シャーロットとダンブルドアは黙々とホグワーツの廊下を歩いていた。シャーロットは目立たぬよう、ホグワーツの制服に着替えていた。
ホグワーツはやはり何千年もの昔からある古城だけあって、あまりたいした変化はないようだった。だが、やはり多少雰囲気が違うのをシャーロットは敏感に感じ取っていた。肖像画の数は明らかに増えていたし、見覚えのない壊れた主柱などもある。空気の流れもわずかに違う。
細かに観察していると、気を遣ってか静かにダンブルドアが話しかけてきた。
「ミス・ブラック……シャーロットと呼んでも良いかの?」
「ええ、もちろん」
「そういえば、君の頃のはまだヒラの教授だったんじゃのう。今はここの校長をしておるよ」
「それはおめでとうございます」
「ありがとう。それと、わしも同じようにファーストネーム呼んでくれてかまわない。君はもう既に卒業生なのだから」
「五十年も前の──ね」
自虐的にシャーロットは呟いた。ダンブルドアは何も言わない。
五十年!
そう、五十年である。
魔法族がいくらマグルより多少長寿であるといっても、五十年はそれなりの重みを持つ。
そう、それだけ経ってればあのブラックの家の者たちも──。
……どうなっているのだろう。さぞ、みんな老け衰えているんだろうな。でなきゃ──。
ひゅう、とすきま風がシャーロットの胸を通った。
気づくと、シャーロットは知らぬ間にきつく唇を噛んでいた。
「残念じゃが……」
ダンブルドアは、まるでシャーロットの心を読んだかのようにいった。
「ブラック家には、今、誰もおらんよ。ある者は嫁ぎ、ある者は死に、ある者はトムに殺され、ある者は彼の手下となった。悲しいことに、直系の長男、シリウス・ブラックがアズカバンにいるだけじゃ。君の知っている者は、もう、誰もいない」
「……そうですか」
悲しくはなかった。不思議と納得がいっただけだった。
「マグルの戦争はどうなったのです?」
「ああ、君のいなくなった年――一九四五年の夏に終結したよ。イギリスは戦勝国となった。今のヨーロッパは平和なものじゃ。少なくとも、表面上はの」
それからは会話もなく、ふたりは校長室の入り口までやって来た。ここを護衛する石のガーゴイル像も変わっていない。とんでもなく醜いガーゴイルの顔でさえ、今のシャーロットには懐かしさと親しみを覚えさせるものだった。
「レモン・キャンデー!」
これを聞いて、ずる、とシャーロットは滑りそうになった。何だ、この合い言葉は。
ガーゴイルが本物となって飛び退き、壁が左右に分かれ、螺旋階段が上昇して行く間じゅう、ダンブルドアはいたずらっ子のような瞳をして口元を緩めていた。
「わしはあれに目がなくての」
樫の扉が見えた時、さらりとダンブルドアが付け足した。ダンブルドアの嗜好を知っている人間なら、例え合い言葉が変わっても適当にお菓子の名前を言っていけば当ててしまうんじゃないかとシャーロットは思った。
中に入ると、ダンブルドアは杖を取り出して、丸テーブルをひとつと椅子をふたつ出してきた。
「アクシオ!お気に入りのティー・セット、来い!」
飛んできたティー・セットは確かにダンブルドアの好きそうなものだった。七色の薔薇が生き生きと動いている。ダンブルドアはにこにこしながらふたつのカップに紅茶を注いだ。良かった、取っ手は普通そうだ──。
「さて、まずはシャーロット──」
ダンブルドアが話し始めようとしたが、その時、タイミングを見計らったかのようにノッカーを叩く音がした。
「ちょっと待っていておくれ」
軽くウィンクをしてダンブルドアは立ち上がり、扉の外に出た。後にはティーセットと共にシャーロットがぽつんと残された。誰が来たのかと聞き耳を立てていると、低い男の声が聞こえてきた。
「──お取り込み中でしたか?でしたら、また出直して──」
「いや、かまわんよ。例のあれのことで来てくれたのじゃろう?すまんの。いつも君には色々頼んでしまって──」
「いえ。それより、あれのことですが──」
ぼそぼそと聞こえていた話声はやがて聞こえなくなった。どうやら外に出て行ってしまったようだ──つまらない。シャーロットは紅茶を一気飲みした。
前回この部屋に呼び出されたのはいつだっただろう。シャーロットは仕方がないのでそんなことを考えた。往々において呼び出される理由は吉報であることが多かったものだが──そうだ、「魔術優等賞」を授与された時が最後か?いや、違う。卒業式直前にリドルと呼び出された時がそうだ──。
リドルのことを思い出すと、シャーロットはの胃の底は大鍋のように熱くなった。
そうだ。こんな状況──気がつけば、五十年もの時を飛び越えていた──なんて……冗談じゃないっ!
ぷっつりとシャーロットの中で何かが切れた。
シャーロットは大声で喚き散らしたかった。それどころか、本音を言えば、マンドレイクの首根っこを掴みぶんぶん振り回し大釜に入れウシガエルのハラワタやアコナイトとともにぐつぐつ煮込んだものを誰彼かまわず浴びせかけたい気分だった。
しかし、ここは校長室である。今、少しの間ダンブルドアは席を外しているが、おそらくすぐに戻ってくるだろうことを思うと、失態をさらす真似はしたくなかった。
カタカタとテーブルの上のティー・セットが揺れる。
──ああ、いけない。怒りで頭に血が上ってるんだ。もう一度整理しよう。
シャーロットは足を組み直して両腕を交差させた。
それが彼女の考え事をする時の癖であった。誰に指摘されたのかは、思い出したくもない。
私はシャーロット・ブラック。
ホグワーツ魔法魔術学校を卒業したばかりの十八歳。例え時間が経過していたとしても十八歳だ。異論は認めない。
卒業後は、「闇祓い見習い」として、魔法省に就職することに決まっていた。
最後の記憶は、ホグワーツ特急でキングス・クロス駅へと向かう前、湖のほとりにいて、やって来たリドルと話をしていて――。
それが――気がつけば、五十年もの時を飛び越えていた。
そういうことらしい。
夢だったらあまりにも悪趣味だが、しかし、ダンブルドアのあの様子から察するにそれは紛れもなく事実なのだろう。実感はなかったが、現実から逃避しても仕方ない。
シャーロットは分析を続けた。
何故、五十年も眠っていたのか。それは、リドルが魔法をかけたからだ。
では何故、リドルはあんなことをしたのか。
最後の会話で彼はこういった。
「最も偉大な闇の魔法使いとして、僕の名は轟くだろう。その名を口にすることにすら恐怖を与えるような魔法使いに、僕はなる」
「創ってしまえばいい。君が僕に応じざるをえなくなる、その環境を――未来を」
つまり、だ。彼はこう考えたのだ。
協力するつもりがないのなら、協力せざるをえない状況を作るまで。
そしてその状況を作り出すまで、シャーロットを眠らせたのだ──。
「まったく、迂闊だったわ──このシャーロット・ブラックとあろうものが──」
苦々しくシャーロットはひとりごちた。そう、そのつもりだったのだが──。
「シャーロット・ブラック?」
何処からか男の声がした。シャーロットはびくっと反応した。誰だ?
感覚を研ぎ澄ますと、ざわざわと複数のささやきが飛び交っていることに気づいた。すぐに、シャーロットはそれが何故だか理解した。壁いっぱいの肖像画だ──歴代の校長が描かれている。シャーロットは嫌な予感がした。
「君は本当にあのシャーロット・ブラックなのかね?」
もう一度同じ声がした。五十年前校長職を務めていた、ディペットだった。
「……お久しぶりです、ディペット先生」
取り敢えずシャーロットは挨拶してみた。ディペットはシャーロットを見て何事かをぶつぶつ言った。しばらく彼はシャーロットを確かめているようだったが、やがて面を上げて叫んだ。
「ならば、私よりもずっと君に会うべき者がいる──フィニアス!」
シャーロットの顔がまるでアズカバン行きの判決を受けた被告人のように青ざめた。やっぱり──。
「何だね、アルマンド。私は疲れているんだ──」
呼ばれた肖像画の人物が、眠そうにディペットに言った。
「君が会うべき客人が来ている」
「こんな老いぼれにか?嬉しいねえ。どんな物好きだろう──」
この皮肉った声の調子。シャーロットの背筋がぞくりとした。
「君は実の孫を物好き呼ばわりするのか?」
呆れたようなディペットの声に、またまた甲高い声が嘲るように言う。
「私の孫?何をいっているんだ。みんなちゃーんと死んだとも。ゴーストになどなった者はおらんよ。まあ、しかし、いくらか例外がなくもないが──」
そこで声は途切れた。
肖像画の中の、賢しそうな老人は、そこで初めてシャーロットを見たのだ。
「シャーロット……?」
彼は、シャーロットの実の祖父、フィニアス・ナイジェラスその人だった。
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bkm