あつくなり、さむくなり、季節がゆっくりとわたしの横をはしりぬけていきました。何度も何度も。あついなと彼女との日日をおもい、さむいなと彼女の体温をおもい、かなしかなしと息をしておりました。十をすぎたころから、歳を数えることはやめました。


 このごろは、いくつ目かの雨の季節やってきており、わたしの住む山はながらく低い雲にどろどろとおおわれております。きょうの雨はとくにひどく、庭で木のようにおおきく育ったあじさいのちいさな花をちらしています。花たちはいつのまにか幾分赤味をましたようにみえます。わたしはというと、濡れ縁にぽつねんとすわり、ぼさぼさになった茅からたれるしずくが踏石に穴を穿とうとあたっては、はじけるのをじっとみていました。じめじめとあつく、不快でねむくなるこの季節がわたしはきらいではありません。湿気はじっとりとわたしによりそいってくれます。
 一際おおきなしずくが踏石のうえではじけたとき、突然わたしのなかもはじけるようにあつくなり、心の臓がにぎりつぶされるような痛みがおそいました。なにごとかとつよく目蓋をとじましたら、頬のうえをなにかがころころところがるのを感じました。目をあけて、したをみてみれば、板張りの床がとことどころまるく色を濃くしています。眉をよせれば、またころりと頬をなにかが走り、床を黒く染めました。
 ああ、これが、


トンテンチリリ
チリトテシャン


 泪なのか。
 そうおもった瞬間、わたしのちいさな頭の中で、糸をはじく音がこだましました。さっきからなんなのだ。わたしは依然として泪をながしつづける目を力づくでぬぐい、その濡れた手で耳をふさぎました。音の正体はおそらくわたしのだいきらいな楽器です。さらに、その音はこの世のものとはおもえぬほどうつくしく、彼女の声に似ていました。わたしはそれを心から、ききたくありませんでした。しかし、いくら耳をつよくふさいでもそれはきこえてきます。どこからというわけでもなく、彼女のなき声に似た音が。ほそくもつよくはっきりとわたしの名をよぶ声が。
 わたしは駈けだしました、音によばれるままに。いままでのわたしではかんがえられないほどはやく、木木の間をぬけ、山をくだりました。わたしが一歩、脚を踏みだすたびにその音はおおきくなっていきます。降りつづける雨がわたしの体にへばりつき噴きだす熱をゆっくりとさましてくれました。

 そのひとはすこし前のわたしとおなじように濡縁にすわっていました。ちいさな膝のうえにわたしのだいきらいな楽器をのせて。地面や屋根、木木の葉を打つ雨音と呼応するようにしあわせそうに糸をはじいていました。

「あら、かわいらしいお客さま」

 ゆたかな濡烏の髪をゆるく結いあげたそのひとは、庭の片隅に立つわたしに気がつくと糸をはじくその手はとめず、うつくしい顔に幼い笑みをうかべそう言いました。歌うようでもあったし、その声がひとつの楽器の音色ののうでもあり、とても魅力的でした。白い太縞の走る利休鼠の単衣は涼しげで大人びていて、その幼い笑顔とあいまって、不思議な魅力をつくりだしていました。 楽器にふれるそのひとの手はやさしく、それにこたえるように張られた白い皮はうつくしい音色をひびかせています。

「あなたはこの子がきらいじゃないの」

 そのひとは丁寧に楽器をふき、布でつつみ、雨のはいりこまない障子のかげにおきました。そして、雨に濡れるのもいとわず、白足袋のままぬかるんだ地面にとびおりて、べちゃべちゃとあるき、わたしをそっとだきあげました。

 

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -