12.医務室の陰謀

「男の子でしょう!少しは我慢なさい!」
 医務室の扉の前で、まず耳に入ってきたのはマダム・ポンフリーの叱責だった。そして、「痛いよ!」「死んじゃう!」などとやたら大げさに騒いでいるのが、ドラコ・マルフォイだろう。シャーロットは軽く額を抑えた後、ノックしてから扉を開けた。
「マダム?ブラックです」
「あらあら、ブラック先生。すみませんね。では、私もいかないと」
 慌ただしくマダム・ポンフリーがこちらにやって来た。少しだけドラコの呻きが小さくなったようだった。
「あの子、もうほとんど痛みはないはずなんですが──」
「ルビウスの授業中に怪我したんですって?」
 マダムは実に厄介なことだ、とあからさまに顔に出した。恐らく、ハグリッドのことも心配なのだろうが、それ以上にやっぱりこうなったかと呆れているのだろう。
「何でも、ヒッポグリフを怒らせたとか。まったく……。でも、ハグリッドもハグリッドだわ──理事会のメンバーを集めた会議をするほど、大事になってしまって。私はもちろん、ハグリッドを解雇させたりはしないよう発言するつもりですが、どうにも……」
「胸中お察しします」
「ありがとう──じゃあ、お願いしますね」
 マダムが去っていくのを見届けると、うんうんいっているドラコ・マルフォイのベッドへと足を向けた。そう言えば、昨日ホグワーツ特急で震えていたのは彼だったなと、シャーロットは今頃思いだした。
「ブラック先生!ああ、もう僕、少し痛むだけですから──ううっ」
 まだ何も言わないうちから、ドラコは下手な演技を披露してくれた。どうせ、列車の中の時のように、自分が優しく声をかけてくれるとでも思っているのだろう。残念ながら、それは大きな間違いだ。シャーロットはぴしゃりと言った。
「見苦しいわよ、ミスター・マルフォイ」
 こんな風に冷たくされるとは思ってもみなかったドラコは、びっくりして演技を止めた。
「そういう時は黙って顔をしかめていなさい。下手に何かを言うものではないわ──そのほうが辛そうに見えるでしょう?」
 ぽかんと口を開けているその姿は、スリザリンの寮生としてはいささか相応しくないものだった。そんなドラコを尻目に、シャーロットは傍に置いてあった椅子に腰かけた。陳腐な芝居を観劇するのはごめんだ。何も言わずじっと見据えると、ドラコは恥ずかしそうにもごもご口を動かした。 
「あの……先生」
「何かしら?」
「僕……ずっと先生と話がしたいと思っていたんです」
 シャーロットは静かな表情で、ドラコの顔を見た。彼が何を言いたいのか、おおかたの予想はついていた。
「あの!先生はあのブラック家の人間なんですか?」
 純血至上主義の家柄であるマルフォイ家の子息なら当然の疑問だろう。
「そうだけれど」
 答えると、ドラコは色素の薄い瞳を輝かせた。その少年らしい素直な反応に、シャーロットは少しだけ好感を抱いた。
「じゃあ、僕と先生は親戚だ!僕の母は、ブラック家の出身なんです──母はナルシッサと言います。もちろん、知ってますよね?」
「直接会ったことはないわ。私、今までちょっと特殊な環境にいたから」
 シャーロットは巧妙にはぐらかした。自分が発見されたというニュースは日刊予言者新聞にこそ記載されていないものの、恐らく魔法省経由で名家の耳聡い連中には伝わっていることだろう。ドラコが家族に自分のことを尋ねれば、それに相応しい回答が得られるはずだ。だが、今ここで素直に答えてやるほどシャーロットは親切ではなかった。
「そうなんですか。じゃあ、先生は今まで──」
「ドラコ!」
 パンジー・パーキンソンがノックもせずに飛び込んできた。その後ろには、見覚えのある巨体の男子生徒がふたり。ヴィンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルだ。
「ミス・パンジー・パーキンソン?医務室では静かに」
 シャーロットが穏やかに言うと、パンジーは目を丸くして顔を赤らめ、「ごめんなさい」と素直に謝った。しかしそれでもドラコに対する心配は止まないらしく、ベッドの傍に陣取って、ドラコの青白い顔を覗き込んだ。
「ドラコ、ドラコ、平気?血は止まった?」
「ああ」
 どうやらドラコは早速言われたばかりのことを実践しているようだった。ヴィンセントとグレゴリーはどうしていいかわからないといった様子で、パンジーの後ろでおたおたしている。
「クラッブとゴイルも連れてきたの。あなたのことが心配なんですって──ほんと、あの汚い森番、許せない!第一、あんな野蛮人が教授になるなて、それがそもそも間違ってるのよ!あんなのは黙って森で家畜に埋もれていりゃいいんだわ!」
 パンジーはシャーロットの存在を忘れてキンキン声で叫んだ。ヴィンセントとグレゴリーもしきりに頷いている。やれやれ、と頭を抱えながらシャーロットは少々呆れた。これがマクゴナガルだったら減点ものだろう。
「パンジー、できることなら、そういう類の話は、私に聞こえないようにしてくれるかしら」
 パンジーの言い分も理解できなくはないので、シャーロットはそれだけしか言わなかった。すると四人はひそひそ声で何やら密談を始めた。シャーロットは席を立って、少し離れた窓の外に浮かぶ雲を観察することにした。もちろん、聞き耳を立てながら、だが。
 四人の話題はハグリッドをいかにして辞めさせるかということに終始しているようだった。だが、恐らくそれは無理だろう。ドラコの怪我は浅いものだし、ハグリッドは授業の初日だった──執行猶予というものをドラコたちは知っているのだろうか?それに、理事会にはハグリッドに無実の罪を着せたという負い目がある。そしてダンブルドアはいつだってハグリッドの味方だ。いくらマルフォイ家が圧力をかけたとしても、ハグリッド即日解雇とまではいかないだろう。
 シャーロットはまた、少し後悔してもいた。何せ、早朝にバックビークに乗っていたのだ──どうしてあの時に気を利かせてやらなかったのだろう。よく考えれば、ヒッポグリフが気難しい相手で、三年生の授業にはまだ早いと進言しても良さそうなものだった。ただシャーロットは「空を飛ぶこと」に関わると、いつもの観察眼が少しだけ鈍るようなのだ。
 しかし――ホグワーツの教授職を任された以上、ハグリッドは責任を負わねばなるまい。そしてそれは自分も同じなのだ。交差させていた腕をギュッと握りしめ、シャーロットは気を引き締め直した。そんなこちらの気も知らず、ドラコたちはまだ楽しそうにごしょごしょとささやかな陰謀を企んでいた。 


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それから一時間ほどしてマダム・ポンフリーが戻ってきた。パンジーたちは蜘蛛の子を散らすように追い出され、再びドラコは芝居を始めた。これが、徐々になかなか様になってくるのだから、笑えるものだ。
「どうでしたか?」
 マダムに聞くと、まだハグリッドの処置については決まっていないという。シャーロットは疲れた顔をしたマダムと入れ替わりに医務室を出た。窓の外はわずかな朱色を残して、ほとんど真っ黒に染まりつつあった。あと少しで夕食だろう。
 シャーロットは階段を降りて地下室への入り口へと向かった。廊下の空気はひんやりと冷たかった。時々すれ違う生徒たちは、ちらちらとシャーロットを見やって何事かをささやきあっていた。新任教諭が珍しいのだろう。
 最下層への階段を降りたところで、黒い影を見つけた。それは黒いローブを身体に巻き付けるように腕を組んでいるスネイプだった。どうやら、地下牢教室から出て来たところらしい。
「マルフォイの様子を見てきたのか?」
 シャーロットは頷いた。スネイプは何かを考えるように右手をあごにひっかけ、シャーロットを凝視した。初めて顔を合わせた時に見受けられたギラギラとした光は、今は見当たらなかった。
「彼には気をつけたまえ」
 唐突に何を言うのか。シャーロットは怪訝そうに首を傾げた。
「彼の父親は、もっとも狡猾な死喰い人だ」
 シャーロットは少しだけ瞼を持ち上げた。
 死喰い人(デス・イーター)――彼の、忠実な側近たち。なるほど、それでは、確かにドラコの前では迂闊なことを口にできない──もっともな話だ。
 ──?
 シャーロットは何かが妙だと感じた。そう、妙だ。シャーロットは図書館で見た裁判記録のリストを脳裏に浮かべた。死喰い人だったという疑惑が今もあるのに、アズカバンにも行かないで暮らしている魔法使いは多くいる。ルシウス・マルフォイもそのひとりだ。しかし──「もっとも狡猾な」?その断言しきった言い方は、まるで……。 
 ある疑惑を抱き、スネイプの黒い瞳を射抜く。スネイプの瞳孔がわずかにうごめいた。だが次にはいつもの冷たい瞳がシャーロットを見下ろしていた。
「ご忠告、ありがとうございます」
 静かに言うと、スネイプはフンと鼻を鳴らしてローブを翻した。
 遠ざかっていく背中を見つめながら、シャーロットはさきほど自分でちらつかせた考えを、どうにも納得できないでいた。






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