3.Lily

 翌日、授業が終わるとすぐにノエルは図書館に向かった。できることなら、アイリーンに見つかりたくなかったのだ。幸い、その願い叶って無事にノエルは図書館に辿り着いた。
 待ち合わせの時刻までは決めていなかった。リリーらしき姿は見あたらない。ノエルは出入り口に近い席に重たい鞄をドサリと置いて座った。羽根ペンとインク、それに「魔法薬学」の教科書を取り出す。今日出されたスラグホーンのレポートは早めに仕上げてしまいたかった。他に、「呪文学」の課題はマスターしたものの、変身術と数占い学の課題を終えていなかった。どうしても続きが気になる本を読みたかったので、つい後回しにしてしまったのだ。ノエルは気怠くため息をついた。
 五年生にってからというものの、思わず笑ってしまうほど課題の量が段違いに多くなった。学年末にOWLが待ちかまえているのだから、仕方がないことではある。そう理解してはいたが、面倒くさいことこの上ない。他の多くの生徒とおなじように飛び抜けた頭脳を持たないノエルは、地道にこの課題の山を消化していくしかなかった。
 クルクルと左手で羽根ペンを回し、ノエルはレポートを書き始めた。「アコナイトの毒性を取り除き有効活用する過程とその用途」……。右手が付箋のついたページをめくり、目でその文字を辿り、頭を回転させ、癖のある字がもう片方の手で綴られる。それを何度も繰り返していくうちに、ノエルはモウモウと湯気の立ち上る大鍋の前にいるような錯覚に陥った。
「……よし」
 何とか納得のいく出来に仕上がると、ノエルはひとり満足そうに呟いた。そこで初めて顔を上げた。と、ノエルは思わず上半身を仰け反らせた。
「リリー!」
 ノエルの鼻の先に、リリーの緑の瞳があった。これでぎょっとしない方がどうかしている。ノエルはバクバクいっている心臓を押さえあたりを見回した。よく見ると、ずいぶん窓の外が暗くなっているし、座っていた生徒たちも入れ替わっている。いつの間にか宿題に没頭してしまっていたらしい。
「あ、ごめん。気づかなかった」
「でしょうね。すっごく集中していたもの」
 リリーはずいぶん前からノエルの向かいの席にいたらしい。「魔法薬学」の教科書と、完成済みらしいレポートが机においてあった。
「五年生って、OWLがあるから勉強大変なんでしょう?」
 リリーは興味深そうにノエルのレポートを覗き込んだ。
「ああ。本当、ぐったりするよ。何か知識を得るってこと自体は嫌いじゃないんだけどね」
 ノエルはそう言いながら手と手を組み、大きく伸びをした。
「あれ、そういえばリリーは……」
「四年生」
 羨ましい?とリリーは悪戯そうな笑みを浮かべた。ノエルは苦笑する。そしてリリーの手に一冊の本があるのを見て、あれ、と呟いた。 
「クリスティ」
 それはノエルの好きな、アガサ・クリスティの作品だった。たちまちリリーは意外そうな表情になった。
「あら、ノエルも好きなの?」
 思わぬ同志を見つけて、ノエルは破顔し大きく頷いた。
「推理小説、好きなんだ。古典的なのが」
 それからドイル、ルブラン、カーにクイーン……。子どものような笑顔を見せて作家の名前を指折り数えて行くノエルを、リリーは長い睫毛をパチパチさせながら見つめていた。
「……だけど、寮じゃあんまりおおっぴらに読めないんだ。マグルの小説だから」
 ノエルは瞳を伏せて言った。リリーは表情を曇らせた。
 ノエルは純血主義ではない。両親はともに魔法使いだが、父親はなく母親のマリアと二人暮らしだ。マリアはバリバリのキャリアウー魔ンで、実力で勝負してきた魔女だ。魔法使いもマグルも良いところも悪いところもある同じ生き物だとマリアに教育されてきたノエルは、スリザリン生にしては珍しく血に拘らない。しかし、スリザリンの中でわざわざ反感を買うような行為はできなかった。
「良い本にマグルも魔法使いもないと思うけど」
「同感」
 ほう、とノエルはため息をついた。リリーは少し考えながら言った。
「ただ……そうね、魔法を使えないからこそマグルの方が想像力が豊かになるんじゃないかしら。私も、ホグワーツのことを知った時には、色々と想像してみたわ」
「リリーはマグル生まれ?」
 ノエルは興味をそそられ尋ねた。今までノエルの周りに完璧なマグル生まれの子はいなかった。
 ──マグルの家庭って、どういう暮らしをしているんだろう?
「ええ。両親はふたりとも驚いたけれど、とても喜んでくれたわ。『我が家に魔女を授かった!』ってね。妹だけ、未だに拒否反応を示すけど」
「そうなんだ」
 ノエルは柔らかく微笑んだ。何だか、ホグワーツからの手紙を手に喜ぶ小さいリリーが目に浮かぶようだった。
 するとリリーの顔がうっすら赤く染まった。
「ノエル──あなた、わかってやってる?」
「え?何を?」
 きょとんとするノエルに、リリーは何やら聞こえないようブツブツ言った。その口は「だからプレスコットなんかが勘違いするのよ……」と呟いていたが、ノエルには聞こえなかった。
 ノエルは微笑をたたえたまま、リリーを見つめた。
 リリーは、面白い。
 ケンカしたり、怒鳴ったり、笑ったり、突然赤くなったり。大人びているのに、何処か子どもっぽかったり。本当に、リリー・エヴァンズという少女は、今までノエルが知っているどんな女の子とも違うタイプの女の子だった。いや、女の子らしいといえばこれほど女の子らしい子はいないのかもしれない。しかしまた漢らしいといえばこれほど漢らしい女の子もいないだろう。そういう不思議な魅力をリリーは持っていた。
 と、突然。
 グ〜ッ。
 間抜けな音が、幽かだったが、響いた。途端にリリーの顔が真っ赤に染まる。ノエルは一瞬呆けた後、それがリリーの腹の虫の音だと気づいた。
「出ようか」
 ノエルはくすくす笑いながら席を立った。時計を見ると、夕食にはちょっと遅いくらいの時間だった。荷物をまとめていると、ピンク色した頬のリリーが口をとがらせながらノエルに借りていたマントを差し出した。
「はい、これ──ちょっと、その笑い、レディに対して失礼じゃない?」
「いやいや、俺は可愛くていいと思うけど。──じゃあ、その非礼のお詫びに、夕食をご一緒しませんか、お嬢さん?」
 ノエルは芝居がかった仕草でリリーに手を差し出した。ちょっと恥ずかしい真似事だけど、自分がこうすればリリーの恥ずかしさも少しは和らぐだろうと思ったのだ。
 リリーはまだ顔を赤らめながら腕組みをして、何だか尊大な態度に出ている。横目でちらっとノエルの手を見ると、それから意味ありげな吐息を吐いた。
「──しょうがないわね。ちゃんとエスコートして下さる?」
「仰せのままに」
 リリーはノエルの手を取った。それはとても自然な行為で、そうすることが当たり前のように思えた。ただ、それに反して、ふたりの心臓はどちらも当たり前ではない速度で動いていた。





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