35.Mother's Letter

 風が気持ちいい季節だ。
 ノエルは夕暮れが近づく湖畔の緑にひとり横たわっていた。
 この場所はノエルにとって、そしてリリーにとっても多分、思い出深い所だ。初めてリリーと出会ったのも、想いが通じ合ったのも、ここだった。
 その妙に縁のある場所で、ノエルはまた推理小説のページをめくっていた。長い人差し指で追いかけている物語は、いよいよ真相が解き明かされていくところだった。いかにも怪しい三男は犯人ではないだろう――アリバイが妙に完璧な長男か?はたまた身分を詐称してやってきた偽の孫娘だろうか?密室のからくりは既に暴かれている。ならば次男の妻とその浮気相手の三男は除外できるが……。
 わくわくしながら時間軸とアリバイを頭の中で並列させていると、急にノエルの腹部にずしっと重い何かが落とされた。本をどけると、一匹のフクロウが手紙を咥え、くるくるとした大きな目でこちらを見つめているのが視界に入った。
「クロエ」
 ノエルは上半身を起こし、小柄な灰色のフクロウを労った。
「母さんから?――ありがとな」
 有能な手紙の運び手は、誇らしげに一声鳴くと甘えるように顔を擦り寄せてきた。
「お腹減ってるだろう?先にフクロウ小屋に行っておいで」
 クロエは小さい身体の割に大食漢なのだ。やはり彼女は腹ペコだったらしく、ノエルの言葉を聞くと軽快にフクロウ小屋のある塔へと羽ばたいていった。その姿が見えなくなると、ノエルは手紙を開封した。
 

親愛なるノエルへ


元気にしていますか?
そろそろ肌寒くなってくる季節ですので、風邪を引かないように。

ところで、今日はひとつ、お知らせがあります。
魔法省のことです。
私は辞令を受け、部署を移動することになりました。
移動先は魔法法執行部です。
とても責任があり、重大なポストを任されることになります。
母さんに捕まる、なんてことがないように気をつけてね。


  愛を込めて あなたの母より


追伸 最近のおススメは「誰の死体?」よ。


 ノエルは一度目はザッと目を通し、二度目はじっくりその筆跡を見つめ、三度目は行間の隙間を読み取ることに集中した。
 一見何の変哲もない手紙だ。しかし、ノエルがガードナー家を継いだばかりのこの時期に、昔マリアがいた部署であり、そしてノエルの父親のことを知っているかのような態度をとるワーズワースと共に働いていた部署でもある魔法法執行部に移動になるとは――偶然にしてはでき過ぎていると、そう考えてしまうのは穿ち過ぎだろうか?――わからない。
「……やーめた」
 考えても始まらない。そもそも考え過ぎてしまうことの方が間違いのような気がする。
 ノエルは起き上がり、鞄と本を拾い上げ、湖を後にした。
 今日はリリーが友達と勉強するというので、落ち合うのは夕食時だ。荷物もあるし、一旦寮に戻ってやることを整理して、手紙の返事を書こう。フクロウ小屋にも行って……ええと、それから図書館で今日出された魔法薬学の課題に必要な文献を探さないと……。
 中庭を横切り地下へと降りていき、スリザリン寮の入り口に辿り着く頃にはやらなけれはせならないことが山積みになっていることに気づかされ、ノエルはいささかげっそりしていた。
「えっと、ユーリカ!」
 合言葉を唱えると扉が現れ、ノエルはうなだれながらそこをくぐった。それもいけなかったのだろう、中から勢いよく寮を出ようとした誰かとぶつかってしまった。
「いつっ……!」
 誰だ、頭突きかましてきたのは!
 涙目で相手を睨みつけると、黒い髪をしたその生徒もわずかに呻いているようだった。妙に油で艶やかな髪、細くて貧相な手足――セブルス・スネイプだ。
「……大丈夫?」
 また前頭部がジンジンするが、下級生の些細な粗相は笑って流してやらなければ。そう無理やり自分を納得させた後、ノエルはセブルスを見た。
「何ともない」
 そう言いながら身を起こそうとしたセブルスは、ちょうど手をついたところに羊皮紙が転がっているのに気づき、それを拾った。それがいつの間にか落としたらしいマリアの手紙だと気づいた時には、セブルスは既に読み終えたようだった。
「返してくれる?それ」
 別段人の目に触れても支障はないが、やはり気恥ずかしい。セブルスは無言で手紙を突っ返してきた。ノエルは受け取った手紙をポケットの中にしまった。
「『誰の死体?』とは?」
「え?ああ、それね。本のタイトルさ」
 マグルの推理小説だけれどね、とはあえて言わない。スリザリンの寮の中でそんなことを迂闊に言おうものなら総スカンを食らう。
 一向に動こうとしないセブルスの顔を覗き込むと、彼は目を背けた。
 その時ノエルはいつかのバーサ・ジョーキンズの言葉を思い出した。
「セブルス・スネイプには気をつけなさいよ」
「エヴァンズの幼馴染で、彼女のこととっても愛しちゃってるんだから!」
 彼女の言葉が真実なら、セブルスは自分に対して良い感情を持っていないだろう。顔も見たくないかもしれない。今まで接する機会もなくセブルスの様子を正面から受け止めることもなかったが、彼を目の前にしてノエルは何とも言えない気まずい思いになった。
「――るな」
「え?」
 セブルスが何か言ったが、聞き取れなかった。するとセブルスは顔を上げ、初めてノエルを凝視し、言った。
「グリフィンドールの人間に関わるな」
 二人の間に、奇妙な沈黙が降りた。
 ――どういうことだ?
 セブルスが自分に嫉妬して言いがかりをつけているのか?――だが、どうにもそれだけには思えない。セブルスを深く知っているわけではないが、そんな無様で見苦しい態度をとる人間には見えなかった。そもそも、それならば付き合い始めた頃に何も言ってこなかったのはおかしい。何故今頃になって?彼は何かを知っているのだろうか?
「……それはつまり、リリーと別れろってこと?」
「――そうだ」
 ノエルはセブルスから視線をそらさず思案した。表面どおりに彼の言葉を受け取ってはいけないと直感が告げている。
「……君がどういうつもりでそんなことを言うのか俺には分からない。だけど、どんな理由だろうと――そんなことをするつもりはない」
 セブルスが動じた様子はなかった。
「それに、リリーもきっと同じことを言うだろう」
 その言葉を聞くと、セブルスは苦々しげに顔を歪めた。それを見たノエルは悟った。バーサ・ジョーキンズの言っていたことは本当なのだと――セブルスはリリーのことを深く想っているのだと。
「そうか」
 セブルスは無感動な口調で言った。そして立ち去ろうとしたが、また動きを止めた。
「気をつけた方がいい――君は自分で思っているより、厄介な立場にいる」
 表情は髪に隠れて見えなかった。
「肝に銘じておく」
 ノエルがそう答えると、今度こそセブルスは扉を開けて出ていった。
 最後の言葉は、警告か忠告か――。
 自分の知らないところで何かが起きている。広がりつつあるその予感に、ノエルはしばらくの間動けないでいた。






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