14.まね妖怪

 午後、シャーロットが一足先に職員室のクロークに顔を出すと、そこにはスネイプしかいなかった。肘掛椅子に座っていたスネイプはいつもより少しだけ機嫌が良さそうだった。おおかた、グリフィンドールとスリザリンの合同授業でもあったのだろう。確か午前中に三年生のクラスがあったはずだ。
 シャーロットを一瞥すると、スネイプは分厚い魔法書をバタンと閉じた。
「授業はないのかね」
「いいえ。ここでやるそうです――ボガート退治をね」
 スネイプの眉が不快そうに動いた。彼が「闇の魔術に対する防衛術」の専任教授の椅子に関して並々ならぬ感心を抱いているという噂が事実であることは、この数日でよくわかった。だいぶ前からその座を狙っているらしい――その理由までは分からなかったが、シャーロットは今のままのほうが良いだろうと思った。何と言っても、彼ほど大釜が似合う教授はこのホグワーツにいないだろう。
「ちなみに、三年生のグリフィンドールのクラスです。スネイプ先生も見学なさいますか?」
 わざとらしい笑みを作ってやると、スネイプは眉間のしわを深くした。彼がまた、ハリー・ポッターを特別気に入っているということも、ホグワーツ生なら誰でも知っている話だった。確かに、スネイプがハリーに投げかける視線は、異常と言っていいくらいに熱が籠っていた。
 やがて遠くからがやがやと生徒たちの声と足音が聞こえてきた。
「来たみたいですね」
「黙って廊下を歩くこともできん馬鹿共がな」
 シャーロットは肩をすくめた。
「さあ、お入り」
 ドアの外からルーピンの声が聞こえた。わらわらと三年生たちが列をなして入ってきた。その様子をじっと観察していると、ハーマイオニーがこちらを見て笑いかけてきた。微笑み返すと、周りにいた生徒たちの顔が少し赤くなった。その中には、ロナルド・ウィーズリーと、あのハリー・ポッターも含まれていた。最後にルーピンが入ってドアを閉めると、スネイプがいつもの冷たい声で言った。
「ルーピン、開けておいてくれ。吾輩、できれば見たくないのでね」
 出て行くかと思いきや、スネイプは最後にくるりとルーピンの方に振り返った。
「ルーピン、たぶん誰も君に忠告していないと思うが、このクラスにはネビル・ロングボトムがいる。この子には難しい課題を与えないようご忠告申し上げておこう。ミス・グレンジャーが耳元でヒソヒソ指図を与えるなら別だがね」
 強烈な皮肉を込めた忠告に、シャーロットは心の中でこっそり笑った。当のネビル・ロングボトムは顔を真っ赤にさせ、何人かの生徒はキッとスネイプを睨みつけていた。その中でも一番露骨に眉を寄せているのがハリー・ポッターだった。さすが勇気を誇るグリフィンドールだけある。
「術の最初の段階で、ネビルに僕のアシスタントを務めてもらいたいと思ってましてね。それに、ネビルはきっと、とてもうまくやってくれると思いますよ」
 さらにネビルの顔が赤く染まってトマトのようになった。スネイプはさらなる嫌みを繰り出そうとしたようだったが、結局何も言わずに職員室を出て行った。
「さあ、それじゃ」
「みんな、こっちよ」
 シャーロットは手招きして生徒たちを部屋の奥へと誘った。そこには職員が着替え用のローブを入れる古い洋箪笥がポツンと置かれてあった。ルーピンがその隣に立つと、箪笥がいきなり揺れて、バーンと壁から離れた。何人かの生徒たちは驚いて飛び退いた。
「心配しなくていい」
 穏やかにルーピンは言った。シャーロットは仰天したあまり入り口近くまで戻ってしまったネビルを引き戻してきた。
「中にまね妖怪──ボガートが入ってるんだ」
 これは心配するべきことじゃないか、とほとんど生徒の顔にはそう書いてあった。恐怖で固まっているネビルの肩に、勇気づけるようにポンと手を置く。ネビルはたちまちまた真っ赤になり、あわあわとシャーロットと箪笥を交互に見た。
 ルーピンが簡単にボガートの説明をしているあいだ、シャーロットは静かにハリーを見ていた。ロンとハーマイオニーに挟まれているハリーは、どこからどう見ても普通の男の子だった──額に見え隠れする稲妻型の傷跡を除いては。
 ルーピンが質問をすると、すぐにハーマイオニーが手を挙げて完璧に答えた。そしてルーピンは次にハリーを指名した。爪先立ちでぴょこびょこしている隣のハーマイオニーに気兼ねしたようだったが、それでもハリーは一瞬考え込むと、実に的を射た回答を返した。ハーマイオニーはちょっぴりがっかりしたように手を降ろした。実に微笑ましい光景だ。
 一通り前置きを終えると、いよいよネビルの出番だった。ルーピンに名前を呼ばれると、ネビルはガタガタ揺れる洋箪笥よりももっとガタガタ震えていた。シャーロットが軽く背中を押すと、ネビルは不安げにシャーロットを振り返ってから、それでも前へ進み出た。
「よーし、ネビル。一つずつ行こうか。君が世界一怖いものはなんだい?」
 ネビルが何か言ったが、それは声になっていなかった。もう一度ルーピンが明るく訊くと、ネビルは周囲をきょろきょろと見回してから、蚊の鳴くような声で「スネイプ先生」と囁いた。生徒のほとんどが笑った。ネビル自身も少しニヤッとした。シャーロットは相変わらずの表情だったが、内心くすりと笑っていた。ルーピンは真面目な顔だったが、腹の内ではどうだかしれない。
「スネイプ先生か……フーム……ネビル、君はおばあさんと暮らしているね?」
「え──はい」
 ばあちゃんがボガートになるのも嫌だと伝えたネビルに、ルーピンはそういうことじゃないと一言入れてから、ネビルのおばあさんの特徴を訊き始めた。シャーロットはルーピンが何をしようとしているのかわかってきた。ルーピンは次にネビルがどうすればいいのか説明した。
「──すべてうまくいけば、ボガート・スネイプ先生はてっぺんにハゲタカのついた帽子を被って、緑のドレスを着て、赤いハンドバックを持った姿になってしまう」
 そうルーピンが締めくくったので、もう部屋は大爆笑の渦だった。シャーロットは口を閉じたまま歯で唇の内側を噛んで耐えていた。
「ネビルが首尾よくやっつけたらそのあと、まね妖怪はつぎつぎに君たちに向かってくるだろう。みんな、ちょっと考えてくれるかい。何が一番怖いかって。そして、その姿をどうやったらおかしな姿に変えられるか、想像してみて……」
 部屋が静かになった。みんなそれぞれ自分の怖いものを思い浮かべているようだ。シャーロットはハリーを見た。彼の一番怖いものは、やっぱり、リドルなのだろうか。ちらりとルーピンを見ると、彼もまたハリーを見ていた。一瞬、視線がかち合った。ルーピンは「わかっているよ」とでも告げるように穏やかに微笑んだ。
「みんな、いいかい?」
 しばらくしてからルーピンが声をかけた。生徒たちはこっくりうなずき、腕まくりをした。ルーピンに指示されて、ネビルを除いた生徒たちは下がって壁にぴったり貼り付いた。ひとり残されたネビルの顔色は真っ青だったが、しっかりと杖を構えていた。
「ネビル、三つ数えてからだ」
 ルーピンはシャーロットの方に向かって合図した。杖を取り出し、ことに備える。
「いーち、にー、さん、それ!」
 シャーロットの杖先から閃光が走り、取っ手のつまみにあたった。洋箪笥が勢いよく開いて、スネイプが現れた。いつもより殺気を余計に放っているようだ。
 ネビルはボガート・スネイプに杖を向けていたが、口をぱくぱくさせて徐々に後ろに下がってきた。スネイプが懐に手を入れたままネビルに迫ってくる。
「リ、リ、リディクラス!」
 パチン!と音がしてスネイプが躓いた。服装が様変わりしていたからだ。そう、スネイプは長いレースの縁取り付きのドレスを纏い、てっぺんに虫食いのあるハゲタカの高い帽子をかぶり、手には深紅のハンドバックをゆらゆらとぶら下げていた。
 どっと部屋中が湧いた。シャーロットは顔が引きつった――笑うまいと努力したせいで。しかし、なんて格好だろう!
 ボガートは途方に暮れて立ち止まった。ルーピンは新たな挑戦者を指名した。
「パーバティ、前へ!」
 パーバティ・パチルが進み出た。またパチン!と音がして、今度はぐるぐる巻きのミイラに変わった。
「リディクラス!」
 上手くいった。ミイラは解けた包帯に絡まってつんのめり、頭を転がすはめになった。
 それから生徒たちは代わる代わるボガートと対決した。パチン!シェーマス・フィネガンはバンシー。パチン!ディーン・トーマスは切断された手足。パチン!ロナルド・ウィーズリーは大蜘蛛──。
 そこまでは良かった。ところが、ロンが変身させたボガートはハリーの足下に行ってしまった。ルーピンが急いで飛び出し、ボガートを銀白色の玉に変えた。
 ──月だ。
 ルーピンが呪文を唱えると、それは瞬く間にゴキブリになってポトリと床に落ちた。
「ネビル!前へ!やっつけるんだ!」
 パチン!スネイプが戻ってきた。ネビルは今度は決然とした表情で挑んだ。
「リディクラス!」
 素晴らしい出来だった。一瞬だけドレス姿のスネイプが垣間見えたが、ネビルが大声で笑うと、ボガートは破裂し、幾筋もの細い煙になって消えた。生徒は拍手喝采でネビルを迎えた。
 ルーピンは生徒たちに労いの言葉と得点を与え、課題を出して今日の授業を終わりにした。生徒たちは興奮した様子で職員室を出て行った。 
「良い判断だったと思うわ」
 シャーロットは洋箪笥を元に戻しながら言った。ルーピンは曖昧に笑った。
「それより、リーマス。あなたも悪い人ね」
「何のことかな」
「ネビルの怖いもの。あなた、知っていたのでしょう?」
 きっとこの授業の噂は瞬く間に広がるだろう。スネイプの機嫌が悪くなるのは目に見えている。またルーピンは曖昧な笑みを浮かべた。





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