5.女の子はシカトする
 最悪のタイミングだった。傍から見たら、私がひとりジェームズたちに混じって談笑して――彼女たち曰く「抜け駆け」している光景だ。
「あ、あの……あのね……」
 しどろもどろになった私を、三人は近くの女子トイレに連れ込んだ。壁に追い込まれ、逃げ場はない。三人は私を取り囲み、不機嫌さを隠そうとはしなかった。
「今の、何なのよ。昨日のすっぽかしも。どういうこと?」
「えっと……何て言ったらいいのか……」 
「はっきり言いなさいよ」
 プリシラが刺々しく言った。キラキラと光るプラチナブロンドの髪の間から、青い目が怒りに染まっている。綺麗に整えられた長い爪が、まるで凶器のように思えた。
「昨日ね――」
「どうして来なかったのよ、信じらんない」
 腕組みして非難するのはホリーだった。豊かな黒髪を揺らしながら、さらに一歩近づいてくる。
「しかも抜け駆けしてシリウスたちと一緒にいるなんて、どういうつもり?」
「サイテー、だね」
 地味に睨んでくるのはキャンディスだった。眼鏡の奥から、憤りが伝わってくる。
「ち、違うの。昨日行けなかったのは――」
「アイシス、あんたシリウスやジェームズに興味ないって言ってたのに、嘘ついてたのね」
 事情を説明しようとしても、言葉を遮られてしまう。
「どうせ、昨日もシリウスたちと一緒にいて、私たちのことなんか忘れてたんでしょう?」
「ちが――」
 違う、と言おうとして言葉に詰まった。昨日、彼らと一緒にいたのは――本当だ。
「……そう。そういうこと」
 ひんやりとした口調で、プリシラが言った。
「マートル!」
 え、と思った時にはもう遅かった。上から大量の水が降ってきて、私は全身びしょびしょになってしまった。
「きゃはははははは!!」
 現れたゴースト、「嘆きのマートル」の仕業だった――そう仕向けたのはプリシラたちだったけれど。呆然とする私を見て、三人は高らかな笑い声をあげた。
「いい気味!」
「頭を冷やすといいんだわ」
 あんまりな仕打ちだ。話も聞いてくれないなんて。堪え切れなくなって、私は思わずつぶやいた。
「ひどい……」
「ひどい?どっちが?」
 プリシラが冷淡に言う。
「裏切り者のくせに」
 プリシラは以前シリウスに三回ふられている。それも、私が見た範囲での話だ。今はもうエドマンドがいるから平気なんだろうと思っていたけど、この様子だと、ひょっとして、まだ――。
「あんたなんか――もう知らない」
 そう吐き捨てると、プリシラは踵を返した。ホリーもキャンディスもそれに続いてトイレを出ていく。
「あんた、とっても素敵なお友達じゃない?」
 マートルの皮肉が、冷えた身体に染み渡った。私はよろよろと壁に背をもたれ、杖を取り出すと中途半端な乾燥呪文を唱えた。生乾きだが、仕方ない。鏡を見ると、真っ赤な目の散々な自分の姿があった。ぎゅっと歯を食いしばり、髪を整える。
「……行かなくちゃ」
 一時間目は変身術の授業だ。マクゴナガル先生は時間に厳しい。後ろ姿をマートルに笑われながら、私は教室へと急いだ。
 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 結論から言うと、今日も一日最悪だった。
 プリシラたちは私を徹底的に無視することに決めたようだった。授業も、昼食もひとり。当然、休み時間もトイレに行くのもひとり。プリシラたちに会うのが嫌で、人気のないトイレを探すのは一苦労だった――マートルのトイレなんかもってのほかだったし――。
 それでも、リリーは「何かあったの?」と心配してくれたし(彼女のお節介焼きもこういう時にはありがたい)、気遣うようなジェームズたちの視線を感じる時もあった。けれど他の女の子たちはプリシラが私のすっぽかしを吹聴していたせいで素っ気なかったし、男の子は遠巻きに見ているだけだった。
 ――ああ、何て惨めなんだろう。
 夕食も食べる気がせず、私は塔の階段を重い足取りで上っていた。この後、夜に天文学の授業がある。私の大好きな授業だ。それだけが救いだ――。
 時間が来て、他の生徒たちが集まって来た。プリシラたちもやってきたが、こちらの顔を見ようともしない。私はズキズキと痛む胸を押さえながら教科書と星座図を取り出した。
「やあ、アイシス。隣いいかい?」
 突然声をかけて来たのはジェームズだった。後ろにはシリウスとリーマス。ピーターはこの授業を取っていないから姿がない。その申し出に応えようとする前に彼らは私のいたテーブルに座り込んだ。
 ――これって、まずい。
 リーマスの後ろのテーブルにプリシラたちの姿が見える――こっちを見ている。
 それに気づいたジェームズが振り返ってプリシラたちに手を振った。彼女たちも急に笑顔になって振り返す。その様子を見ていたシリウスが、ぶしつけに言った。
「なあ。お前、シカトされてるだろ」
 シカト。その容赦ない言葉に沈んでいた気持ちがさらに暗くなった。「シリウス」と咎めるようにリーマスが彼の名を呼ぶ。
「まあ――ぶっちゃければそういうことだけど、もうちょっと言い方があるよね、パッドフット」
 コホンと咳払いしたジェームズがくるりと私の方を向いた。
「でも、アイシス。多分そういう事態になってると思うんだけど――違うかい?」
「――え、えと……」
 私は言葉に詰まってしまった。素直にそうだと認めるのは、何故か後ろめたく思えた。
「それってひょっとして、シリウスの罠のせいだったりする?」
 尋ねるリーマスに、ますますどう答えていいのかわからなくなる。本当はその通りなのだが、そんなことを言ったら何をされるかわからない。ちらりとシリウスを見ると、にこりともしていない。
「だったらさ――」
 ジェームズが何か言いかけた時、扉が開いて先生が入って来た。ジェームズは仕方なしに口を閉じた。
「こんばんは、皆さん。良く晴れて美しい星空ですね。では、本日は前回に引き続き黄道十二星座について学びます。NEWT試験にも頻出の分野ですからね――」
 天文学のキャメロン先生はにっこりと笑ってこう言った。その笑顔を見て、私は少しだけほっとした。
 キャメロン先生の授業はまず、教科書を使って教室で説明する。実際に観測してみるのはそれからだ。今日も先生はいくつか生徒に質問したり、黒板に拡大図を映し出したりして、とてもわかりやすく授業をしていた。だが――。
「では、実際に天文台で見て確認してみましょう。ペアを作ってください。それから外に出て」
 そう言われた時、私は羽根ペンを取り落とした。この位置で、この状況で、誰とペアを組めば――。
「おい」
 ぶっきらぼうな低い声が言った。
「俺と組むぞ」
「え?」
 私はぽかんとしたまま、腕を引っ張られて屋上に出た。それがシリウスだと気づいて、私は真っ青になった。いつもジェームズとしか組まないあのシリウスとペアだなんて!プリシラやホリーだけじゃない、天文学を受講している女の子の大半を敵に回したも同然だ。周りの視線を感じて、私は慌てた。
「あの――あのねシリウス――」
「ここがいい。ほら、鞄おけよ。とっとと、終わらせようぜ」
 要領よく場所を確保したシリウスは、挙動不審な私をその場に置くと、テキパキと道具を取り出した。星座図を広げ、方角を確認する。さらに彼は要領よく星を見つけ、要領よく星座図に書き込みを加えていった。
「えーっと、オリオン座が……いやな名前だ……あそこにあるから、星座図だと……牡牛座……プレアレス星団もあるな……隣り合うのは……」
 すらすらと課題を進めていくシリウスにはびっくりしたしまだちょっと怖いけれど、好きな授業でただ立っているだけなのも嫌だった。私はビクビクしながらシリウスの隣に座り込み、星座図に羽根ペンを向けた。
「待って。土星も……」
 怯みながらも口を挟むと、灰色の瞳が驚きに瞬いた。
「――ああ。そうだな」
 それから奇妙な共同作業が続いた。私はやっぱり少し怯えながらシリウスの書いたところにさらに補充をしていった。
「……できた」
 結局、黙々と作業したのが功を制したのだろう。ジェームズとリーマスのペアよりも、リリーとメリーのペアよりも早く、つまりはどのペアよりも早く私たちは作業を終えた。
「素早いですね、グリフィンドールに十点差し上げましょう」
 私は思わず口元を緩めた。一番に終わるなんて、初めてのことだった。
「――天文学、得意なのか?」
 シリウスが不思議そうに訊いてきた。いつもよりずっと柔らかい口調だった。そのせいか、私はやっと普通に答えることができた。
「うん。得意というか……星が、好きなの」
 するとシリウスはじいっと私を見て、何か言おうとした――が。
「シリウス!」
 ジェームズの叫び声がそれを掻き消した。ジェームズはリーマスと一緒にこっちにやって来る。どうやら彼らも終わったらしい。
「僕より早いなんて!やるじゃないか」
「実力、実力」
「む、言うね。あ、それよりアイシスに話した?」
「まだだ」
「課題ついでに話しといてくれればよかったのに」
「俺はお前みたいに無駄口たたかないんだよ」
 親しげに小突き合うジェームズとシリウスはまるで兄弟のようだった。私はふたりの言っていることに首を傾げた。ああ、そういえばさっき、ジェームズが何か言いかけていた。それのことだろうか。
 ジェームズはくるりと身を翻すと、私に微笑んで言った。
「ねえ、アイシス。しばらく僕たちと一緒にいない?」
「え?――えっ!?」
 予想外の申し出に、私は度肝を抜かれた。ジェームズたちのグループに混じる?男の子しかいない、しかもホグワーツ一の有名人たちのグループに?……ありえない。
「ど、どうして――」
「お前、昨日の誕生会すっぽかしたからシカトされてんだろ」
「何で、それを――」
「プリシラとホリーが談話室でぎゃんぎゃん喚き散らしてた」
 混乱する私に、シリウスがさらりと言った。
「――それなら、俺が仕掛けた落とし穴のせいだし」
 もしかして。私はふと思った。シリウスは、私が考えている以上に、責任を感じているのだろうか?私が陥っている、この状況に。
「本当なら、馬鹿な真似すんなって怒鳴ってやりてーけど。女相手だし――それに、そんなことしてお前がもっと厄介なことになったら、まずいし」
 だろ?と同意を求めるシリウスに、私はこくりと頷いた。
「じゃあ、決定だね」
「僕も、ああピーターも異論はないから。よろしくね、アイシス」
 笑顔のジェームズとリーマスに、私は焦った。プリシラたちに怒鳴りこまれるのも当然困るけれど、彼らと一緒に行動するのも――正直、困る。何とかしようと口を開いた、その時――
「あっ――」
「エクスペリアームス!」
 パーン!
 ――遅かった。色々な意味で、遅かった。
 悲鳴が上がり、みんなが駆け寄って来た。私はただ目を丸くしてその光景を見ていることしかできなかった。
「何事です!」
 キャメロン先生が慌ててやって来た。先生の目に映っているのは、多分、杖を構えたシリウスと弾き飛ばされて気を失ったプリシラとホリーの姿だろう。その間に、灰になって燃え尽きた私の星座図の残骸が落ちていた。
「ミス・オールバニ!ミス・コーンウォール!大丈夫ですか!」
 キャメロン先生はふたりに駆け寄った。脈をとり、「エネルベート!」と唱えると、先生は険しい顔でシリウスの方に向き直る。
「どういうことですか、ミスター・ブラック」
「……プリシラ・オールバニとホリー・コーンウォールがアイシス・ベレズフォードの星座図を燃やそうとしてたのが見えたので」
 夜風に吹かれて散り散りになっていく星座図を見下ろしながらシリウスは淡々と言った。
「本当ですか、ミス・ベレズフォード」
「え、あの……よく見えなかったんですけど、多分……」
 オロオロしながら星座図の燃えカスを指さすと、キャメロン先生はこめかみを押さえた。
「全く……だからといって失神させるほど強力な呪文を唱えなくても――もっと賢いやり方があるでしょうに。グリフィンドールから十点減点!罰として課題を出します。ミス・ベレズフォード、止めなかったあなたも同罪です。ふたりとも一週間、毎晩夜空とお付き合いなさい」
「ええーっ!」
 私は思わず悲鳴を上げた。何もしていないのに!
「そうすれば燃えてしまった星座図の不備も補えるでしょう。一石二鳥です――終わった生徒は解散!仕上げた者から帰ってよろしい」
 先生はそう言うとプリシラたちを宙に浮かせて運んで行った。私はその後ろ姿を呆然と見送った。
「……悪い」
 シリウスがぽつりと言った。ジェームズがシリウスの肩を叩く。
「シリウスにも悪気があったわけじゃないんだ。ただプリシラたちの陰険なやり方に腹が立って思わず――」
 私はリーマスの優しいフォローに頷きながらも、途方に暮れた。
 わかっていた。シリウスに悪気がなかったことは。でもどうしようもなく気が重いのは誤魔化せなかった。シリウスと一週間毎晩星を見なきゃならないなんて。星を見るのは大好きだったが、シリウスとふたりきりだなんて……それはある意味、ジェームズたち四人と行動することよりももっとずっと――まずい。
「――課題。ちゃんと、やるから」
 そういう問題じゃないのだ。もうありえない事態が続き過ぎてついていけない。
 一言で言うなら――最悪だ。






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