14.百万回死んだ猫

 とりあえずこの悲鳴という呪詛をどうにかしようと試みてから十分ほど、「失神呪文」が肖像画にも有効であることがわかってから、シャーロットはひたすら肖像画たちに同じ呪文をかけて回った。何とか全員失神させることに成功すると、シャーロットはぶつぶつ言いながらも命令通りに動くクリーチャーと甲斐甲斐しく働くデイジーを率いて二階へと向かった。屋敷しもべ妖精の首の前を通る時にデイジーはまた悲鳴をあげ、大量のほこりが天井から落ちて来る羽目になった。
 「盾の呪文」で猛烈な塵の雨を防ぎつつ「清めの呪文」を放ちながら進み、さらに上を目指す。何年も人の踏み行っていない絨毯は歩く度にほこりを巻きあげ、灰色の霧を作り出した。クリーチャーに窓を片っ端から開けるように命じたが、錆びついていて開かないものがほとんどだった。
 奥まった場所にあるシャーロットの部屋の前まで辿り着くのにどれだけかかっただろうか。見覚えのあるドアを確認した時には、クリーチャーが既に灰色のほこりの塊に成り果てていた。
「スコージファイ!」
 見苦しいのでクリーチャーも清めてやると、元が元だけにそんなに綺麗にはならなかったが、シャーロットの振る舞いを優しさと勘違いしたのか、大きなぎょろり目をパチクリさせてこちらを見つめた。
「あ、ありがとうございます、シャーロットお嬢様……」
「お礼は結構。それより、ようやく辿り着いたわ――」
 シャーロットは仁王立ちして目の前の扉を見つめた。蛇が己の尾を飲みこもうとしている形のドア・ノッカーだけ、不自然にほこりが積もっていない。杖で突いてみると、パチンと大きな音がした。
「行くわよ」
 喉を鳴らして扉を開ける。すると、目に飛び込んできたのは意外にも記憶とまったく変わらない自室の光景だった。天蓋付きの大きなベッドも、東洋から運ばれてきた衝立も、壁を占領してみっちり本を咥えこんでいる本棚も、豪華な大理石の三面鏡付きドレッサーも――どれもそっくりそのままに保存されていた。
 まるで、タイムスリップした気分だわ。
 目眩に似た感傷を頭から払いのけ、シャーロットは目的のものを探した。そんなに難しい探し物ではなかった。それはベッドの横にひっそりと立てかけてあった。
「あった!これよ――私の『シルバーレイ』!」
「よかったです、お嬢様!」
 ちゃんとシャーロット・ブラックの名前が刻み込まれたその箒を手に取って、シャーロットは小さくぴょんぴょん跳ねて喜んだ。ついでに失踪時の所持品が詰まった革のトランクも容易く見つけることができた。
 ――しかし、どうしてこうも私の部屋だけ保存魔法が機能していたのだろう?
 シャーロットは疑問に思ったが、きっとその理由を肖像画のフィニアスに尋ねることはしないだろうとも思った。誰がどういうつもりでやったのかとわかったところで、その人物はもうこの世にはいないのだから。
「……本当にお嬢様は、シャーロットお嬢様だった。クリーチャーめは信じれない……」
 ぶつぶつと呟き続けるクリーチャーのことは無視して、シャーロットは本棚にあるいつかの書籍を持ち出しトランクを開けてそこに放り込んだ。必要なものはほとんどトランクに元から入っているが、念のためだ。
「お嬢様、もうよろしいので?」
「ええ、こんなところ早く出てシャワーを浴びたいわ」
 トランクと箒をデイジーの魔法でホグワーツの部屋に移動させてもらい、再び杖一つの身軽な恰好に戻る。この部屋には何の未練もない。
「さて、行きましょうか」
 シャーロットは扉を開いた。そして廊下の暗闇の中に、黒い影があることに気づいた。目を凝らさずとも、その気配には覚えがあった。
「フィン……?」
 それは猫だった。すらりとした体つきの黒猫は、ふんっと鼻息を飛ばして言った。
「そうだ、フィン様だ!偉大なる『百万回死んだ猫』様の名前だ、覚えとけ!――って何で俺の名前……」
「よーく知ってるわよ。お久しぶりね、フィン」
 言葉が通じている、という事実に黒猫が息を飲んだ。金の瞳がきらりと光り、シャーロットを上から下まで何度も凝視する。
「お前、まさか……シャーロット?――シャーロットなのか?」
 いきなり猫が飛び上がった。ぽすっといい音がして、それはシャーロットの腕の中に収まった。両腕を伸ばして猫と視線を合わせると、金の瞳がまた一段と大きくなった。
「……ちょっと。ほこりまみれなんだけれど」
「嘘だろう!どうして!?本当にシャーロットなのか!?」
「とりあえず落ち着いて頂戴な」
 シャーロットはフィンを床に降ろし、杖を振って黒猫を綺麗な姿に戻してやった。
「断っておくと、私は本当にシャーロット・ブラックよ。証拠は、そうね、背中の傷はもう治ってしまっているし……ああ、右耳の後ろにホクロがあるけれど……」
「今まで何処に行ってたんだ!それに、何故年をとっていない!?いったい、何があったんだ!?」
 デイジーもクリーチャーも、このやり取りを呆気に取られて眺めていた。それはそうだろう。フィンの言葉は、ふたりにはただのニャアニャアという鳴き声にしか聞こえないはずだ。
「落ち着きなさい。そういうところも変わっていないわね。……若いから、ちょっと戸惑ったのだけど」
「お前が行方知れずになってから五十年も経っているんだぞ。その間に三回死んだ。今回はまだ生まれて三年の男盛りだ」
「あら、そんなに?さすがは『百万回死んだ猫』ね」
 シャーロットはくすくす笑った。本当、五十年前とちっとも変わっていない。
「あの、お嬢様?」
 困惑しているデイジーに、シャーロットは黒猫を紹介した。
「彼はフィン。私の幼馴染で、親友で、ある意味家庭教師で――猫よ」
「それは見ればわかりますけれども……」
「――クリーチャーめは覚えている。この猫は、ブラック家に代々住みつく猫で、ご主人様の飼い猫で、お嬢様の飼い猫だった。そしてご主人様も、お嬢様も、この猫と会話をしているように見えた」
「実際、そうなのだけれど。『カットゥスマウス』――猫語が理解できて話せる能力者のことをそう呼ぶの。まあ、フィンは特殊だから人の言葉もわかるんだけどね。ブラックの家には時折稀な能力者が現れ出るのよ。『七変化』なんかもたまに出るわ。何せ、古から続く『純血』の家系だから。もっと珍しい『パーセルマウス』が出たっておかしくはない」
「やっぱりお嬢様は偉大な方だったのでございます!」
 興奮するデイジーに、フィンが面白くなさそうな視線を向けた。苦笑いを浮かべてシャーロットは話を続けた。
「いいえ、もっと偉大なのはその猫の方よ。何せ彼は『百万回死んだ猫』ですからね」
「『百万回死んだ猫』?」
 ぴんと背筋を伸ばしてフィンは満足そうにひげを揺らした。まったく、単純だ。
「ええ、何でも古の偉大な魔法使い、マーリンに仕えていたとか。その見返りに、彼は死んでも記憶はそのままに、すぐに生まれ変わる猫になった――というのが本人の弁よ」
「ご説明ご苦労さん」
 フィンが偉そうに言った。デイジーが「まあ!」と口を覆って信じられないような顔でフィンを見つめている。一緒に育ったにも関わらず、彼が自分の目の前での最初の死を迎えるまではシャーロットすら本当には信じられなかったのだから仕方ないだろう。
「それより、早くお前の事情を説明しろ。あの日、一体何があった?――俺はお前を捜していたら何処か狭いところに閉じこめられて、やっと出られたと思ったら、『アバダ・ケダブラ』で一発だったんだぞ」
 フィンは腹立たしそうに言った。シャーロットは息を呑んだ。
「ああ……ごめんなさいね、フィン」
 私が可愛がっていた猫も、容易く殺めたというのね――リドル。
 胸を突かれる思いで、シャーロットはフィンの黒い毛並みを撫でた。シャーロットを気遣って、フィンは慌てて付け加えた。
「いや、お前が気にする必要はない。悪いのはあいつだ。あいつは、何人も殺した……次に死んだ時もあいつの部下のせいだった。巻き込まれたんだ……」
 そして鼻息をひとつ飛ばすと、フィンはびしっと言った。
「それより、お前の話を聞かせろ」
 シャーロットは短く要点を絞ってこれまでの出来事を説明した。フィンはその間一度も口を挟まず黙って聞いていた。
「さすがだな。やっぱりあいつの考えることはスケールが違う」
「感心しないでよ。私がいったい何年無為に過ごしたと思ってるの」
 フィンの常人(常猫?)離れした感想に、シャーロットは少し呆れた。
「それで、とりあえず今はホグワーツに滞在しているの。あそこが一番安全だから。シャーロット、あなたも来る?」
「お前も帰ってきたし、行きたいのはやまやまなんだが──」
 そこでシャーロットは言葉を切った。
「今は、いけない。探してるものがあるんだ」
「探してるもの?――この屋敷に来たのも、そのため?」
「……ああ」
 シャーロットとフィンはじっと見つめ合った。すると会話が終わったのかとふたりのしもべ妖精がおずおずと近づいてきた。
「……クリーチャーめは疑問に思う。何故、今頃になってこいつはこの屋敷に現れた?こいつはご主人様について屋敷を出ていった。血を裏切るあの罪人についていった。それなのに何故?……怪しい。クリーチャーめは怪しいと考える」
 ぶつぶつと内心を漏らすクリーチャーの言葉にシャーロットは興味を覚えた。クリーチャーの言う「ご主人様」というのはアズカバン送りになったシリウス・ブラックという男を差すのだろう。しかし、そのカットゥスマウスと思しき男が、フィンとともにブラックの屋敷を出て行ったと――それは大変に興味深い。
「クリーチャーの疑問ももっともね」
 シャーロットはフィンに尋ねた。
「それで?フィン、あなたはいったい何を探しに来たのかしら?」
「詳しくは言えない」
「その様子じゃ、協力を申し出ても断りそうね」
「すまない」
「その探し物って、シリウス・ブラックに関係あるものでしょう」
 フィンはビクッとして顔と尻尾を上げた。
「さすが、察しがいいな――」
 さらに金の瞳を直視すると、フィンは参ったなあ、とばかりに嘆息した。
「……そう、俺は探しているんだ。無実の罪でアズカバンに送られた、今の主――あの馬鹿野郎を救う証拠を」
 しばらくの間シャーロットは呼吸することを忘れた。
 あの、アズカバンに──無実の罪で──。それが、どんなにむごいことなのか、シャーロットは知っていた。しかも、それが、シャーロットの今の主だと?
「無実、ですって?シリウス・ブラックが?どういうこと?あなたは何を知っているの?」
「今はまだ何もいえない」
 じっと、子どもを叱る直前の母親のように、シャーロットはシャーロットを見下ろした。シャーロットはごまかすように横を向いた。それでも何もしゃべらないので、今度はぐっと顔を近づけてみた。シャーロットほとんど九十度近くまで首を曲げた。約一分間の冷戦が続いた。……シャーロットは諦め、降参の息をついた。
「まったく、とんだ頑固爺猫なんだから」
「俺は今回、まだ三歳だ!」
 そのやり取りを見ながらクリーチャーはまたぶつぶつ言っていた。
「ありえない。あのご主人様が無実だと?ありえない。クリーチャーめは信じない。狂った猫め。騙されないぞ……」
「クリーチャー、ここで見聞きしたこと、一切他人に伝えることを禁止する。いいわね、もし誰かに伝わったらその時はあなたもあそこの壁に仲間入りよ」
 手を首の前で横一直線に動かして脅すと、クリーチャーは途端に態度を改めびくびくしながら頷いた。
「返事は?」
「か、畏まりました。シャーロットお嬢様」
 クリーチャーに釘を刺し、シャーロットはパンパンと手を叩いて終了を告げた。
「さ、とにかく、ここから出ましょう。フィン、あなたは?」
「もう少し、調べたいものがある」
「そう。気の済むまでいるといいわ。何かあったら私のところに来なさいね」
 返事の代わりにニャアと一声鳴いて、フィンは尻尾を振りながらブラック家の暗闇に消えていった。シャーロットたちも長い廊下と階段を通り、なるべく音をたてないようにして玄関ホールを目指した。やっと外に出ると、空は赤く焼けていた。ずいぶん時間が経っていたらしい。
「クリーチャー、この屋敷のしもべ妖精で在り続けたいと願うのなら、せめて玄関ホールくらいは常に人の息ができるようにしておきなさい。これは命令よ」
 こくこくと頷く屋敷しもべ妖精に、デイジーが軽蔑の眼差しを向けていた。
「バスタブが恋しいわね。デイジー、ホグワーツまでお願いできる?」
「もちろんでございます!」
 笑顔の輝くデイジーと、冷や汗だらけのクリーチャーを見比べる。「付き添い姿くらまし」するためにデイジーの手を取りながら、帰ったら駄目元でダンブルドアに交換を持ちかけてみよう、とシャーロットは考えた。






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