28.The Ministry of Magic

 ノエルが煙突飛行でやって来たのは、ロンドンの「綴じ蓋」というパブだった。目に入った店内は薄暗く、相変わらずさびれていて客もいない。
「おや、マリアんところのノエルじゃないか。久しぶりだな。お使いか?」
 すすを払いながら暖炉から出てくると、店主のサムがバタービール片手に声をかけてきた。にやりと笑うサムの歯は、見事なまでに欠けていた。
「やあ、サム。そんなところさ――えっと、この店を出て右の通りだよね?」
 ノエルは前にも一度このパブを通じて魔法省に行ったことがあった。ホグワーツに入る前の話だ。その時はうっかり大事な書類を忘れていったマリアに届けにいったのだった。
「おお。何か食べていくか?」
「また今度。今日はちょっと急ぎだから」
「そうかい」
 ノエルは店を出て、暗くなりつつあるロンドンの通りを急いだ。目的地は目と鼻の先だ。すぐに古ぼけた赤い電話ボックスを見つけると、ノエルはその戸を開けて中に入った。
「えーっと、6……2……4……4……2……と」
 受話器を取り、マリアのメモに目をやりながらダイヤルを回す。するとノエルが口にあてていた方から、女性の声が聞こえてきた。
「ようこそ魔法省へ。お名前とご用件をお申し付けください」
 どうやら反対だったらしい。ノエルは慌てて受話器の声が聞こえてきた方を耳にやってから答えた。
「魔法省国際魔法協力部のマリア・ガードナーの息子、ノエル・ガードナーです。母の有給休暇申請書を持ってきました」
「ありがとうございます。バッジをお取りになり、ローブの胸にお着けください」
 電話から銀色の四角いバッジが滑り落ちて来た。手にとって見てみると、
 ノエル・ガードナー
 有給休暇申請書と書いてある。ノエルは着ていた深い緑色のローブにバッジを留めた。
「杖を登録いたしますので、守衛室にてセキュリティ・チェックをお受けください。守衛室はアトリウムの最奥にございます」
「わかりました」
 答えた途端、電話ボックスがズズズ……と音を立てて沈み始めた。地上の景色がだんだんとなくなっていき、ひたすらガリガリと電話ボックスが地中を進む音が響く。真っ暗になりどれくらい経っただろうか、ノエルが少し眠気を覚えた頃にやっと光が射した。
「魔法省です。本日はご来省ありがとうございます」
 戸が開いた時には、先ほどまでとはうって変わった光景がそこにあった。何十人もの魔法使いが行きかう豪華なホール、ブルーの天井には金色の記号たちがピカピカと忙しなく光り動いていた。そして壁にはいくつもの金張りの暖炉が置かれており、特に右側は出発待ちの魔法使いたちが何人も列をなしていた。ちょうど帰宅時間なのだろう。逆に左側の暖炉からヒューッと現れる魔法使いはそう多くなかった。ノエルはその光景を見ながら、外来者用の暖炉を作ってくれればいいのに、と恨めしく思った。
 ――さっさと済ませよう。お祖父さんの容体も気になるし。
 ノエルは魔法使いやら小鬼やらの像が立ち並ぶ噴水を人の波に逆らうように通り過ぎ、ホール最奥の黄金のゲートのところまで歩いていった。きょろきょろとあたりを見回すと、ゲートの近くに守衛室と書かれた案内板があり、ノエルはその下にいる、ブルネットの髪を指でクルクルともてあそんでいる魔女に声をかけた。
「外来者なんですが」
 バッジを見せて言うと、魔女はちらりとノエルを見てから気怠そうに答えた。
「杖」
 ノエルは黙って杖を差し出した。守衛の魔女はそれを「杖測定器」の秤に入れた。すぐに「杖測定器」は震えだし、細長い羊皮紙を吐き出した。
「二十九センチ、ケンタウルスの尻尾髪、使用期間五年。間違いないわね?」
 魔女は羊皮紙を真鍮の釘に突き刺し、ノエルの杖を差し出した。
「これは保管します。杖は返すわ」
「どうも」
 短く礼を言い、魔法使いたちの流れに逆らいながらゲートをくぐる。すると二十台くらいのエレベーターがあるホールに出た。降りてくる人数が圧倒的に多いが、それでも何人かは上がろうと各々並んでいた。ノエルはそのうちのひとつに並び、エレベーターが開くのを待った。チーンと音が鳴ってたくさんの魔法使いが降りてくるのと入れ替わりにノエルはエレベーターに乗り込んだ。格子がするすると滑りガチャンと閉まる。ガタガタとエレベーターが昇り始めると、ノエルは周りの魔法使いたちがチラチラとこちらを見ているのに気づいた。まあ、確かに魔法省に勤めるには若すぎる。
「七階。魔法ゲーム・スポーツ部でございます。そのほか、イギリス・アイルランド・クィディッチ連盟本部、公式ゴブストーン・クラブ、奇抜な特許庁はこちらでお降りください」
 アナウンスが流れ、扉が開くと乗客がひとり降りた。垣間見えた廊下にはたくさんの荷物が雑然と放置されてあり、またクィディッチ・チームのポスターがそこらじゅうに貼ってあった。扉が閉まり、エレベーターはまた上昇を続けた。
「六階。魔法運輸部でございます。煙突ネットワーク庁、箒規制管理課、移動(ポート)キー局、姿現しテストセンターはこちらでお降りください」
 今度は三人降りた。その代わり何枚か薄紫色の省内連絡メモがエレベーター内に入ってきた。何故か一枚だけ紙飛行機ではなくカエル型に織られている。扉が閉じ、エレベーター内上空を紙飛行機とゲコゲコ鳴くカエルが旋回した……と思ったらカエルはノエルの頭にくっついた。
「五階。国際魔法協力部でございます。国際魔法貿易基準機構、国際魔法法務局、国際魔法使い連盟イギリス支部はこちらでお降りください」
 ――着いた。
 ノエルはカエルに別れを告げ、エレベーターから降りた。割と小奇麗な廊下を、きょろきょろしながら歩く。右に曲がり、さらに左に進むと、やっと「国際魔法協力部 国際魔法法務局」の表札が見つかった。樫の木でできた開かれた扉の内側に入ると、そこには深紅の絨毯がひかれていて、ゆったりとしたソファが何個か置かれていた。奥にある区切られた小部屋からは、様々な言語が聞こえてくる。
ちょうど受付のところに魔女がいるのに目を留め、ノエルは近寄って声をかけようとした。
「すみません、マリア・ガードナーの――」
「ノエル!ノエルじゃないか!」
 背後からいきなりバンバンと叩かれ、ノエルはゲホゲホとむせた。こんなことをするのは――。
「げっ――アーサー」
「はっはっ、相変わらず照れ屋だな!大きくなったな!」
 ノエルは思いっきり眉を歪めた。アーサー・ウィーズリーは何故かマリアの友人で、ノエルが幼い頃から何度か顔を合わせている。しかし、ノエルは彼が家にやってきて、マグルの「電子レンジ」を爆発させた時の恐怖が未だに忘れられないでいた。
「……もう、来年は成人だよ。アーサー『おじさん』?」
「『お・に・い・さ・ん』!」
 ノエルは少しだけ意地の悪い笑みを浮かべ、訂正するアーサーのメンツを保ってあげることにした。
「――はいはい。ビルとチャーリーは元気?」
「元気元気!ふたりとももう箒を乗り回してるんだよ!それに、今度もうひとり生まれるんだ――何しろ、僕とモリーが目指すはクィディッチ・チームが作れるくらいの大家族だからね!生まれたらマリアと見に来て――ってそういえば何でノエルがここにいるんだい?」
「俺としては、何でアーサーがここにいるのかも疑問だけど」
「僕?僕はインドネシアから持ち込まれたボロ・ブデールという寺院のマグル土産の件で――まあとにかく仕事の話さ。あっ、ひょっとして君もいよいよ魔法省に就職――」
「アーサー、まだ俺、OWLが終わったばっかりだよ。今日は母さんの有給休暇申請書を持って来たんだ」
「有休?親子水入らずで旅行にでも行くのかい?」
「いや。ちょっと込み入った事情があって――」
 言葉を濁すと、アーサーはポンポンとノエルの頭を撫でた。
「そうかそうか。それで魔法省までお使いか。えらいえらい」
 ノエルはいつまでも子ども扱いをやめないアーサーの態度を改善させることを諦め、用事を済ませるため受付に向き直った。
「すみません、マリア・ガードナーの有給休暇申請書を持ってきました!」
 大声を出すと、ベリー・ショートのブロンドを輝かせた魔女がノエルの顔を見上げた。
「あら?君――マリアの息子さん?よく似てるわね」
「よく言われます。あの、これを……」
 手渡すと、魔女は杖で手紙の封を破り、申請書に目を通した。
「うわあ、珍しくいきなり早退したと思ったら――有休?しかも――マリアが数日いないだけでもパニックに陥るのに――一カ月?こりゃ、血の雨が降るわね」
 魔女は大仰なため息をついた。
「まあ、きみに言っても仕方ないか。確かに受け取ったわ。で、アーサー、あなたの用件は?」
 ノエルの後ろからひょいっと顔を出したアーサーに魔女は尋ねた。
「ああ、東南アジア担当のウィムジーと面会したいんだ。アポは取ってある」
「了解。ちょっと待ってて――ああ、君はもう帰っていいわよ」
 ノエルは「どうも」と小さくお礼を言い、ちらりとアーサーに目をやった。アーサーは豊かな赤毛を垂らしてウィムジーらしき人影に手を振っていた。
「じゃあ、これから仕事だから。そのうちマリアと一緒に『隠れ穴』に遊びにおいで」
「むしろ、ビルとチャーリーの遊び相手をしに、でしょ?落ち着いたらね」
 そうしてノエルはアーサーに別れを告げ「国際魔法法務局」を後にした。長い廊下を歩き、エレベーターの前に出る。スペイン語らしき言葉で話しているふたりの魔法使いの後ろに並ぶと、まもなくチーンと音が鳴り、ドアが開いた。
「――おや」
 エレベーターの中にいた人物に声をかけられ、ノエルはびっくりして固まった。
「……ミスター・ワーズワース」
 それはスラグホーンのイースター・パーティーで会ったアゼルバート・ワーズワースだった。向こうも思いがけない再会に目を丸くしている。
「アゼルと呼んでくれ。奇遇だね。まさか君とこんなところで会うなんて」
 どうしよう。扉の閉まったエレベーターの中でノエルは焦った。まさか、こんなところで再開するなんて。あの時の言葉の真意を知りたいと今も思っているのは確かだったが、こんなところで訊けるような内容じゃない。
「――母に頼まれて。届け物を」
 とりあえず、ここでは無難な会話を選択した方がよさそうだ。
「ほう?」
「前にも、やっぱり届け物をしたことがあったんですが――やっぱりすごい人の数ですね」
「帰宅する者が多い時間だからね」
「ワーズワースさんも――」
「アゼル、と」
 少しばかり強い声でそう言われた時、エレベーターが止まり落ち着き払ったアナウンスが聞こえて来た。
「六階。魔法運輸部でございます。煙突ネットワーク庁、箒規制管理課、移動(ポート)キー局、姿現しテストセンターはこちらでお降りください」
 降りる者はおらず、逆に四五人が入ってきた。ワーズワースと距離が近づき、ノエルはやたらと緊張している自分に気づいた。
「……アゼルも、帰宅するところですか?」
「いや、これから人と会う約束があってね」
「そうなんですか」
間ができた。居心地の悪い沈黙に、ノエルはごくりと唾を飲んだ。
「七階。魔法ゲーム・スポーツ部でございます。そのほか、イギリス・アイルランド・クィディッチ連盟本部、公式ゴブストーン・クラブ、奇抜な特許庁はこちらでお降りください」
 あと一階だけだ!ノエルは何か話題を提供しようと口を開きかけたが、幸運なことにワーズワースの方からそれはもたらされた。
「……マリアは、元気かね?」
「ええ。ホグワーツから帰った日には山ほどシフォンケーキを焼いてくれました。夜中の二時くらいに」
 笑いを誘おうとしたがそれは失敗だった。ワーズワースは無表情で「そうかね」と言っただけだった。
「八階。アトリウムでございます。煙突飛行用暖炉、外来者用出入り口はこちらになります」
 大勢の魔法使いがエレベーターから解放されるように流れ出た。ノエルは何とかその波に乗り、窮屈な空間から脱出することに成功した。
「まったく、人が多くてかなわん」
 ワーズワースとノエルは人の波に乗ったまま黄金のゲートをくぐった。暖炉の壁から多くの魔法使いたちが帰っていく。ノエルは守衛室の案内板を見つけ、立ち止った。
「待ち合わせているんですよね。じゃあ、僕はここで――」
 ワーズワースは何か物言いたげな表情で顎を触っていたが、ちらりと暖炉の方を見ると、ノエルの肩に右手をおいて、囁いた。
「ノエル、もし何かあれば、いつでも君の力になろう。遠慮せず連絡してくるといい」
 それがどういう意味なのか、ノエルはわからなかった。自分の勘違いだろうか?――そうは思えない。
「ありがとう、ございます」
 とりあえず失礼にならないよう感謝の言葉を返すと、ワーズワースは含みのある表情で微笑んだ。ノエルはワーズワースに背を向け、守衛のところへと急いだ。
 ――その姿を、自分と同じ瞳の男が見つめていたことなど、この時のノエルには知る由もなかった。






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