41.Lillian's Tale

「こ、こんやく?」
 聞き慣れない言葉にノエルは戸惑った。
「婚約、って――結婚するってこと?」
「そう」
 ――け、結婚する!?俺と同じ年なのに!?
 ノエルは驚きで喉がカラカラに乾いてしまった。一年前まで初恋もまだだったノエルにとっては、結婚なんてまだまだ先の、遠い未来の話だと思っていた。それなのに、目の前の同い年の少女はすでにその約束をしているのだという。
「え、えっと、相手は……?」
「ノエルの知らない人。お金持ちの純血。四十くらい。四人の子持ち」
「……それは」
 ノエルはその先を続けることができなかった。リリアンがそんな相手と愛のある結婚をしようとしているとはとても思えなかった。
「ええ。親が決めたの」
 政略結婚、というのかしら。リリアンはこともなげに言った。
「夏休みに、突然言われたの――卒業したら、すぐに結婚だって。今まで一生懸命勉強してきたことが、馬鹿馬鹿しくなったわ」
「でも、君の意思は?」
「そんなの関係ないの。純血の家に生まれた者にはね」
「そんなの、間違ってる!」
 ノエルは思わず大声を上げた。
 だって、おかしい。本人の意思を尊重することなく、未来を決められてしまうなんて。そんなの――良いわけがない。
 するとリリアンは表情を少しだけ崩した。
「……そうね」
 哀感を漂わせたその表情は、とても美しく、悲しい色をしていた。
「だから、あなたを利用しようと思ったの」
「――俺、を?」
 頷かれ、ノエルは混乱した。俺を利用して、リリアンは何をしようとしていたんだ?
「ガードナー卿と既成事実を作ってしまえば、婚約を破棄できると思ったの」
 既成事実。
 ……それって。
 過激な発言を理解するにかかった時間約五秒。頭からシューシューと湯気が出るのではと思うほど熱くなった頭を抱え、へたり込む。
「あなたが監督生になって、ガードナー家を継いだと知って。……ガードナー家なら、嫁ぎ先より家が格上だから、許されるかと思って」
 追い打ちをかけるように告げられた思惑に、ノエルはさらなる打撃を受けた。
「あー、そっか。なるほど。そういうことだったのか……」
 確かに、その方法なら婚約を解消しつつ、親の許しを得ることができるだろう。
「でも、そうしたら俺は責任を取らされることになるんじゃ……」
「うん」
 あっさりと頷くリリアンに、もうため息しかでない。
「――何にせよ、その企みは失敗だ。俺にはリリーがいる」
 はっきりと宣言すると、リリアンはまた「うん」と言った。
「でも、私だってエヴァンズに負けてないと思ったの」
 リリアンは自分の身体を触りながら独り言のように言った。そこでノエルはリリアンが下着だけの恰好であることを思い出し、慌てて「これ巻いて!」と白いシーツを押しつけた。
「君は魅力的な女の子だよ、リリアン。でも、俺がリリーに惚れたのは、外見だけのせいじゃない」
「――それも、わかってた」
 こちらを見るリリアンの瞳が揺れているような気がした。寂しそうな、でも諦観をはらんだ、静かな瞳。
「……あのさ。結婚が嫌なんでしょ?」
 ノエルは思わず尋ねていた。リリアンは何を今更、といった感じで浅く頷く。
「なら、家を出て自立すればいいじゃないか」
 ノエルが放った一言に、リリアンの瞳が大きくなった。
「……そんな、無理よ」
「どうして?」
 ノエルにとっては、どうしてリリアンがこんなことを思いつかないのか、それこそ不思議だった。
「リリアンは頭もいいし、しっかりしてる。家を出たってやっていけるよ」
「ノエルはわかっていない。世間知らずの女が、社会に放り出されてすぐに生きていけると思うの?就職したってすぐにお金が入るわけじゃない。それまでどうやって過ごすの?家は?食べるものは?」
「確かに最初は経済的に大変かもしれないけど、ダンブルドアもスラグホーンもきっと力になってくれるよ」
 ノエルは必死になって言った。優秀なリリアンの能力を埋もれさせるのは惜しいと思ったし、何よりリリアンに未来を諦めてほしくなかった。
「奨学金とか有るかもしれない。グリンゴッツから借りるという手もあるし。調べてみようよ。俺だって協力するし――あ!」
 唐突に思いついてノエルは絶句した。リリアンがびっくりしたようにこちらを見つめている。
「……ノエル?」
 ――馬鹿か、俺は!
 金なら持っているじゃないか――俺が!
「そうだ――金ならある!何とかなるよ!ガードナー家の財産!祖父の遺産があるんだ。成人するまでは母親の許可がないと大金は動かせないけど、事情を話したらわかってくれると思うし。仕事や住まいが見つかるまではうちに来たっていい。そうだ、どうして思いつかなかったんだろ……リリアン?」
 興奮気味にまくしたていたが、ふいにリリアンが俯いたので言葉を止める。
 何か、まずいことを言ってしまったのだろうか?
 恐る恐る顔を覗き込む。すると、リリアンは肩を震わせて――笑っていた。
「本当に――自覚がないのね――あなたって――」
 指で涙を掬いながら、笑っている。
 ノエルは初めて見たリリアンの笑顔に見入った。いつも無表情に近いからか、破壊力抜群の笑顔だった。リリーがいなかったら惚れていたかもしれない。
 ぽかんとしたままリリアンの笑いが止まるのを待つ。ひとしきり笑った後、涙を拭いて彼女は宣言した。
「そうね。……うん、私、結婚なんてしたくない。家を出て、自立した魔女になるわ」
 何でこんな単純なことに気づかなかったのかしら、とリリアンは呟いた。
「ありがとう、ノエル」
 いつもの無表情で――いや、いつもより幾分柔らかい表情で、リリアンは言った。
「家の者と、話し合ってみる。それで勘当されたら、頼ってもいい?」
「もちろん。『十三番目の丘』は君を歓迎するよ」
 シーツにくるまったリリアンはベッドを降り、クローゼットから別のドレスを持ち出して着替え始めた。
「友達、だろ?」
「……そうね」
 ノエルは安堵の息をつきながら、ボタンを止めようと手にかけた。
「でも、ノエルになら抱かれてもいいと思ったのは、本当よ」
 思わぬところでパンチを食らい、力加減を誤ってボタンがひとつ弾け飛んだ。
「――光栄だね」
 平静を装うものの、また顔が熱くなっている。振り返ると、着替え終わり悪戯そうに口元を緩めたリリアンがそこにいた。コホンと咳払いして煩悩を消し去ると、ノエルはすっくと立ち上がった。
「さあ、戻ろう」
 時間的には、まだハロウィン・パーティーは終わっていないはずだった。ノエルとリリアンは急ぎ足で階段を降り、下へと向かった。
「――ノエル?」
 聞き慣れた声が響いた。七階の階段の踊り場に、リリーがひとりで立っていた。――よく見ると、目が赤い。
「リリー?――どうしたんだ、その目?何かあった――?」
 駆け寄って顔を覗こうとして、手を跳ね退けられた。
「どうした、ですって?」
「リ、リリー?何を……」
「ノエルこそ、どうしてその女とふたりでいるの!?どうして、ふたりで八階から降りてきたのよ!」
 リリーは緑の瞳に涙を溜めていた。まずい、何か誤解している!
「これは――誤解だ、リリー!俺たちは何も……」
「ノエルの――ノエルの馬鹿!」
 それだけ叫ぶと、リリーは階段を駆け上がり、グリフィンドール塔へと走り去っていった。
「リリー!待てよ!」
 追いかけたが、「太った婦人」は合言葉を知らない者を中へは入れてくれない。まだパーティーの最中だから、他に出入りする者もいない。入口のところでノエルは途方に暮れた。
 ――ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう?






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