鉛色の心は完全に青に塗り潰されていた。