番外編 始まりの逢魔が時

 夏休みは好きだ。けど大変でもある。何故なら神野理生の家は神社で、父親の泰宏と二人暮らしで、それはつまり神社の手伝いをしなければならないということだからだ。
 その日も理生は忙しかった。一週間に二回ほどある弓道部の朝練から帰ってくると、午後はどこかで新しい家が建つからといって泰宏が出かけ、その代わりに巫女姿で社務所の留守番だ。やっと泰宏が帰ってくると、今度は「ごめん悪いけど階段の下のところ箒かけといてくれる?」ときたもんだ。断ろうものなら夕飯がショボくなる。理生は渋々箒をもって長い階段の下、真っ赤な鳥居のあるあたりを掃除しにいった。
「まったくお父さんてば……お小遣い上げてもらわなきゃ」
 ぶつぶつ呟きながら適当なところで切り上げ、理生はまた階段を上がっていった。この階段の長いことといったら!まったく、バリアフリーには程遠い。
 ――ドサッ
 妙な音がした。重いものが落ちて来たような音だ――理生はくるりと振り返った。何か黒いものが蠢いているのが見える。
 不法投棄ってやつ?まったく、罰当たりな!
 捕まえてとっちめてやろうと思い、理生はずんずんと階段を降りていった。すると、黒いものはとりあえずゴミ袋ではないことがわかった――それは人だった。
理生はしばらくその後ろ姿を観察した。この真夏日の午後に、全身真っ黒な長いマントを着ている――不審者っぽい。
 あれ?でも……。
 良く見ると、その格好をどこかで見たことがあるような気がしてきた。何処で見たというんだろう?理生はうーんと首をひねった。
 ああ、そうだ!あれだ、この前映画で見た――ハリー・ポッターの格好だ。
 それにしても、こんな暑い日にこんなところで仮装しなくたっていいだろうに。呆れてひとつため息が出た。
「ねえ、そこのコスプレ少年」
 理生は鳥居の真ん中でキョロキョロしているその少年に声をかけた。
「邪魔なんだけど。参拝客が減ったらどうしてくれるのさ」
 すると少年は理生に気づき、振り返った。理生はちょっとびっくりした。少年は明らかに日本人ではないようだった。あっちこっちに跳ねている黒髪に、綺麗な緑の目。目鼻立ちもはっきりとしている。何より脚の長さがいかにも外国人だ。
 少年も驚いたように理生を見ていたが、理生の手に握られた箒を見ると、ぱっと顔を輝かせた。
"You, a witch ?"
 英語だった。理生はその言葉を何とか聞きとれたが、意味がわからなくて首を傾げた。
「ウィチ?何言ってるんだ?」
 少年は理生の言葉がわからないようだった。
“Whre is here?”
 これくらいの英語ならわかる。理生はちょっと緊張しながら口を開いた。
“Here,Japan.”
“Japan!?”
 少年は大声を上げた。理生はびっくりして身体を少しのけ反らせた。
“Really ?”
“……Really. I’m a Japanese. ”
 少年は混乱しているようだった。大丈夫だろうか。理生はとりあえず訊いてみた。
“Where are you from?”
“U.K. ……Do you understand my language?”
“……Just a little”
 少年はゆっくりとしゃべってくれたのでそこまでは何とか通じた。しかし、次に彼が言った言葉に、理生は耳を疑った。
“I’m Harry Potter. Who are you? ”
 へえ、ハリー・ポッター――って、え?
 理生は少年を上から下までじっくり眺めた。確かに、あの小説のハリー・ポッターも黒髪の癖っ毛で、緑の瞳で、黒いホグワーツの制服を着ていて――それに額に稲妻のアザがあるけど――よく見たらこの子にもあるけど――そんな、まさか。
 理生は汗を垂らしながらにこっと笑った。
 まさか、そんなわけないじゃない。ただの、ハリー・ポッター好きのコスプレ少年だ。
“…….I……I’m”
 理生。神野理生。
 名前を告げると、ハリー・ポッターと名乗った少年も少し笑顔になった。
 ひょっとしたら、本物のハリー・ポッターかも、なんて――まさかね。ありえない。
 美しい茜色の空の下、生温かい風が吹いた。夕暮れ、逢魔が時。怪異と現実が交差する不思議な時刻――この時が、不思議な夏の日々の始まりだった。






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