9.ヒッポグリフ飛行

 もうすぐ夜の明ける禁じられた森の上空を、シャーロットは風を切って飛んでいた。学生時代から続く日課だ。朝の風がたまらなく気持ちいい。
 ふと大地を見下ろすと、森の入り口近くにある掘っ立て小屋の前で、何やらうごめく黒い影があった。シャーロットは急降下し、小屋の前に降り立った。
「おはよう、ルビウス」
 声をかけると、ハグリッドは驚いたようだったが、すぐに照れたような笑顔になった。
「おはようさん、シャーロット。おめぇさん、また森の上を飛んでたのか?」
「ただの散歩よ。ルビウスは、緊張して眠れなかったってところかしら?」
「おめぇさんは何でもお見通しだなあ。……ウン、まあそれもある。何つったって、今日は……」
「あなたの初授業だものね」
 ハグリッドはとても嬉しそうに笑った。
「でも、それはおめぇさんもだろ?大変だなあ、ふたっつも科目があるなんてなあ」
「補佐だもの。やることなんて実際はあまりないわ。どちらの教授も、とてもしっかりなさっていることだし」
 と口では言ったものの、本当はなかなか面倒なことになりそうな予感がしていた。
「ん、そだな。……ああ、そうだ。シャーロット、まだ時間あるか?」
 大丈夫だと告げると、ハグリッドはニッコリ笑って「いいもん見せちゃる」とシャーロットを放牧場の方へと連れて行った。そこで待つように言って、ハグリッドは森へとひとり入っていった。何かを連れてくる気らしい。
 彼の言う「いいもん」とは何だろう?多少恐ろしげな気がしたが、それより好奇心の方が勝っていた。
 ハグリッドはすぐに戻ってきた。ただし、巨大な生き物を一匹連れて。鳥のような、馬のような、あれは──。
「ヒッポグリフ!」
 シャーロットは思わず叫んだ。ハグリッドはその反応にますます笑みを深めた。
「美しかろう?」
「素晴らしいわ!」
 感嘆してシャーロットはヒッポグリフを眺めた。薄暗い中で光る、灰色の滑らかな毛並みが、オレンジ色の瞳が、シャーロットを魅了した。
「こいつらを三年生の授業で今日やってみようと思っちょるんだ。乗ってみるか?」
 シャーロットはもちろん頷いた。そこで、ひとつ良い考えが頭に浮かんだ。
「じゃあ、私は生徒役をするわ。『ハグリッド先生、どうすればいいんですか?』」
 ハグリッドは思わぬ提案に顔を赤くしたが、それでも嬉しそうに説明し始めた。
「うんとな……エート、そう、まずイッチ番大事なのはだな、ヒッポグリフの性格だ。こいつらは誇り高い。だから絶対、侮辱してはなんねぇ」
 シャーロットは無論ヒッポグリフの扱い方など承知していたが、今初めて知ったというふうにふんふんと頷いた。
「んで、かならずヒッポグリフの方が先に動くのを待つ。そんでこいつのそばまで歩いてって、お辞儀するんだ。こいつがお辞儀し返したら、触ってもいいっちゅうことだ。もしお辞儀し返さなかったら、すぐに離れるんだ……わかったか?」
「ええ、とても良く」
 なかなか分かり易い。粗野な言葉遣いでなければもっと良いのだろうが、それでもハグリッドの説明には及第点が付けられるだろう。
「じゃ、やってみよう」
 シャーロットはヒッポグリフと目を合わせた。少し緊張した空気が数秒続いた後、ヒッポグリフはゆっくりとこちらに向かってきた。
「いいぞ!じゃあ、近寄って……そう、お辞儀だ……」
 促されるまま丁寧にお辞儀をする。少しだけ視線を上にやると、少し気位高くヒッポグリフがこちらを見据え、前脚を折ってお辞儀を仕返してきた。
「やったぞ!うん、さすがはシャーロットだ……クチバシを撫でてやれ!喜ぶぞ!」
 シャーロットはハグリッドに言われた通りにした。ヒッポグリフはシャーロットの手の感触を楽しむかのようにうっとりと目を閉じ、甘えるようにキュイイと鳴いた。
「おや!めったにビーキーたちは鳴かないんだがな……よっぽどおめぇさん気に入られたんだな」
「この仔、ビーキーっていうの?」
「ああ。バックビークてんだ。なあ、ビーキー?」
 ハグリッドに愛おしげに名前を呼ばれると、ヒッポグリフのバックビークはまた一声鳴いた。
「んじゃあ、乗ってみっか!翼の付け根んとこから上るんだ。ただし、羽根を引っこ抜かねぇようにな」
「わかったわ」
 シャーロットは持ち前の瞬発力で翼の付け根からバックビークの背中へと飛び乗ることに成功した。しかし、どうも箒と違って不安定で危なっかしい乗り心地だ。それに、腕が掴まる場所がない。落とされては大変と、慌ててバックビークの頭部にしがみついた。
「よーし!ほれ、行け!」
 ハグリッドがパシンとバックビークの尻を叩いた。バックビークは素早く羽ばたき、 シャーロットを乗せて空へと飛び立った。一定の高度になったところで、目を開ける。ぐんぐんと空が青白く染まりつつあった。夜明けだ。ふかふかのベッドに横たわりながら空を飛んでいるような心地良い感覚にうっとりとしながら、シャーロットはバックピークの耳元に囁いた。
「素敵な光景ね、バックピーク」
 その言葉に気を良くしたのか、バックピークはさらに高く、連なる山々の峰に沿って流れるように空を舞った。
「いいわ――最高!」
 歓喜の声を上げると、さらにスピードが上がった。シャーロットは、そのまま思う存分にヒッポグリフ飛行を楽しんだ。
 やがてバックビークが地上へと身体を傾けたので、少しだけ首に回した腕の力を強くした。ハグリッドがニコニコと手を振っている。ドサッと音を立てて着地すると、反動で落っこちそうになったが、何とか持ちこたえた。
「どうだ?良かっただろ?」
「最高よ!」
 ストンとバックビークの背から降りた後、シャーロットは珍しく感激していた。ハグリッドが教授職を務めると聞いた時は驚きよりも不安の方が大きかったのだが、きっとこれなら大丈夫だろう。
「あなたの初授業が成功するように祈っているわ」
「いや、こっちこそありがとうな。おかげでちっとは自信がついた」
 シャーロットに礼を言うと、ハグリッドは「他のやつらも準備しなきゃいかん」とまた森の方へと入っていった。
こちらもそろそろ戻らなければならない。シャーロットは立てかけておいたシルバーレイを取り、自分の部屋目指して飛び立った。
 そうだ。そう言えば、私も初授業だ──。
 道中、そんな大事なことを思い出しながら。






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