25.Blanky

「ノエル!起きなさい、もう母さん出かけるわよ!」
 高く響く声に、ノエルはしぶしぶベッドから這いずり出た。もぞもぞと着替え、顔を洗い、階段を下りてリビングのドアを開けると、マリアが髪の毛をセットし終わって鏡でチェックしているところだった。
「おはよう、母さん……」
 眠い目をこすりながら椅子に座る。
「おはよう、お寝坊さん。全く、また遅くまで本読んでたわね?ああ、夕飯は知り合いの人と食べることになってるから、勝手に食べてて」
「りょうかい……」
 ふあ、と欠伸が出る。マリアはそんな息子の頬に素早くキスし、暖炉にフルーパウダーを投げ入れた。炎が美しいエメラルドグリーンに染まる。
「それと、あんた宛てに手紙が来てたわよ!ピアノの上に置いてあるから。あ、あとクロエに餌あげといてね!」
 その言葉にノエルの意識が覚醒した。マリアはニヤッと笑い、「行ってくるわね!――『魔法省』!」と叫んで煙突飛行していった。
 夏休み、ノエルがホグワーツから帰ってきて四日が経っていた。三日前にリリーに手紙を書き、ふくろうのクロエに持たせていたのだ。ノエルは帰って来たクロエの喉を撫でてやり、チキン味のふくろうフーズを食べさせてやってから、言われた場所にあった手紙を手に取った。思わず頬が緩む。そこには、リリー・エヴァンズの名前が書いてあった。


 親愛なるノエルへ

 暑い日が続いているけれど、ご機嫌いかがかしら?
 お手紙、どうもありがとう!とっても嬉しかった。
 
 お尋ねの件だけれど、八月の第一週はどうかしら?
 それに、デートの後、もしよかったら、私の家に泊まっていかない?ママとパパがあなたに会いたがってるの!ペチュニアは別だけど……そのことはわかってくれてるわよね?でも、もしあなたとペチュニアが仲良くなってくれればこんなに嬉しいことはないわ!
 もちろん、断ってくれてもかまわないわ。
 でも、あなたと一緒に行きたい場所がたくさんあって、一日じゃ終わりそうにないのも本当よ。
 
 夏休みは大好きだけど、今年はいつもより物足りないの。
 きっとあなたがいないせいだわ。
 
 早く会いたい。

      愛をこめて リリー


 ノエルは嬉しさのあまり、ニヤニヤが止まらなくなってしまった。マリアに見られなくてよかった。これじゃ、正真正銘、危ない人だ。
 しかし、泊まりがけのお誘いとは。ノエルはちょっと考え込んだ。
 信用されているのだろう。リリーの両親や、噂のペチュニアと会ってみたい気持ちもある。でもここまであっけらかんと泊まりに来ない?と誘われると、自分も一応男なんだぞ、と言いたい気持ちになる。いや、まさかリリーの家で如何わしいことに及ぼうなどと考えているわけではないのだが……かといって如何わしいことに興味がないと言えば嘘になるのだが……男心もなかなかに複雑なのである。
 ノエルは朝食が用意されたテーブルの前に座り、すっかり冷めてしまったハムエッグをつついた。
 リリーと付き合い始めてから、もう五ヶ月ほどになる。ホグワーツの中で言えば長続きしている方だ。マイクロフトによると、三ヶ月続くかどうかがカップルの分かれ目で、それを過ぎてしまえばけっこう続くものだという。ノエルはそのことについてはあまり心配していなかった。リリーもノエルもお互いに真面目な性格だし、相手に誠意を尽くすタイプだ。ノエルはリリー以外に見向きもしないし、リリーだって――自惚れ屋と笑ってもらってもかまわないが、彼女に愛されている自信はあった。ノエルにとって、初めての真剣な恋愛だった。できることなら、ずっと彼女と一緒にいたい。
 そのためにも、やっぱり、リリーの家族に会った方がいいのだろう。それには、マリアにリリーのことを話さなくてはならない。それが少し恥ずかしいだけだ。
 ――そういえば。
 ノエルはふと別のことが気になった。マリアは再婚しないのだろうか?彼女は十分に若々しい外見だし、我が母親ながらなかなかの美人だと思う。それなのに――ホグワーツで暮らしているから仕方ないのかもしれないが――恋人の話を聞いたことがない。
 ――その瞳は、父親譲りだね。
 ワーズワースの言葉が頭の中に甦った。グラスに注がれた水の中に、自分の瞳が映る。
 父親――。
 ノエルは頭を振った。
 父親はいない。ずっと前に死んだ。そう小さい頃に聞かされただけ。
 では、何故自分は父親の名前さえ知らないのか?何故家には父親の写真すら残っていないのか?何故自分には祖父母すらいないのか?
 考えるな。考えても詮無いことだ。ただ、マリアを困らせるだけだ。
 では何故ワーズワースの連絡先を手に入れた?――いざという時のためだ――いや、違う。俺は自分のルーツを知りたがっている。それの何が悪い?――いや……。
 ノエルがまた一人問答を繰り返していると、いきなりパチンと妙な音がした。
 ――「姿現し」の音だ。ノエルは咄嗟に杖をかまえ、無作法にも結界を超えてきた侵入者を探した。
「ノエル・ガードナー様ですね?」
 声がした。あたりを見回しても誰もいない。が、ノエルが足元を見ると、そこにはとても背の小さい人間――ではなかった、こげ茶色の身体に長い耳、尖った鼻――屋敷しもべ妖精がキリリとした表情で立っていた。
「あー……そうだけど、君は……」
「わたくしは屋敷しもべ妖精のブランキーと申します。どうぞブランキーと呼び捨ててください。わたくしはあなた様に伝言をお持ちいたしました」
 屋敷しもべ妖精なら結界を抜けられても仕方ない。しかし、ノエルはこの屋敷しもべ妖精のブランキーの主人に全く心当たりがなかった。
 一体誰の屋敷しもべ妖精だろう?大きな屋敷にしかいないはずだ。ホグワーツにはたくさんいるが、個人で屋敷しもべ妖精を従えている人間となると、限られてくる。
「どうもありがとう、ブランキー。それで、伝言て?」
 ありがとう、と言ったところでブランキーの身体がビクッと大きく揺れた。みるみるうちにその大きな瞳に涙が溢れてくる。
「もっ、申し訳ありません!あまりに……あまりに似ておいでなので……」
 何故泣くのかわからず、ノエルは途方に暮れたが、ブランキーは何とか涙を流さずにこう言った。
「お伝えします。『至急戻れ。話がある』――以上です」
「え、それだけ?」
「復唱いたしましょうか?」
「いや、結構。でもブランキー、そんな短くちゃわけがわからないよ。伝言を頼んだ人は誰なんだい?」
「わたくしのご主人様、つまりあなた様のお祖父様、ガードナー卿にあらせられます」
 ノエルの思考がしばらく止まった。
「……はい?」
「ご主人様は、ご危篤であらせられます」
 あなた様のお祖父様、ガードナー卿――何だって?
「ですから、申し上げました通りです。あなた様のお祖父様がご危篤の状態なのです!今にも天に召されそうなのです!」
 ブランキーは瞳に涙を溜めて言った。
「いや、危篤の意味はわかってるんだけど……」
 ガードナー卿?自分のお祖父様?――誰だ、それは。
 この十六年間、自分には祖父がいないものだと思っていたのだ。それがいきなり見知らぬ屋敷しもべ妖精に祖父が危篤だと言われても、まるで理解不能だ。
「あー、ブランキー。悪いけど人違いじゃ……」
「いいえ、人違いではございません。あなた様は、マリアお嬢様にそっくりでいらっしゃいます。ご主人様のお若い頃にもよく似ておいでです。ブランキーが見間違えるはずもございません」
 ノエルは押し黙った。ブランキーは、マリアをお嬢様と呼んだ。マリアとノエルが似ていることも知っている。
「――本当に?本当に、僕には祖父がいて、危篤状態なのか?」
「本当でございます!ですから、至急なのです」
 泣くのをこらえているブランキーが、嘘をついているとは思えなかった。ノエルは今世紀最大のため息をついた。
「――わかった。わかった、わかったよ」
 こめかみを押さえながらノエルは言った。
「でも、母に確認をしたいんだけど。ちょっと待っててもらえる?」
 フルーパウダーで魔法省に紙飛行機を飛ばして連絡を入れよう。そう思って用意しようとしたノエルの脚を、ブランキーが掴んだ。
「――わかったから。離してもらえるかな?」
「ノエル・ガードナー様はもういかなくてはなりません。マリアお嬢様には、今頃別の者が知らせております。参りましょう」
「……何処へ?」
 げ、と口元を歪めたが、もう遅かった。
「『十三番目の丘』にございます、ノエル・ガードナー様」
 景色が回転する。まるで窮屈なホースに詰め込まれ、毛穴が全て閉じられたような感覚がした。息もできない。「姿現し」だ――と理解した瞬間、ノエルは小高い丘の上の、見たことのない大きな屋敷の前に立っていた。






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