ひとつだけ
 幼い頃から、望めば叶わないことなどなかった。名家の子息として扱われ、両親からも惜しみない愛情を受けて育った。そう、だから盲目的に思いこんでいたのだ。ほしいものが手に入らないことなど、ありはしないと。
 最初の挫折は、あの忌々しいハリー・ポッターだった。「生き残った男の子」、それだけで周りからちやほやされる。あいつ自身が何をしたというわけでもないのに!その肩書きを偉そうにぶら下げているあいつに、僕は最初、寛大にも手を差し伸べてやったんだ。なのに、あいつは拒絶した!そんなことをしたのはあいつが初めてだった。それ以来、あいつとは敵対し続けている。
 しかし、まさかスリザリンの中でもそんなことがあるとは、さすがに僕だって思ってもみなかったさ!誰のことかって?あいつだ、あいつ。シェリー・ロレンス!
 いったい何様だ。この僕が、隣に座ってもいいぞと許可してやったのに、「遠慮するわ。高慢ちきが移りそうだから」だと!箒の乗り方を教えてやると言えば、「箒よりソリが良いわ」とふざけたことを言う!秘密の部屋のことをこっそり教えてやろうと声を掛ければ、「君子危うきに近寄らず」とか訳のわからないこと言ってどこかに行く!あのウスノロハグリッドをまんまとはめた時は「動物愛護精神の欠片もないのね。酷い人」とのたまう!僕が怪我をした時には包帯を巻いてくれたのに、なんなんだ、あいつは!クリスマス・パーティーの時だって誘ってやったのに、「幼稚な嫌がらせに興じる人はごめんだわ」と断った!この僕の誘いをだぞ!
 ……本当のことを言うと、シェリーがセオドール・ノットと踊っているのを見た時は、さすがに……心が痛んだ。紅茶色の髪が楽しげに舞う。少し化粧を施した、いつもより大人びた彼女が、華やかに笑みを零す。風のように軽やかな足取り。芽生えたばかりの草木を思わせる、鮮やかなグリーンのドレスローブが、文句なしに似合っていた。それを見ていると、胃の入り口がギュッと絞られるような不快感に襲われた。
 アンブリッジがホグワーツを牛耳っていたときには、思うままに権力を振るえるバッジをよこしてやったのに、シェリーは身につけようともしなかった!いったい、何が気に入らないのかと聞けば、アンブリッジの少女趣味のセンスが気に入らないと答えた。そんなもの、僕にどうにかできるはずないだろう!そう叫んだら、思いがけず、シェリーは笑った。「それもそうね」と悪戯そうに。何故か、今でもあの笑みを忘れることができない。
 そして今、僕はどうしようもない状況にいる。──やらなければ、実行しなければ、父上と母上の命が危ないんだ。あの方を裏切ることなどできない。頼れる者など、何処にもいない、ありはしない。あるのは、胃を刻むような緊張と、喉を掻き切るような不安と、先の見えない絶望──それだけ。
 やらなければ、やらなければ、殺らなければ──殺される……!
「ドラコ」
 名前を呼ばれた。見たことのない表情のシェリーがいる。今や、彼女にやれるものは、何もない。家の財も名声も何もかも失った。
「ドラコ。大丈夫?顔色が──この頃、あなた、おかしいわ──」
 何で今更、そんな優しい声を掛けるんだ。何で、そんなに綺麗な瞳を向けるんだ。何も持たないこの僕に。どうして。何故。
 シェリーがこちらに向かって手を伸ばしてきた。やめろ。肩が震えているのが自分でもわかっていた。触れたら、きっとすがってしまう。
 今ほしいのは、きっと、ひとつだけ。
 ──その、優しい温もりが。




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