ぐったりしながら地下のスリザリン寮に戻って来ると、談話室にはまだちらほらと人の姿があった。暖炉の前の席では、レギュラス・ブラックが黙々と羽根ペンを走らせているし、隅の方ではセブルス・スネイプが分厚い本を開いている。また七年生の何人かも教科書を見せ合いながら机を囲んでいる。
ノエルは七年生の邪魔にならないよう、入り口近くのソファに座り込んだ。暖炉の暖かさも十分に伝わってくる位置だったので、マフラーとコートを脱いで手足を伸ばした。途端に疲労感が身体中に広がっていく。
いきなり、ノエルはくつくつと笑い出した。ポッターのあの顔!間抜けな猫の声と来たら!全くの遠慮なしに力を込めたので、早々に治ることはないだろう。ざまあみろ。
「ノエル」
独り愉悦に浸っているノエルに声がかけられた。ノエルは笑いを潜め、声の主を見上げた。
「隣いいかしら?」
ノエルが承諾する前にソファに腰を下ろしたのは、ここのところ姿を見せなかったアイリーン・プレスコットだった。長い金髪に隠れ、表情が見えない。
「久しぶりだね、アイリーン」
「そ、そうね」
一方、アイリーンは妙な雰囲気だった。少しびくびくしているというか、落ち着かない様子だ。
「ノエル、今日は遅かったわよね」
「……うん、ちょっとね」
会話が途切れた。アイリーンは何か言いたげだったが、どうも言葉が出ないらしい。ノエルは少し意外に感じた。アイリーンは、好意を打ち明けてくれてからはずっと、何と言っても聞き入れてくれず、ひたすら話し掛けてくるような感じだったからだ。
「……怒ってないの?」
アイリーンが震えた声できいた。
「俺に怒られるようなこと、したの?」
アイリーンは押し黙った。多分ホグワーツ特急内の事件のことだろう。しかし自分は現場にいたわけでもないし、結果としてポッターがリリーに呪いをかけたのだから、アイリーンのしたことを俺が怒るのは筋違いというものだ。
「……ノエルは、優しいのね」
「そんなことない」
「ううん、優しいわ」
そう断言するなり、アイリーンはノエルの方に顔を向けた。
「今日、ホグズミードで、ノエルがグリフィンドールのエヴァンズといたの見たわ」
アイリーンの目は真っ赤だった。
「その時、私、心臓が針で貫かれたみたいに痛かった。頭が熱くなって、自分ではどうしようもないくらいに……」
アイリーンは涙を零して肩を震わせた。
それを見ているノエルは、罪悪感でいっぱいだった。もし自分がアイリーンだったら、と考えると、彼女の気持ちが痛いほどよくわかるからだ。どれだけその小さな身体を抱きしめて慰めてあげることができればいいだろう。しかし、彼女の気持ちに応えることができない以上、その行為は残酷なものにしかならない。その事実が、ノエルを一層苦しくさせた。
「アイリーン」
ノエルはできるだけ優しくその名前を呼んだ。
「ごめん。今の俺には、君に何もしてあげられない」
「……いいの」
アイリーンは涙を拭いながら言った。
「でも、せめて、ささやかなバレンタインの贈り物くらいは受けとってくれる?」
そう言って差し出されたのは、ノエルの好きなカボチャパイや、アップルパイ、クッキーなど、お菓子の詰め合わせだった。ピンクやオレンジなど明るい色の鮮やかな包装が、いかにも女の子らしい。
ノエルは頷き、それを受けとった。
「ありがとう」
「ノエルのために作ったの。だから、ノエルが食べてね。お願いよ」
わかったと約束すると、アイリーンは微笑み、お休みと言って女子寮に帰っていった。
その後ろ姿を見つめながら、ノエルは大きくため息をついた。先程からわかっていたのだが、他の生徒の視線が痛いほどノエルに突き刺さり、談話室のあちこちで興味本位の囁き声が飛び交っていた。さすがにこれでは居心地が悪い。
ノエルは荷物をまとめると、自分の部屋に戻った。ルームメイトとのやり取りもそこそこに、ベッドに身を投げる。
――可愛いし、いい子なんだ。でも……。
リリーの顔が浮かんだ。そして、その笑顔に導かれるように、ノエルは深い眠りに落ちていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次に瞼を開けると、部屋は真っ暗で、時計を見ると七時少し前だった。
「ってぇー……」
ノエルはうめき声をあげた。身体があちこち痛いいし、だるい。しかも腕の傷が熱を帯びている。リーマスを背負ったり、抜け道を往復したり、ポッターと決闘したりと大変身体を酷使したので、当然の結果だった。
しばらくして、ノエルは自分の腹が絶え間無くグーグー鳴っていることに気づいた。そういえば、昨日の昼から何も食べていない。
――そうだ、アイリーンがくれたお菓子があったはず。
ノエルは身体を起こすと、ラッピングされたお菓子を枕の隣に見つけ、有り難くちょうだいすることにした。
――アイリーンには本当に申し訳なかったけど……。
罪悪感を感じながら、それでも感謝の気持ちを忘れずにカボチャパイを頬張る。うん、おいしい。空腹だったせいもあって、ノエルは全部のお菓子をあっという間に食べてしまった。
ドクン。
食べ終えてシャワーを浴びようとタオルを引っ張り出した時、いきなり心臓が跳ねた。
――なんだ?
訝しがっていると、次第に体温が上がってくるのがわかった。急いでシャワー室に駆け込んで水を浴びても止まらない。
頭の中が蜘蛛の巣を張られたようにぼうっとする。胃の底から不可解な衝動がもたげてくる。
――何が起きたんだ?
急いで身支度を整えると、起き出したルームメイトに挨拶することもなく、真っ直ぐに寮の談話室に向かう。
ノエルは無意識にそこで誰かを探していた。そしてその姿が見えないとわかると、出口へと急いだ。
「あらノエル、今日は早いのね?」
同じ学年のスリザリン生、フランシス・カーファックスがからかい気味の声をかけた。
「ああ――そんなことよりも彼女を知らないか?」
「彼女?誰のこと?」
目をパチクリさせているフランシスに、ノエルは興奮気味に言った。
「決まってるじゃないか!アイリーンだよ!」
ノエルは自分の口から出た言葉に驚いた。
――何で?何でアイリーンにこんなに会いたいんだ?まるで自分じゃないみたいだ――。
「あ、アイリーンならさっき大広間に向かったけど……?」
「ありがと!」
言うなりノエルはスリザリンの寮を出た。
ノエルは熱に浮かれたような心地のまま、階段を駆け上がり急ぎ足で大広間に向かった。
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