5.吸魂鬼

「何?どうした?」
「何も見えないぜ──」
「ルーモス、光よ!」
 四人の顔が暗闇に映し出された。双子は、ふたりとも戸惑った様子で、ジニーは少し怯えている。
「――今までにこんなことあった?」
「いいや。こんなの初めてだよな、なあフレッド?」
「ああ。ホグワーツに行く道のりに途中下車するバカなんていないしな」
「いや、宿題を何一つとして手を付けていないヤツが飛び降り自殺したとか──」
 こうしてはいられない。シャーロットは席を立ち、コパートメントの扉を開けた。不安げに話す生徒の声があちこちから聞こえてくる。
「三人はここにいて。私は前の車両を見てくるから――」
 そう言いかけた途端、遠くで生徒たちのただならぬ悲鳴が上がった。それと同時に、シャーロットは皮膚に纏わりつくひんやりとした冷気を感じていた。
 これは――この気配は――。
 悲鳴が響いた後、何人かの生徒がまた別の悲鳴を上げながらこちらを目指して走ってくるのが見えた。その先頭を走っていた男の子は勢い余ってシャーロットの胸の中に飛び込んできた。続いてずんぐりむっくりとした背格好の少年がふたり、駆け込んでくる。青白い顔の男の子は息も絶え絶えで、「あ……あ……」と呻きながら自分がやって来た方向を指した。
「大丈夫?」
 恐怖に顔を引きつらせ、がたがたと肘を震わせている少年の背をさすりながら、シャーロットは目を凝らした。
「何だ、あいつは!?」
「何か、黒くてのそのそしたやつがくる!」
 フレッドとジョージが叫んだ。
 見なくともわかる。あのおぞましい黒い影。心臓が縮まりそうになる冷気。
 ディメンターだ。
「大丈夫。落ち着いて」
 みんなに言い聞かせるようにそういうと、シャーロットはコパートメントに少年たちを押し込み、冷気の漂う通路を歩き出した。
 一番端のコパートメントを、ディメンターが覗き込んでいた。周りのコパートメントの生徒は悲鳴を立てていたが、そこだけ異様に静まりかえっていた。恐怖で声も出ないのだろう。
 シャーロットがつかつかと近づいていくと、ディメンターがぐるりと頭をこちらに向けた。冷気が骨に染みるようだった。
「ここに、お前たちの探している者はいない。即刻立ち去れ」
 シャーロットは声を低くしてディメンターを睨め付けた。それでもディメンターは立ち去るどころか、そろそろシャーロットへと近づき、腐敗した魚のような匂いのする、長く不気味な手を伸ばしてきた。皮膚が凍り付き、心臓が氷に変わったように感じられた。
「聞こえないのか?」
 冷たい声で語りかけても、ディメンターは反応しなかった。
 ひょっとして、ディメンターは自分をシリウス・ブラックを間違えているのではないか?彼と同じ血の流れる、自分を。
 ──馬鹿な。
 シャーロットは心の声を打ち消した。そこまでディメンターは愚かではない。
 しかし現実に、ディメンターは近づくことを止めなかった。ずるずると音を立てる、真っ黒なローブからのびる指。それが、シャーロットの鼻先に届くまで、あと少し──。
「エクスペクト・パトローナム!」
 目にもとまらぬ速さでシャーロットが杖を振り上げ呪文を唱えた。すると、銀色の閃光が杖から飛び出た。ディメンターは急に手を引っ込め、二、三歩退却した。光はやがて動物の形をつくり、シャーロットを護るようにディメンターの前に立ち塞がった。するりとしなやかな肢体が、じりじりと距離を詰める。コパートメントの中から成り行きを見守っていた何人かの生徒は、その生き物が何なのか理解した。──ヒョウだ。
「行け」
 なおも留まろうとするディメンターに、シャーロットは銀色のヒョウをけしかけた。するとたまらないとばかりに、ディメンターは窓から外へと逃げ出した。
 ふう、とシャーロットは一息ついた。役目を終え近づいてきた銀のヒョウを見やると、「お疲れ様」と労りをこめて笑いかける。それに満足したのか、ヒョウは銀の粒子となってふっと消えた。
「先生、すげぇ!」
「先生、今のは?」
 驚異が去ったとわかると、双子が転がるようにコパートメントから出てきた。
 そういえば、さっきの男の子は大丈夫だろうか?ふと心配になって、シャーロットはコパートメントに急ぎ足で戻った。
「ディメンター。アズカバンの看守よ。それよりも何処か身体に異常はない?」
「少ーし身体の真芯が冷えてるだけだよ」
「いやーな感じがしたけど、それだけ」
「ジニー、あなたは?」
「大丈夫よ。だって、あなたがいたもの」
 ジニーは気丈にも笑顔を見せた。本当、なかなかに気骨のある女の子だ。
「君は?」
 シャーロットは青白い顔の少年のほうに向き直った。少年は、まだショックから立ち直っていないようだ。無理もない。そしてシャーロットはローブからいくつかのチョコレートを取り出した。一応の為に携帯しておいたのは無駄ではなかったなと思いつつ、パキンと音を立てて人数分に割る。
「これを食べなさい。気分が良くなるわ。──ビターだけど」
 巨漢の少年ふたりは分量に不満がありそうな顔をしていたが、見なかった振りをしてシャーロットは全員にチョコレートを配った。
「私は、運転手のところに行ってくるわ」 
 そういってシャーロットはコパートメントを出た。後ろでフレッドとジョージとジニーが「最高!」とか何だか叫んでいるのが聞こえたが、無視することにした。
 それにしても、だ。
 もし、万が一子どもたちに何かあったらどう責任を取るつもりだったのだろう!吸魂鬼が、生徒に接吻を施さないという確証はないというのに──。
「コーネリウス・ファッジ……」
 シャーロットは小さく舌打ちした。
 異常がないか見回りながら運転手のところまで行き経緯を尋ねると、やはり無理やり吸魂鬼によって汽車が止められたということだった。チョコレートを渡し、運転手が食べるのを見届けてから機関室を後にする。
 本当に、他の手段はなかったのか。
 シャーロットは沈痛な面持ちのまま扉を閉めた。するとそこに、みすぼらしい格好の男が立っていた。ツギハギだらけのローブに、見るからに不健康そうな顔――さっきハリーのコパートメントで見た、ルーピンだった。
 目があった。
 するとルーピンは「あ」と言ったきり、何かに取り憑かれたように動かなくなった。ただその瞳だけが、シャーロットの顔をじっと見つめていた。
「私の顔に、何か?」
「──あ、ああ。すみません」
 ルーピンは、声だけはまだ若いようだった。何故か当惑してはいるものの、柔らかい落ち着いた声だ。
「ちょっと昔の知り合いに似ていたもので。──それで、すみませんが、あなたは?」
「人の名を尋ねる時は、まず自分から名乗るものでは?」
 笑顔を作りながらも、少しつっけどんな言い方になってしまうのは、未だにディメンターの件について怒りが解けていないからだ。シャーロットはそう思うことにした。
「そうですね。失礼しました。私はリーマス・ルーピン。今年度から『闇の魔術に対する防衛術』を教えることになりました」
 ルーピンが手を差し出した。シャーロットはこっそりルーピンを観察しながら握手を交わした。
「あなたが、ルーピン教授でしたか。私は今年から主に『闇の魔術に対する防衛術』と『魔法薬学』のアシスタントを務めます、助教授のシャーロット・ブラックと申します」
「君が?」
 ルーピンはぎょっとした表情でシャーロットを見た。
「いや──でも──そんな……」 
 ルーピンはぶつぶつ言った。手紙は二、三通やり取りしていたのだが、自分は一体どんな人物に思われていたのだろう。……あまり考えたくない。
「そんなことより」
 シャーロットは無理矢理話題を変えた。
「ルーピン先生はご存知でしたか?ディメンターのこと──」
「いや、全く聞いてませんでした。何しろ、ぐうぐう寝入っていたくらいですから」
 この弱々しさは過眠症からくるものなのだろうか。しかしそれだけでこうも顔色が悪くなるものではあるまい。シャーロットは、ルーピンは睡眠の他にも栄養のある食事が必要だと思った。
「そうですか。今はもう、吸魂鬼は――列車の外をうろついていたのもみんないなくなったようですね。運転手も無事です」
「そうみたいですね。よかった」
 心底ほっとしたのだろう、ルーピンは笑顔を見せた。笑顔は若い。だが髪にはちらほら白髪が交じっている。いったい何歳なのだろう?尋ねてみたかったが、何しろ自分がそれを聞かれると困る立場にあるので──自分では十八だと思っているのだが──何も言えなかった。 
「あと十分ほどでホグワーツだそうです。ルーピン先生」 
「リーマスでけっこうですよ」
「では私もシャーロットと。……紛らわしいんですよね、実際」
 苦々しく付け加えると、ルーピンは曖昧に笑った。
 初任務から早速一騒動あったが、何はともあれ、もうすぐホグワーツだ。






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