7.Wound

 ホグワーツに到着し、マイクロフトと廊下で別れてからノエルはひとりでスリザリン寮に歩いていった。一番最後にホグワーツ特急を降りたからか、既にみんな寮に戻っているらしかった。
 それはいいものの、寮の前まで来てノエルは大事なことを思い出した。寮の合い言葉を聞いていない。試しに去年の合い言葉を唱えてみたが、石の壁はピクリとも動かなかった。こうなると、談話室から誰か出てくるか帰ってくるかを待つしかない。寒いから一旦図書館に行こうかとも思ったが、荷物があるためそれも面倒だ。
 ちょうどその時、背後から人の足音が聞こえてきた。後ろを振り向くと、そこには後輩のセブルス・スネイプの姿があった。
「やあ、セブルス」
 ノエルはこれで寮に入れると顔をほころばせた。
「すまない、合い言葉を教えてくれないか?」
 セブルスはべっとりした髪の間から黒い目を光らせると、まるでノエルが本物かどうか確認するように頭のてっぺんから足のつま先まで視線を移動させた。
「『沈黙は金』」
 鑑定の結果、ノエルは本物と認識されたらしい。するすると壁が開いた。
「ありがとう、助かった」
 礼を言うと、いつもなら素っ気なく「いや」とだけ言って立ち去ってしまうのに、セブルスはそのまま無言でノエルを凝視してきた。
「俺、顔に何か付いてる?」
 まさかカボチャパイの残りカスか、と慌てて口元を拭う。しかし、何も付いていないようだ。それでもセブルスはただじっとノエルを見つめている。
「――いや……何でもない」
 やがてそれだけ言うと、セブルスはさっさとひとり先に談話室に消えていった。
 変なヤツだな。いや、どちらかというと前からそうか?
 ノエルはセブルスの不可解な行動に首を傾げたが、深く気にすることなく荷物を持ってスリザリンの地下室へと入っていった。
 壮大な彫刻をした暖炉の前を通り過ぎようとすると、何人かのスリザリン生がノエルに気づいた。途端に彼ら(特に女子の一団)の声が何やらヒソヒソ声になり、好奇心丸出しの顔になる。ゴシップネタを見つけた時特有の表情だ。
 ――どうやら、レイブンクローだけじゃないみたいだな。
 ノエルはうんざりしたが、とりあえずゴシップ集団の中にアイリーンの姿が見えなかったことに安堵してもいた。ノエルはとりあえず早足でその場を立ち去ることにした。
 部屋に入ると、ルームメイトは皆揃っていた。「やあ」と声をかけてノエルは自分のベッドに近寄った。
「元気だったか?」
「どうだったんだ?クリスマスは」
 声をかけてきたのはひょろ長いエルウッド・フィッシャーとずんぐりとしたジェイク・キャリーの凸凹コンビだった。
「相変わらずさ。楽しかったよ、それなりに」
 ノエルは当たり障りのない返事をしながらトランクを開いて荷物を片づけ始めた。
「いいなあ、ノエルは」
「本当、きっといいクリスマスだったに違いないんだからな」
 含みのある言葉にノエルは顔を上げた。凸凹コンビはニヤニヤと顔をだらしなく弛緩させている。
「何のことだい?」
 険を含ませて尋ねると、ふたりはますますニヤニヤ顔になった。
「またまたあ、とぼけなくたって」
「あんな壮絶な女の戦いさせておいて、それはないよなあ」
「――女の戦い?」
 訳がわからないので、ノエルは困惑した。すると今まで会話に参加してこなかったカーティス・ダインが口を挟んできた。
「無責任にも程があるな」
 カーティスが非友好的なのは今に始まったことではないが、その口調はいつも以上にとげとげしいものだった。
「グリフィンドールのエヴァンズと、アイリーンがホグワーツ特急の中で大喧嘩してたの、その原因の君が知らないって、どういうことだよ」
 ――は?  
 ノエルは驚愕のあまり持っていた教科書を足下に落としてしまい、その痛みに呻いた。
 カーティスは、隣のコパートメントにいたんだけど、と嫌みったらしく前置きしてから詳細を語った。
「アイリーンがエヴァンズのコパートメントにやって来て、何か言ってた。お前にちょっかい出すなとか、グリフィンドールのくせに、とか何とか、まあ当然のこと言ってた。みもちろんエヴァンズもあの性格だ、ただ黙っておとなしくアイリーンの話を聞く訳もない。で、すっごい壮絶な口喧嘩してたんだけど、そこにポッターたちがやって来てアイリーンを攻撃したんだ」
「何だって!?」
 ノエルは思わず大声をあげた――マイクロフトと呑気にカボチャパイを食べている間、そんなことが起きていたなんて!
「アイリーンは?」
 尋ねると、カーティスは口をもごもごとさせて、喉に何か詰まっているかのような応えを返した。
「――結果的には、軽傷だ。でも、エヴァンズが……」
「どうしたんだ!?彼女の身に何か起こったのか!?」
 血の気が引くというのは、まさにこのことを言うのだろう。ノエルの脳みそは氷付けされたように冷え切って、思わずカーティスの胸ぐらを掴んでいた。
「――離せ!」
「あ、ああ、すまない……」
 手を放すと、カーティスはゲホゲホと蒸せた。
「ゲホ、ふん、本当に君は礼儀がなってないな!……ありがたく教えてやるからよく聞けよ!馬鹿なエヴァンズは、愚かにもアイリーンの代わりにポッターの呪文に当たったんだよ!」
「マジくそ野郎だ!」
「最低だぜ、ポッターの野郎!」
「だから今頃は医務室――って、おい!!」
 カーティスが声をかけた時には、ノエルは部屋を飛び出していた。三人の声が何やら言っていたが、何を言っているのか聞いている暇もなかった。
 ――リリー!
 ポッターの野郎、とか、アイリーンは軽傷ですんだのか、とか、そんなことは一切考えられなかった。ただリリーのことだけが心配で、ただその一心で、ノエルは無我夢中で寮を飛び出し、階段を駆け上がり、医務室へと駆けた。
 バタン!!
 勢いよく医務室の扉に突っ込むようにして入っていくと、校医のマダム・ポンフリーが当然ながら騒音に眉をつり上げた。 
「まあ、何ですか、ガードナー!ここを何処だと――」
「リリー・エヴァンズは何処ですか!?」
 肩で息をしながらノエルはマダム・ポンフリーに詰め寄った。マダムは滅多に見ないノエルの取り乱しようとその真剣さに圧倒され、目をぱちくりとさせた。
「落ち着きなさい、ガードナー!どうしたというのです!今のあなたはまるで手負いのヒッポグリフのようですよ」
「落ち着いてます!!」
 ノエルはとても落ち着きのない様子でそう言い放った。マダムは両手を腰に添えてはあ、と大きなため息をついて、「これをお飲みなさい」とノエルにホットミルクを渡してくれた。ノエルは自分が猫舌なのを忘れて一気飲みをしたため、「熱!!」と叫んでゴホゴホと咳き込んだ。
「確かにエヴァンズはここで休んでいますよ。しかし、今は、少しばかり具合が――」
 ちら、とマダムが一番奥のカーテンで仕切られたベッドに目をやる。すると、カーテン越しに人影が動いた。
「ノエル……?」
 それは紛れもなくリリーの声だった。マダムの制止を振り切って、ノエルはそのベッドに駆け寄り、カーテンをどかそうとした――。
「いや、駄目、見ないで!!」
 リリーの鋭い叫び声がノエルの手を静止させた。
「私、今、酷い顔なの――だから――お願い、見ないで……」
 呟く声は、いつもの彼女らしくなく、力無く弱々しいものだった。
「エヴァンズはプレスコットを庇って、ポッターの呪いを――『メドゥーサ髪の呪い』と『風船トナカイ鼻の呪い』を受けたのですよ。わかっておあげなさい」
 それを聞いて、ノエルの中に沸々とポッターに対しての怒りが込み上げてきた――胃の底がグツグツと音を立てる。
「――女の子に、なんて酷い呪いを」
 ポッターめ、とノエルは吐き捨てた。しかし、その原因はそもそも自分にあるのだということを思い出して、ノエルはどうしようもない気持ちになった。ギリリと奥歯を噛み締める。
「わかった。……リリー、ごめん」
 ごめん、とノエルはもう一度謝罪した。
「話を聞いた。俺のせいなんだろう?……本当にごめん」
「ノエルのせいじゃないわ!」
 先程とは違う、リリーのしっかりした声が返ってきた。元気のある声に、少しだけ安堵する。
「でも、隣のコパートメントにいたヤツの話では……」
「その人があなたのせいといったのなら、それは間違いよ!だって、私が違うと言っているんだから」
「ガードナー」
 咎めるような声音のマダムに、リリーが嘆願した。
「お願いです、マダム。ノエルと話をさせて下さい」
「――しょうがないですね。まあ、あなたたちなら騒いだり暴れたりはしないでしょうし……少しだけですよ」
 マダムは職員室に用があるらしく、彼女が戻ってくるまでの時間を許可してくれた。マダムが扉を閉めて出て行くと、リリーは話し始めた。
「確かに、プレスコットはあなたのことで文句を言いに来たわ。そして、確かにちょっと――いや、けっこう――ええ、かなり相当――私たちは激しく口喧嘩してた。けれど、そこに関係ないのに首を突っ込んできたポッターが全部悪いのよ!ポッターが口汚くプレスコットを罵ったから――彼女は激昂して私に呪いをかけようとしたの!そしたら待っていましたとばかりに、彼女にとんでもない呪いをかけようとしたのはポッターなのよ!」
「それで何で、君が呪いを浴びる羽目になったんだ?」
 真剣にノエルが問うと、それが――ノエルがリリーを心配しているという事実が――伝わったらしく、リリーは答えづらそうに言った。
「気づいたら身体が動いて――彼女を庇ってたの」
 ノエルは今日一番のため息をついた。
 何で、何の関係もない――アイリーンを庇ったのだろう。一方的に言いがかりをつけてきたのだろう彼女に、何でそこまでする義理がある?君が怪我を負ったら、悲しむ人や、心配する人がいるだろうに――そう、今俺が君のことを心配しているのと同じように。
「でも、ほとんど無意識であったとはいえ、彼女を庇ったのは私の意思よ!ノエルはちっとも悪くないわ!!」
 リリーはそう言い切った。どうやら、ノエルのため息を違う意味に捉えたらしい。しかし、ノエルはそれを正す気にはならなった。
 ふたりの間には沈黙が降りた。授業が始まる前日だから、当然医務室の厄介になる者が他にいるはずもなく、今ここでノエルとリリーはふたりきりだった。窓からは赤々とした西日が差し込んで来る。
「……いつ治るの?」
 ノエルは静かに尋ねた。
「……三日くらい。強力な呪いだから、治るのに時間がかかるの……」
「そうか」
 またふたりは黙り込んだ。窓の外からは、禁じられた森の動物たちの声がかすかに聞こえてくる。
「じゃあ、明日も来るよ」
 カーテンの向こうで、リリーがパッと顔を上げたのがわかった。「ありがとう」というお礼が返ってきて、ノエルはまたもうひとつのことに気づいてしまった。そのまま、踵を返して扉に向かう。
「あと、これだけは覚えておいてほしい」
 医務室の扉を開ける前に、できるだけさりげなく聞こえるように努力しながら、ノエルは言った。
「君が怪我をしたり、呪いを受けたりしたら――俺が君のこと、心配するってこと」
 そして、お大事に、と告げて扉を閉めた。





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