29.His Last Moment

 ノエルにとってこの「十三番目の丘」での暮らしは、とても興味深いものだった。ノエルは日中、祖父に付き添っている時と、食事時、宿題をしている時以外はこの巨大な屋敷を探検して回った。部屋がどれくらいあるのか調べるだけでも大変だった。使われていない部屋の方が多く、中には危険なものが仕舞いこまれている部屋もあって、屋敷しもべ妖精に慌てて止められたこともあった。
 ノエルの一番お気に入りは、図書室だった。広く高い棚に収められた本の寮は圧巻で、ノエルはすっかり嬉しくなってしまった。さすがにホグワーツの図書館には負けるが、一邸宅にあるには十分すぎるほどの蔵書数だ。
 いつか、リリーにここを見せたいなあ。
 ニヤニヤしながら図書室で魔法史のレポートを書いていると、そこにブランキーが現れた。
「ノエル・ガードナー様、お手紙をお持ちしました」
「クロエが帰って来たの?」
「さようでございます」
 キーキー声ながら恭しく手紙を差し出すブランキーに、ノエルはにっこり笑いかけた。
「ありがとう、ブランキー。お祖父さんの具合はどう?」
「今日は意識がハッキリしておられます。マリア様とお話になられています」
「そう。なら――そうだな、これを書きあげたら伺おうかな」
「ご主人様はお喜びになられます!」
 ブランキーは本当に祖父のことが好きらしい。朗報を携えて、嬉々として姿を消した。恐らく祖父の部屋に行ったのだろう。
「さて」
 ノエルは自分の顔がだらしなく緩むのを感じながら、ペーパーナイフを取り出し手紙の封を開けた。




 親愛なるノエルへ

 お手紙ありがとう。
 お返事が遅れてしまってごめんなさい。突然祖父母の家に出かけることになって、留守にしていたの。
 八月の第一週の件、もちろん、あなたの用事を優先してくれてかまわないわ。
 けど、一体何があったの?
 うちに来るのが無理でも、新学期の買い物くらいは一緒に行けるかしら?
 あなたの言葉を疑うわけじゃないけど、心配だし――ちょっと寂しいです。
  
                  愛を込めて リリー 

追伸 
 ペチュニアが私の机にあるあなたの写真、こっそり眺めていたの。
 これっていい傾向よね?





 ノエルの脳裏に強がっているリリーの姿が浮かび、少し心が痛んだ。これは詳しい事情を説明してあげないと。ノエルは魔法史の課題をほっぽり出し、自分の部屋にある羊皮紙を取りに行こうと立ち上がった。
「ノエル・ガードナー様!!」
 パチッという音とともにいきなり目の前にブランキーが現れた。丸くて大きい瞳が涙に濡れ、尋常じゃない様子だ。
 ――まさか。
「急いでご主人様のところへ!」
 言われるが早いかノエルは走り出した。祖父の部屋は下の階だ。廊下を走り階段を飛び降り、重厚な扉を押し開ける。
「お父さん!しっかりして!」
 マリアの悲鳴のような叫びが響いた。ノエルがベッドに駆け寄ると、祖父の顔が苦痛に歪み呼吸さえも困難な状態でいることが見てとれた。
「お祖父さん、しっかりしてください!」
 マリアの手が握って離さないその枯れた手に、さらに手を重ねる。それすらわからないのか、祖父はただ苦しげに呻く。
「癒者は!?」
「ひっく――ご主人様が、呼ぶなと――ひっく――おっしゃって――ご主人様――ひっ――ご主人様が――」
ブランキーはぼろぼろと涙を零した。良く見るとブランキーだけでなく、屋敷中のしもべ妖精が集まって、祖父の名を呼んで泣いている。
「なら痛み止めは!?」
「――いい、んだ。ノエル」
 微かな声を上げたのは祖父だった。荒い息には、仄かに死臭が混じっている。そのことに気づいて、ノエルは初めて「死」というものの存在に背筋を凍らせた。
「――私は――もう、満足――している――マリアが――帰って――きて、くれて――おまけに――孫――まで、一緒――」 
「お父さん!」
 マリアの涙が祖父の枕辺に染みを広げていく。震える母の肩をノエルは力強く抱きとめた。
「お父さん――私――私――」
「悪かった、のは――私だ-――当然の、報い――ノエル――マリアを――」
 襲いくる苦痛に、祖父の眼が開かれ、老いた身体が跳ねる。
「お父さん!!」
 あまりに痛々しいその姿にマリアが叫ぶ。ノエルは胸に広がる嫌な予感を振り払いながら、必死で声をかけた。
「弱気にならないでください、お祖父さん!また治まります!大丈夫です――だから」
 一際大きな呻き声が上がる。死の谷が、近くなっている。
「ご主人様!!」
「お父さん!!」
「お祖父さん!」
 その場にいた者たちは口々に祖父を呼んだ。祖父は迫りくる死の苦痛に抗い、凄惨な表情になりながらも、正気を保とうと戦った。それがどれくらい続いただろうか。
 ――た、の、む。
 祖父の唇から零れ出たその言葉を、ノエルは確かに聞きとった。頷く代わりに、力一杯手に力を込める。
 そして最期の大きな苦痛の波が押し寄せ、通り過ぎると――祖父の身体は静かに寝台に沈みこんだ。






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