雪の深さを知っているから

 ホグワーツの雪景色は美しい。スリザリンの談話室が地下にあることの欠点は、この美しい景色が見られないことだとシェリー・ロレンスは思っていた。
 真夜中の談話室で、シェリーはひとり宿題を片づけていた。いや、訂正しよう。それだけではない。シェリーは待っていた。お茶の用意をして、ブランケットを巻き付けて、もうすぐ帰ってくるはずのトム・リドルを待っていた。
 シェリーとトムが付き合うようになったのは、二ヶ月ほど前だ。でもシェリーは、一年生の頃からずっとずっとトムが好きだった。
「はい、落としたよ」
 きっかけは、何でもない、よくある日常の一コマだった。授業初日、落とした羽根ペンを拾ってくれた男の子──それがトムだった。
 心奪われたという表現がまさか自分に当てはまる時が来ようとは、思いもしなかった。それから、朝に「おはよう」と言ってくれたり、たまに図書館で会うと親切に勉強を教えてくれたり、そんな些細なことを積み重なって、シェリーはどんどんトムのことを好きになっていった。
 でも、トムはとっても女の子から人気があった。シェリーがやっと、自分がトムに恋していると自覚した時、トムにはもうガールフレンドがいた。それを知った時、シェリーは寮のベッドでひとりむせび泣いた。諦めよう、と何度も思った。どうせ、平凡な自分なんか、トムが好きになってくれるはずがない──。しかし想いは捨てきれず、いつもトムのことを考えてしまう。それはトムとガールフレンドの関係がいつも長続きせずに終わってしまうのも原因だった。
 しかし、一年、また一年と過ぎていく中で、シェリーは少しずつ変わっていった。学年トップのトムに少しでも近づこうと、勉強もがんばるようになった。少しでも可愛くなろうと、美容にも気を遣うようになった。少しずつ勇気を溜めていったシェリーは、二ヶ月前、トムがまた別れたという話を聞いて──今までの人生で一番の勇気を持って、とうとうトムに告白した。
 信じられないことに、返事はオーケーだった。
 その時どんなに幸せだったか、どんなに感激したか、きっと神様だってわかってくれないだろう!その日の夜は、同室の親友に涙を流しながら報告した。親友ももらい泣きしながら、「よかったね」と言ってくれた。
 それから、シェリーはトムと一緒にいることが多くなった。トムはいつも優しい。時々どこかに行ってしまうこともあったが、シェリーは不満に思ったことなど一度もなかった。
 ただ──。
 シェリーは暖炉の燃える炎を見つめた。
 ふとした瞬間、例え隣にいても、トムを遠くに感じることがあった。その時、多分目の錯覚だろうが、トムの瞳は決まって緋色に染まっているように見えるのだ。
 近くにいても、深い隔たりを感じる。
 これが、今までトムと付き合った子が皆長続きしなかった理由なんだ、と察しはついた。だが、シェリーはまだトムを失いたくはなかった。傍にいれるだけでいい。例え、彼が私を本当の意味で見てくれなくても。  
 入り口の方で、合い言葉を唱える声がした。シェリーは羽根ペンを置いた。
「──シェリー?」
 トムの穏やかな声がした。シェリーは振り返って、ふわりと笑った。
「お帰り、トム」
「待っててくれたの?」
 トムは椅子の背から顔を覗かせ、シェリーを見下ろした。
「うーん、それと、宿題もね」
「あ、それはこっちの参考書使うといいよ」
 トムは積み重ねてある参考書から一冊抜き出して、シェリーに渡した。
「ありがとう。外、雪だった?」
「うん、真っ白だったよ。だから廊下も冷え込んでて、ほら、こんなに冷たい」
 トムは二つの手でシェリーの両頬を触った。びっくりしてシェリーは「キャッ!」と悲鳴を上げた。トムはクスクス笑っていた。
「氷かと思ったわ!」
「じゃあ──」
 トムは椅子の肘から身を乗り出し、甘い声で言った。
「暖めて、溶かしてもらおうかな」 
 まだ冷たい手がシェリーのあごにかかった。やっぱり冷たい唇が重なる。途端に、自分の頬が熱くなるのがわかった。
 ふたり以外誰もいない談話室で、何度も吐息が混ざり合う。トムとの甘美なキスに酔いながら、シェリーはぼんやり考えた。
 ねえ、トム。あなたが見ているのは、きっと私じゃないのね。ううん、誰でもないのかもしれない。あなたはいつも、暗い底の方を見ている。こうしていても、なぜかあなたは遠い。
 わかっていた。トムにとって自分は、今まで付き合ってきた数多くの女の、その中のひとりでしかない。そう、痛いほどよくわかっていた。
 でも、それでも、深く積もった冷たい雪に魅せられてしまうのは、間違ったことなの?雪の深さを知って、それを溶かしたいと思うのはいけないことなの?
 だんだん酸素が足りなくなって、シェリーの思考は薄れていった。潤んだ目では、ぼんやりとしかトムが見えなくなった。
 ──だから、トムが薄暗い笑みを浮かべているのも、わからなかった。






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