27.The Mission

「ノエル!」
 マリアが屋敷の応接間に飛び込んできた時、ノエルはふかふかのソファにゆったりと座りながら実に上質な紅茶を味わっているところだった。ハアハアと肩で息をするマリアにプランキーが号泣しながら駆け寄る。
「マリアお嬢様!マリアお嬢様!大丈夫でございますか!」
「ブランキー!久しぶりね!あらあら、また泣いて……ってそうじゃないわ、あなたがノエルをここへ連れてきたの!?」
「そうでございます、マリアお嬢様!ブランキーめは……プランキーめは……」
「とりあえず落ち着きなよ、母さん。ブランキーも」
 ノエルは立ち上がり、マリアをソファに座らせた。マリアは明らかに混乱していた。
「はい、母さんの紅茶。砂糖なし、ミルクたっぷり」
 渡されたティーカップをマリアは一気に飲み干した。上質な茶葉なのに、勿体ない。
「落ち着いた?」
「ええ……って、そうじゃなくて」
「じゃあ、お祖父さんに会ってくるといい。俺はもう話したから」
「そうなの……って、え!?」
 狼狽える母に、ノエルは微苦笑を浮かべながら向き合った。
「だいたいのところは、聞いた。でも今はそんなことより、お祖父さんと会うべきだよ、母さん」
「ノエル、あなた……」
 マリアは戸惑いを隠せない様子だったが、ノエルの目の色が普段と変わりないことに気がつくと、大きく深呼吸した。
「――そうね。本当は、成人する時に話そうと思っていたのだけれど……聞いてしまったのなら、仕方ないわね……」
「俺のことはいいから。お祖父さん、危篤なんだよ?今は持ち直してるけど……意地張らないで、会ってきなよ」
「そう……ね……」
 そうは言っても、マリアは気がのらないようだ。我が母親ながらなんて頑固なんだ。ノエルはため息をつくと、うるうると瞳を濡らしている屋敷しもべ妖精に視線を向けた。
「な、ブランキー?」
「もちろんでございます!!マリアお嬢様、どうか、どうか……!」
 さすがに無垢なしもべの頼みは断れなかったのだろう、マリアは息子とブランキーの顔を交互に見つめると、ようやく腰を上げた。
「――会って、くるわ。ブランキー、案内して頂戴」
 宣言した母を、ノエルはひらひらと手を振って見送った。
 その後、祖父と母との間でどんなやりとりがあったのか、ノエルは知らない。だが、二時間後にマリアが戻って来た時、目は真っ赤で化粧はボロボロになっていた。
「――休暇を取るわ。ちょうど有給もたまっていたことだし……それと、ノエルさえ良かったら……」
 この屋敷に戻ろうと思うの、とマリアは言い出した。
「もちろん、私たちの家も残しておくわ。あなたの育った家ですもの。だけど、今はこの屋敷で――泊まり込みでお父さんの看病をしたくて。そうなると、あなたもこっちにいたほうがいいと思うの。突然のことで、とても申し訳ないんだけど……」
マリアは、いつもとはうって変わったガラガラ声だった。祖父との再会で号泣したその様子を見て、否と答えるほどノエルは鈍感ではなかった。
「俺は別にかまわないよ。和解、したんでしょ?」
「……ええ」
「なら問題ない」
 訊きたいことはあった。だけど、今はその時じゃない。
「ありがとう、ノエル。あなたは本当にできた息子だわ。自慢の息子よ」
 マリアは涙ぐみながら息子を抱きしめた。ノエルは自分より小さくなった母の背に腕を回した。
 それからはまた慌ただしい出来事の連続だった。疲弊したマリアの代わりに煙突飛行で家に戻って荷物をまとめ、ブランキーの魔法で「十三番目の丘」に送ってもらうと、ノエルは急いでリリーに手紙を書いた。


 親愛なるリリーへ

  やあ、元気にしてる?
  こっちはちょっと不測の事態が起きた。
  八月一週目は難しくなってしまった。ごめん。
  しかも、もしかしたら夏休みの間中拘束されることになるかもしれない。
  また手紙を書く。俺も君に会いたいよ。

          取り急ぎご連絡まで
          ノエル・ガードナー


 いつもと違って、出来栄えはどうだろう、と見直す時間の余裕はなかった。ノエルは急いで封蝋をすると、手紙をフクロウのクロエの足元にくくりつけた。
「頼むよ、クロエ。ああ、返事は『十三番目の丘』まで運んできてくれる?」
 クロエはホーと自信ありげに一声鳴いた。
「君が優秀なふくろうで助かるよ。ありがとな」
 優しく喉元を撫でてやると、クロエは満足げにまた鳴いた。窓を開け、クロエを放つ。飛び去っていくその姿を見つめながら、ノエルはお流れになったデートにちょっとだけ名残を惜しんだ。
 再び煙突飛行で「十三番目の丘」にとって返すと、もう夕暮れ時になっていた。
「ノエル坊ちゃま、ノエル坊ちゃま!お荷物はお部屋に運んでおきました!」
 ぴょこぴょこと跳ねるこの屋敷しもべ妖精は名前をティファニーと言うらしい。しかし、「ノエル坊ちゃま」はやめて欲しいところだ。
「ありがとう、ティファニー。母さんはまだお祖父さんの部屋?」
「そうでございます!ティファニーめは、マリアお嬢様から大切な書類を預かってございます!」
「書類?」
「これでございます!」
 渡されたのは羊皮紙の端きれと、もう一つちゃんと封をされた手紙だ。羊皮紙の端きれの方はマリアの字で書かれたメモのようなものだった。


ノエルへ

申し訳ないけど、この手紙――有給休暇の申請書を、魔法省に届けてほしいの。
できたら私が直接持って行きたかったんだけど、先ほどお父さんが発作を起こしたのよ。
今は大丈夫だけど、傍を離れたくないの。
お願いします。
        母さんより

追伸
魔法省の外来者用入口はわかるわよね?
62442よ。


「どうかいたしましたか?ノエル坊ちゃま」
 答える代わりに、ノエルは盛大なため息をついた。
「――いや、何でもない。新たなる任務に心が躍っているだけだよ」
「それはようございました!」
 面倒事はとっとと片づけてしまおう。ノエルはまたフルーパウダーを一掴みすると、年季の入った暖炉にそのキラキラとした粉を放り投げた。
「任務遂行してくる。報酬として、豪勢な夕食、期待していいかな?」
「もちろんでございますとも!」
 ティファニーの言葉ににっこり笑うと、ノエルはエメラルドグリーンの炎の中に再び身を投じた。






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