39.The Doppelganger

 言葉が出ない、というのはこういう状況のことを表すのだろう。
 確かにそこには、鹿内帽にインヴァネスコートを着たノエル・ガードナーがいた。しかも、リリーと笑いながら踊っている。
 ――じゃあ、ここにいる俺って一体。
 口をぽっかり開けたまま、ノエルはパチパチと瞬きした。次に手の甲をつねってみる。
 ……痛い。じゃあ、これは夢じゃない。
 ならあれは何だ。ドッペルゲンガーってやつか。それとも気づかないうちに分身したのか。それって随分な高等魔法だぞ。馬鹿な。じゃあ逆転時計で未来からやってきた自分っていうのはどうだ。いやいやそれなら衆目に晒されるところに出てきたりしないだろう。他に考えられるのは、あれだ、あれ、単細胞分裂。
「……単細胞分裂って無意識に行えるものなのか?」
「ごめん、僕には君が何言ってるのかわからない」
 リーマスのもっともな発言が身に染みた。
 ――待て待て、落ち着こう。落ち着いて、落ち着いて……。
 深呼吸してから、もう一度目を開けて見てみる。わかったのは、仮面越しでも、もうひとりの自分がひどくだらしなく口元を緩めていることだけ。
「……リーマス、俺っていつもあんな締まりのない顔でにやついてる?」
「いや、あそこまでひどくはないよ。むしろ、あのにやつき方……ひょっとして……まさか」
「ポリジュース薬じゃない?」
 ナタリーが冷静に意見を述べた。
「難しい魔法薬だけど、作れないわけじゃないわ。きっと誰かが、ノエルに変身するポリジュース薬を作ったのよ」
 それなら、頷ける。やっと現実的な答えが見つかって、ノエルはとりあえず安堵した。
「でも、衣装までどうやって……あれはリリーが選んでくれたもので、俺も今日までどんなものか知らなかったのに」
「グリフィンドールの生徒なら探れるよ」
 リーマスがきっぱり言った。何か心当たりがあるらしい。
「それに、あの笑い方……何処かで見たことあるような気がしないかい?」
 リーマスの言葉を受けて、再びもうひとりの自分――いや、偽者を観察してみる。確かに、言われてみれば……あのいやらしい口元は……まさか。
 たちまち脳天に雷が轟いた。同時にどうしてすぐに思い至らなかったのかと愕然とする。リリーと踊りたいと思っている人間。グリフィンドール生で、リリーの選んだ衣装をこっそり調べられる人間。そして、あんなにいやらしく笑う人間。そんなの、この世にたったひとりしかいない。
「ジェームズ・ポッター……!!」
 気づくとノエルはリーマスとナタリーを残し、ダンスしているカップルの間を器用に通り抜け、偽者の背後に回り込んでいた。
 ――この野郎、リリーの手とか腰とか触りやがって!
 怒りを込めてポン、と偽者の肩に手を置く。
「道化はそこまでだ、ポッター」
 もうひとりの自分がにやっと笑った。――間違いない。こちらも負けずににこっと笑う。そして、思いっきり右ストレートパンチをお見舞いした。偽者は倒れ、悲鳴が上がる。
「きゃあ、何するの!――って、え!?――ノエルが二人!?」
「リリー!そいつは偽者だ!ポッターだ!!」
 ノエルは声を張り上げ、リリーの手を掴んだ。
「こっち!」
 先生たちが駆け付ける前にこの場から逃げ去りたかった。ちょうど仮面を着けているし、仮装している。捕まらなければ誰の仕業かわからないだろう。
「本当に、ノエルなの!?」
「夏休み、君と一緒にフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーでトリプルサンデー注文した!」
 どうやらそれで納得したらしい。ノエルは大広間から玄関ホールに出ると、そのまま外へとリリーを引っ張っていった。正面玄関から先はバラの茂みの小道が敷かれており、点々と置かれたジャック・オ・ランタンが鈍い光を放っていいムードを作り出していた。小道のあちこちにいくつものベンチが置かれ、そこらじゅうでカップルが見つめ合ったりいちゃついている。ノエルは彼らのことなどお構いなしにどんどん奥の方へ歩いていった。とうとう誰もいなくなった小道の行き止まりで、ようやくぴたりと立ち止まる。
「――ノエル?」
 後ろから声がかけられた。それでも振り返らず、ノエルは長いため息をついた。
「ご、ごめんなさい。私、てっきりノエル本人だと……でも、あれって本当にポッターだったの?」
「たぶんね。でも、間違いない。リーマスだって心当たりあるみたいだったし。第一、君が注文した俺の衣装を前もって調べられる人間なんて、グリフィンドール生しかいないだろ?」
「……そういえば、注文書が見当たらなくなったことがあったわ。第一、こんな馬鹿げたことするなんて……そうね。ポッターくらいしかいないわね」
 リリーの声は落ち着いていた。ノエルには、何だかそれが気に食わなかった。
「きっと、ポリジュース薬使ったのね。まったく、知識を悪用して悪戯するなんて……どうしようもない人だわ」
 イライラは治まるどころか、逆にひどくなってきた。
 ――ポッターに触られたのに、何でそんなに平気なんだ?あいつが俺のふりして、君を騙してその身体に触れたのに。どうして何でもなかったように、冷静でいられる?
「ノエル?――どうしてこっち向いてくれないの?」
 さすがに不安になったのか、リリーがノエルの手を取ろうとした。
「触るな!」
 とっさにリリーの手を弾き、怒鳴り声を上げた。リリーが息を呑む音がした。ノエルは、わけのわからない衝動でいっぱいになっていた。
 ――優しく、したいのに。
 自分は一体何に苛立っているのだろう。それすらよくわからなかった。悪質な悪戯で自分に成り済ましたポッターに対して?それともリリーが俺とポッターを見分けられなかったから?それともリリーが、ポッターに身体を触られたのに平然としているから?
「――ごめん、今、優しくできない」
 ぽつりと本音を漏らす。本当に、今日の自分は何処かおかしい。
 少しだけ後ろを見る。リリーのデコルテのラインが目に入った。――ああ、だめだ。勢いで押し倒したり、強引にキスしたり、そんなことはしたくない。なのに、憤りをぶつけてしまいたいという衝動に駆られる……。
「君が悪いんじゃないって、わかってるけど。触られたら、勢いで酷いことしてしまいそうで……」
 沈黙が降りた。遠くから男女の楽しげな笑い声が響く。それがひどく虚しかった。
 リリーは何を思っているのだろう。ノエルにはさっぱり見当がつかなかった。怒っているだろうか?
 ふいにリリーが動いた。後ろから抱き締められて、ビクッと身体が反応する。
「ノエルになら、何されてもいいわ」
 思いがけない言動に、ノエルはただ驚いた。
「あのね。今、不謹慎だけど、嬉しいの」
 リリーは本当に嬉しそうに、そう言った。
「ノエルはいつも優しいわ。大切に扱ってくれてるの、伝わってくる。その気持ちはとっても嬉しいの。だけど時々、優しいだけじゃ、不安になるの。ありのままの、あなたが見たい。だから、どんなことをされたって――私はかまわない」
 背中に顔を埋める感触がした。ノエルはたまらず抱きしめてきたリリーの手を取り、後ろを振り返った。
「……何か、今のでイライラ吹っ飛んだ」
「そう?――本当に、いいのよ。ノエル、あなたになら……」
 顔を赤らめながらそう言うリリーの唇を塞いだ。いつもより、激しく、しつこく、より深く貪る。唇だけじゃなく、頬も額も、耳や首にも、惜しみなくキスを注ぐ。無意識に手は、いつもなら触らないようなところにまで伸びていた。リリーから漏れ出る吐息も、いつもよりずっと艶のあるものになっていく。胸元に顔を埋めると、芳醇な百合の香りがした。
「あっ……」
 がくんとリリーが膝を折った。ノエルも我に返り、荒くなっていた呼吸を落ち着かせる。
「大丈夫?」
 ノエルはリリーに手を伸ばし、ゆっくりと立ち上がらせた。
「え、ええ。ありがとう」
 ――やばかった。こんなところで止まらなくなっていたら……。
 そしてノエルはさらにまずいことに気づいた。リリーの首や胸元には、ところどころ赤い虫さされのような痕が残っていた。否、正確にいえばノエルがそれを付けたのだが。
「あー……何て言うか、ごめん。その、夢中だったから……」
「え?」
 指で示すと、リリーもやっと気づいた。そして瞬く間に真っ赤になる。
「あの、その……ごめん」
「――っ、仕方ないわ……だけど次からはもうちょっと考えて!」
「……それは次も期待していいんだね?」
 するとリリーは「知らない!」と言って背を向けた。
「ストール、取って来るから」
「グリフィンドール塔まで?付き合おうか?」
「結構よ!」
 リリーはすっかりいつものリリーに戻っていた。ノエルも少しひとりで風に当たっていたかったので、何も言わずにリリーを見送った。
 ――本当、やばかった。その、いろいろと……。
 ノエルは熱冷ましをしようとフラフラと歩き出した。小道やバラの茂みのあっちこっちから、さっきの自分たちのように取り込み中のカップルの声が漏れ聞こえてくる。ここに来た時は怒りのあまり何も考えていなかったのだが、今頃になって恥ずかしくなってきた。
 このバラの茂みといい小道といいベンチといい、絶対こういう目的のために作られたものだよな……誰が作ったんだ?そして、いいのか?教育的に……。
 そんなことを考えながら小道を歩いていると、右手前方にある茂みから女の悲鳴が上がった。おいおい、盛り上がり過ぎだろ、と思いつつと通り過ぎようとしたのだが、「助けて!」という言葉が聞き取れて思わず足を止めた。
「――いやあ!やめて!」
 それは聞き覚えのある女の声だった。ノエルは血相を変え、慌てて声のする方へと走り出した。






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