例えば目の前を通り過ぎる電車のように、近くにあっても触れられないものがある時、あなたはどうしますか?
自分が傷つくのも承知です。非常識なことだって罵られるのも覚悟の上です。それでも手を伸ばしてしまう私を、愚かだと嘲笑いますか?それでもどうしようもない衝動を抑えろと教訓を垂れますか?
……いいえ、あなたは多分どちらでもありませんね。きっと黙って手を掴み、引き戻すのでしょう──あなたはそういう人です。
お前に何がわかるのかって、そんな怖い顔で訊かないでくださいよ。ああ、またそんなに眉間にしわを寄せて。あ、ため息もついちゃ駄目です。幸せが逃げてしまいますから。
ええと、話がずれましたね。そう、電車の話です。安易なメタファーですって?ええ、自分にもよくわかってます。でも、それが一番ピッタリ当てはまるんですから。ちょっと黙って聞いていてください。
その電車は、私が乗りたくて乗りたくて仕方ない電車なんです。一面真っ黒な塗装で黒光りして、吐き出される汽笛の音は深く響いて。あまり派手ではないし、それどころかよく揺れるし、車輪も時々キィーって嫌な音を立てる、色々欠点もある電車なんです。
でも、私はその電車に惹かれてやまないんです。毎日毎日その電車が通り過ぎるのを見ています。他の人は、ほとんど気にかけません──いえ、どちらかというと、嫌ってるかもしれません。何しろ、嫌な音を立てたりする電車ですから。でも、私はその嫌な音でさえ、完全に、そして安全に止まろうとする、電車の心遣いのような気がして。重症ですね。
ですけど、その電車は決して私を乗せてはくれません。ひょっとしたら、電車の中に乗客はいないのかもしれない。そんなことはないと思うのですが、愚かな私はますますそんな電車が気になってしまい、一生懸命覗き込もうとするわけです。こんなふうに。
え、実演はいらないですか。それは残念。
それにしても、良い香りですね。薬草の香ですか?ハーブのような。……思いっきり怪訝な顔をしないでください。私が傷つくじゃないですか。
……それで、続きですけど。ある日私は、今のままでは不相応だと充分過ぎるほど理解しましたので、あの電車に釣り合うように、ゆくゆくはあの電車に相応しい人間になってやろうと、思い立ったんです。もう、四年も前のことですね。頑張りましたよ?
それで、これです。ふふ、目に眩しいですか?でも、これだけじゃないです。色々と、できるだけのことはやったつもりです。わからなくてもいいですけれど──。
そのおかげで、最近は、ずいぶん電車のスピードが緩んできたように思えるんです。でも、期待させておいて、結局扉が開かないで行ってしまうんです。ゆるゆる、ゆるゆる、落ち着かなくさせる風だけを残して、そのまま行ってしまうんです。
そこで、です。
このシェリー・ロレンス、今日という今日は、飛び乗ってやろうと決めました。
先生、私は、あなたが──。
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