The Reward

 女がひとり、真夜中の森を歩いていた。どうやらどこか目的地があるらしく、その足取りには迷いがなかった。やがて、一軒の小作りな家が見えた。女は黒いマントの下から棒きれのようなものを取り出し、何事かを呟いた。
「良い夜だわ」
 思いの外高く、あどけない声だった。ニヤリと笑った薄い唇のような月が女の顔を照らした。女は仮面を付けていた。黒と白の不気味な仮面だった。
 女は家の扉をコンコンとノックした。何も反応がない。しばらくしてもう一度、今度は強めに戸を叩くと、家の中で人の気配がうごめくのが感じられた。
「どなた?」
 訝しげな婦人の声が中から尋ねた。
「夜分遅くにごめんなさいね。でも、これも仕事なの」
 ハッと息を呑む音がした。だがもう遅い。
「アロホモラ」
 厳重にいくつもかかっていた鍵が、バンバンと大きな音をたてて外れた。凄まじい勢いで扉が開く。女は仮面の一部を除いて、全身真っ黒な衣を着込んでいた。婦人は悲鳴を上げた。
「アバダ・ケダブラ」
 緑の閃光が女の手にした短い杖から放たれた。婦人は恐怖に引きつった顔のまま、ばったりと後ろに倒れた。ランタンが割れ、破片が飛び散った。女は婦人を見下ろした。その瞳にはもう光が映っていなかった。
 婦人の悲鳴とガラスの割れた音を聞きつけたのだろう、階段の上の方からドタバタと騒音がした。
「ママ!」
「母さん、どうしたの!?」
 子どもだった。ひとりは十歳前後の少女で、もうひとりは十五歳くらいの少年。パジャマ姿のまま階段を降りてくる所を見て、女はまた無情にも杖を向けた。
「アバダ・ケダブラ」
 狙いは少年の方だった。少年は女と床に倒れた自分の母親の姿を見たと同時に、緑の光で胸を貫かれた。何の言葉も発することもできず、少年は階段から転げ落ちた。
 少女は階段の上でただ呆然としていた。いや、パニックを起こして動けないといった方が正しかった。女は柔らかく声をかけた。
「お嬢ちゃん。心配しなくても大丈夫よ。一瞬のことだから」
 わけもわからず少女は全身をブルブルと震わせていた。女は仮面の下で、にっこりと笑っていた。
「もっとも、私は死んだことないからわからないけど。──アバダ・ケダブラ」
 暗闇に緑が走ると、少女はぱったりとその場に倒れ、人形のように動かなくなった。再び家の中に静寂が戻ってきた。
「ご主人はお留守のようね」
 女はくるりと踵を返すと、玄関を出て最後の仕上げをした。
「モースモードル」
 たちまち、緑色に輝く印が家上高く舞い上がった。ひょろりとした月よりもずっとギラギラと輝いているそれは、巨大な髑髏──「闇の印」と恐れられる代物だった。女はうっとりとそれを眺めていた。すると、突然近くでバシッという鞭がしなるような音がした。
「バーバラ!──ウォルター!パメラ!」
 背の高い男が半狂乱になりながら家の方に向かって走ってきた。女は逃げようともせず、玄関の横で壁に寄りかかるように立っていた。女に気づいて、男は恐怖に顔を染めた。しかし、怒りの方が勝ったのだろう、ポケットのあたりから杖を取り出し──。
「アバダ・ケダブラ」
 走り寄ってきた男はバタリと地に突っ伏した。しかし、緑の閃光を走らせたのは女ではなかった。死んだ男の向こう側に、もっと背の高い、そして真っ黒なローブで全身を覆った男が、杖を構えて立っていた。女は男の姿を認めると、軽やかな足取りで近寄っていった。
「我が君」
 女は仮面を外した。その顔は、本当にあどけなく喜びに輝いていた。そして、驚くべきことに──ふっくらとした唇と、健康そうな肌の色から見て──さっきその手に下した少年と、そう違わない年頃のように見えた。
「我が君」
 女は笑顔のまま、黒ずくめの男の足元に跪き、その不気味なほどやせ細った手にキスをした。
「わざわざいらして下さったの」
 男は残忍そうな笑みを浮かべて肉塊と成り果てた男を見下ろした。
「このヴォルデモート卿直々に手を下してやったことを光栄に思うがよい、キャドラック」
「私ひとりでもできたのに」
 女は拗ねたように呟いた。ヴォルデモートは女を引き寄せ、その髪で戯れながら言った。
「キャドラック家と言えば名家だからな。さすがのお前でも手こずるだろうと思ったが……杞憂だったな。さすがはシェリー・ロレンスといったところか」
「お褒めにあずかり、光栄の極みだわ」
 シェリーは無邪気に笑った。笑みは女をよりいっそう幼く見せた。
「我が君。ご褒美を下さる?」
 ヴォルデモートは血のように真っ赤な両眼を細めた。気を悪くしたのではないらしく、シェリーの肩を抱いたまま歩を進めた。
「珍しいこともあるものだ。よかろう、くれてやる。何が望みだ」
「私、ほしいものがあるの」
 夢見るようにシェリーは言った。その目は暗闇でも光をちらつかせ、世の中の汚いことすべてを知らぬ純粋な子どもの目のようだった。
「あのハシバミ色の瞳も、幼い戯言を繰り返す唇も、勇気を紡ぎ出す心臓も。無邪気な髪の一本一本でさえも、そっくりそのまま」
 ヴォルデモートは黙ってシェリーの言葉を聞いていた。詩を紡ぐが如くの不思議な音律が、口を挟むことを許さなかった。
「下さったら、大切にするわ。ガラスケースに閉じ込めて、誰の目も届かない場所で、ずっと一緒にいるの。夜には出して、一緒に大きな天蓋付きのベッドで眠るわ。たまにお仕事が入ったら、厳重に幾重にも警備を張り巡らして、それから出かける。手早く確実に終わらせて、我が君にご報告した後には、一目散に帰ってゆくことをお許しになってね?」
 狂ったような美しい言葉に、ヴォルデモートは聞き惚れた。シェリーはヴォルデモートに向かって母親のように微笑んだ。
「ジェームズ・ポッターか」
 ヴォルデモートは苦々しく思い当たる名をひとつあげた。
「あの若造か」
「ええ、そう。愛しい私のジェームズ」
 恍惚とした表情でシェリーはため息をついた。
「ポッターが手に入ればいいのだな?どんな形であっても」
「五体満足じゃなきゃいやよ。じゃなきゃ、一緒に眠ることができないわ、我が君」
 甘えるようにシェリーは言った。
「──でも、冷たくてもかまわないわ。私が温めてあげるから」
 ゾッとするほど美しい声音だった。ヴォルデモートは真紅の瞳で満足げにシェリーを見つめていた。
「わかった。その願い、必ず叶えてやろう」
「嬉しい!ありがとうございます、我が君!」
 シェリーはヴォルデモートの腕にギュッと抱きついた。
「行くぞ。そろそろ小うるさい虫どもがかぎつけてくるだろう」
 シェリーを腕にしがみつかせたまま、ヴォルデモートは杖を振った。バシッという音がしたかと思うと、途端に二つの黒い影は見失われ、何事もなかったかのように森は静寂に包まれた。






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