Smile Again
 カシャンと音が鳴った。羽根ペンを落としてしまったらしい。拾おうと屈みかけたところ、同級生の男の子がそれを拾ってくれた。
「ありがとう」 
 にっこりと笑って受け取る。わざと指と指が触れるようにして。彼は一瞬頬を赤らめた。しかしすぐに辛辣な声が背後から降ってくる。
「すぐ男に媚売って、いやな感じよね」
 この手の女は大勢いる。聞こえなかったことにして、羽根ペンを拾ってくれた男の子に近寄った。
「たくさん荷物持ってたから、助かっちゃった」
「大したことじゃないよ。……あの、荷物、持とうか?」
「本当に?嬉しい!」
 そしてちらりと陰口を叩いた女の子を見て、上品に嗤ってやる。
 ――男の子の前で媚を売って、何が悪いっていうの。こうやって利用するのが正しいのよ。
 アイリーン・プレスコットはそういう信念の持ち主だった。
 どうせ、猫を被ったところでそんなのを見抜く男の子なんていないのだ。いたとしても、「君猫被ってるでしょ」なんて言わない。「あいつぶりっこだよな」なんて噂されても、実際に潤んだ瞳で見つめられて気分を悪くする男の子なんて存在しない。多少の例外はあっても、ほとんどの男の子は女の子らしい、可愛い子が好きなのだ。これは絶対の真理である。だからこそアイリーンはそういう風に自分を作ってきたのだ。女の子は作られる生き物なのだから。
 そんな考え方を持つ彼女は、実際、大いに男の子たちから人気があった。長い金髪は常にふわふわと柔らかく揺れ衆目を奪い、丁寧に施された化粧は愛らしい顔をより魅力的に見せていた。いくつかのデートの誘いの中から、最も好みの相手を選び、嫌な部分が見えてくるとお別れした。アイリーンにとって恋愛というものは、優越感に浸れるアイテムといった方が正しかった。プレゼントや愛の言葉は彼女の自尊心をくすぐった。デートやキスは退屈な毎日のカンフル剤だった。
 だから、片思いに悩む同級生たちを彼女は内心馬鹿にしていた。恋愛はふたりでするもの。ひとりで悩んでいても何一つ実らないし、第一ちっとも面白くない。不毛なだけじゃないの。
 ――そう、思っていた。

 それはとても気持ちのいい午後だった。
 アイリーンはレイブンクローのロジャーと別れたところで、ひとりで廊下を歩いていた。ロジャーは最悪だった。知的でクールな七年生だと思っていたら、NEWT試験の小テストの出来が悪くて落ち込んで、アイリーンに当たり散らしてきたのだった。「そんな人だと思わなかったわ――別れましょう、私たち」その一言で片はついた。がっつきまくってきたその前のボーイフレンドも考えものだったが、勉強のストレスをぶつけてくる相手なんてもってのほかだ。
 さて、この前誘ってきたハッフルパフの上級生はぱっとしなかったし――手紙をくれたグリフィンドールの同級生もちょっと好みじゃない――次はどうしようかしら。
 金髪をたなびかせて中庭を横切る。すると、ベンチで座ったまま寝ている男の子に気がついた。同じスリザリン生だ。確か、一学年下の……。
 アイリーンは近寄って顔を覗き込んだ。膝の上に本をおいて、すうすうと寝息を立てている。
 ――ちょっとカッコイイ顔してるじゃない。
 ノエル・ガードナーについて、彼女が知っていることは多くなかった。同じスリザリン生。ひとつ年下。それくらい。
 でも、今、興味が湧いた。
 ベンチの隣に腰掛け、横顔を眺める。黒い髪はさらさらだ。睫毛も長いし、鼻筋もすらっとしている。何色の瞳をしていただろうか、思い出せない。スリザリンだから純血かしら、それとも混血?唇は薄くもなく厚くもない。声は高いのか、それとも低いのかしら?頭はいい方がいいけど、ロジャーみたいなヒステリックなタイプはごめんだ――この子はどうかしら?
 しばらくそうやって眺めていたが、ふいにコトと音がしたかと思うと、いきなりノエルが倒れてきた。アイリーンの肩にノエルの頭が寄りかかる。寝息が首にかかり、アイリーンは思わずぞくっとした。
 しかしノエルは起きない。
 ――私の肩は高くつくわよ。
 仕方なしにそのままぼんやりと過ごす。こういう、無防備な男の子も悪くない。温もりが妙に温かかった。
 どれくらいそうしていただろうか。やがて黒髪の頭がもぞもぞと動いたかと思うと、アイリーンから離れていった。とろんとした目つきの彼が、やがてアイリーンの存在を発見した。
「……おはよう」
 その時の笑顔は、たぶん、今まで付き合ってきた男の子が見せたどんなそれとも違っていた。寝ていた時には見られなかった、深い色の瞳が優しく光る。無邪気な、安心しきった、子どものような笑顔。どちらかというとシャープな顔立ちの彼がそんな表情をすると、何とも言えない魅力があった。
 しばらくアイリーンはその笑顔に見惚れていた。だが彼はやがて意識を覚醒し、不思議そうな表情になり、ここが中庭であると気づくと「え?え?――……えっ!?」と叫んだ。
 アイリーンはくすくすと笑った。
「おはよう。起きたのね?」
「うわ、俺――ごめん!」
「いいのよ」
 そう言ってアイリーンは微笑んだ。優雅に髪を泳がせ、上目遣いで尋ねる。
「私のこと知ってる?」
「アイリーン・プレスコットさんでしょう?同じ寮の。でも何でここに――」
「アイリーンでいいわ。ねえ、私と友達になってくれる?」
 困惑しているノエルを、さらに困惑させる。でも本当は、困惑しているのは彼だけではなかった。いつもはこんなことしない――自分から積極的に話しかけるなんて。アイリーンも自分の行動に戸惑っていた。さらに、不思議と高鳴る鼓動にも。
 ――あの笑顔をもう一度見たい。
 それがアイリーンの、本当の恋の始まりだった。 
 





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