40.Trick or Treat

 声がしたのは、死角になっている薄暗い茂みの中だった。バラを掻き分け、ノエルは声の主の名前を呼んだ
「リリアン!」
「――ノエル!」
 目に入ってきたのは、大柄な男に押し倒されているリリアンの姿だった。リリアンの黒いドレスは乱れ、必死に抵抗している。何があったのかは一目瞭然だった。
「ペトリフィカス・トタルス!」
 全身金縛り呪文を唱えると、男は呆気なくドタッと倒れ、身動きできなくなった。
「――大丈夫か?」
 草むらに倒れていたリリアンに駆け寄り、手を差し伸べる。リリアンは無言で震えながらノエルの手を取った。肩を抱いてゆっくり起き上がらせる。ドレスが大きく破けていたので、慌てて着ていたコートを脱いでかけてやった。
 ふと石になった男を見てみると、それが見知った顔であることに気づく。
「ジェイクじゃないか」
 男の方はノエルと同室のジェイク・キャリーだった。クィディッチで鍛えたトロールのような巨体は、狼男の仮装のままピクリともしない。
「……とにかく、その恰好じゃまずいだろ。どこかで直すか、着替えるかしないと……」
 するとリリアンは無言でノエルの手を引っ張り、何処か心当たりがあるのだろうか、早歩きで階段の方に向かって行った。ノエルも事態が事態だけに、大人しく彼女に従った。
 リリアンは寮のある地下室へ向かわず、何故か階段を上り始めた。
「何で上へ?」
 訊いても答えはない。ノエルは彼女のしたいようにさせることにした。やはりみんなパーティーに参加しているからだろう、人っ子ひとりいない。リリアンはどんどん階段を上がり、相当高い階まで上り続けた。一体、何処を目指しているのだろう?
 そういえば、リリーはどうしただろうか。まだグリフィンドール塔だろうか。少し待たせてしまうかもしれないけど、事情を話せばわかってくれるだろう……多分。
 そんなことを考えていると、リリアンは八階で止まり、廊下の方へ進んでいった。しばらく歩いた後、リリアンは同じ場所を行ったり来たりし始めた。
「リリアン?何を――」
 三回目の方向転換をした時、リリアンはいきなり扉を開けた。
 ――え?さっきまで何もなかったのに……。
 その部屋には、天蓋付きの大きなベッドが一つと、アンティークのテーブル、ゆったりとしたソファにクローゼット、それに紅茶のセットと裁縫箱が置いてあった。
「リリアン、この部屋って……?」
「『必要の部屋』と呼ばれてるらしいわ」
「『必要の部屋』?」
 振り向こうとすると、リリアンがコートを脱ぎ始めたのでノエルは慌てて部屋の奥を向いた。
「……ベッドのところにいて」
「あ、ああ」
 ドキマギしながらふかふかのベッドに腰掛ける。衣擦れの音を聞きながら、ノエルはこの落ち着かない気分をどうにかしようと鹿内帽でパタパタと顔を扇いだ。
「あのさ、ジェイクと……付き合ってるの?」
「まさか」
 リリアンは鼻で笑った。
「どうしてもってしつこいから、今日だけパートナーになったの」
「じゃあ、さっきのは……」
「勝手に勘違いして押し倒してきたの」
 パカッと裁縫箱を開ける音がした。
「リリアン、パートナーにするなら、もうちょっと脳味噌と理性がある奴を選んだほうがいいよ」
「だって、一緒に踊りたい人は予約済だったから」
 何と言えばいいかわからず、ノエルは押し黙った。
「ねえ、それ、あとどれくらいかかりそう――」
 言葉の途中で、ノエルは背後に気配を感じ――次に人肌を感じてビクリとなった。リリアンが、ほとんど何も身に着けていない恰好のまま、ノエルを抱きしめたのだ。
「トリック・オア・トリート」
 ――お菓子くれなきゃ、悪戯するぞ。
 囁かれたハロウィンの決まり文句に、ノエルは混乱した。
 ――これは何だ。新手の嫌がらせ?いや、リリアンがそんなことするわけない……お菓子。お菓子なんて今どこにも持っていない。っていうかこの状態はやばいだろ!
「……リリアン、お菓子なんて今ないよ。それに、その、俺も一応男だから……まずいって、これは」
 遠まわしに離れてくれと頼んだつもりだったのだが、リリアンは逆に腕に力を込めてきた。
「じゃあ、悪戯ね」
 しかもそう言ってノエルの腰の方に手を伸ばし、耳に息を吹きかけてきた。さすがに耐えられなくなってその手を掴む。首をひねって後ろのリリアンを覗き込むと、いつもの無表情な彼女がいた。
「……いいでしょ?」
「良くない」
「エヴァンズには内緒にしてあげるから」
「そういう問題じゃない!」
 ついに怒鳴り声を上げてしまった。少し萎縮した感じのリリアンを見て、はっと我に返る。
 ――いけない、今、彼女は男に襲われたばかりで、傷ついているはずだ。
 ノエルはリリアンに向き直り、ちゃんと目と目を合わせて、言った。
「……君は傷ついて、動転してるんだ。自暴自棄になっちゃいけない。そりゃ確かにジェイクみたいな欲望のままに動いてしまう奴もいるにはいるけど、男がみんなそうってわけじゃ――」
「ノエルは何もわかってない」
 そう言ってリリアンはノエルの言葉を遮った
「自暴自棄になんて、なってない。私は、ノエルに、抱かれたいの」
 ――あまりにストレートな言葉に、ノエルの顔は真っ赤になった。
 頭の中がぐるぐる回って動けないでいると、リリアンはノエルを押し倒し、ボタンを外し始めた。
「待て、早まるな……!」
「いいでしょ、秘密にするし。したいだけ」
「リリアン!」
 ――やばい、身体は正直だ。ノエルはリリアンを止め、必死で起き上がった。それでも身体の上から動こうとしない。
 目と目とが合った。
 そして、さっきからずっと気になっていた違和感の正体に気づく。
「君は、俺のことが好きなのか?」
 リリアンの腕が止まり、瞳が揺れた。
「……すき、よ。そうじゃなかったら、こんなこと、しない」
「――嘘だ」
 ノエルは言い切った。そう、言葉がいくら直接的でも、気持ちが心に響いてこない。「すき」の中身が感じられないのだ。こんな、ムードもへったくれもない、騙し打ちみたいな手段なんて――おかしい。少なくともノエルの知るリリアンは、気持ちを真っ直ぐに伝えてくる女の子だった。
「嘘だね。俺にはわかる。それは友達としての『すき』であって、恋愛感情じゃない。――何を、そんなに急いでる?」
 揺れる瞳を真っ直ぐ見据え、ノエルは確信を持って尋ねた。
 リリアンは、何も言わない。
 ふたりきりの空間で、沈黙が続いた。ノエルは目を逸らさず、ひたすらリリアンの言葉を待った。
 そしてとうとう、リリアンは降参だとばかりにため息をつき、ノエルの上から飛び降りた。
「……鋭いのに、馬鹿ね。騙されて、いい思いすればよかったのに」
 それからリリアンはさらりと言った。
「私ね――この前の夏休みに、婚約が決まったの」






prev next
top
bkm


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -