13.グリモールド・プレイス十二番地

 パチンと何かが弾けるような音がして、ロンドンのある通りの片隅に人影が現れた。長い黒髪をたなびかせ、その人影――シャーロットは満足そうにあたりを見回した。
「どうもありがとう。助かったわ」
「い、いいえ。お役に立ててデイジーは嬉しく思います!」
 屋敷しもべ妖精のデイジーに頼んでホグワーツから直接連れ出してもらったのだ。ちなみに、マグルに見られないようにデイジーは姿を見えなくしていた。
「後は大丈夫だから。お先にお戻りなさい。私も遅くはならないようにするから」
「いいえ!デイジーはお嬢様の安全を確保しなければなりません!このまま姿は見えないようにいたしますので、どうぞご一緒させてくださいませ!」
 シャーロットは小さく舌打ちした。どうせロンドンまで出てくるなら、マグルの買い物もしてみたかったのだが、それは今度ひとりきりで来る時にしよう。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ?じゃあ、行きましょうか」
 ここからブラックの屋敷に着くまでは話しかけないように、と念を押してから歩き出した。
 久しぶりに見るマグルの街は、やはり見覚えのある景観とは違っていた。立ち並ぶビルや道路を行き交う車の印象も違うし、何より人々の顔が違う。やはり戦争が終わったからだろうか。ピリピリとした空気を感じない。
 通りの名前は変わっていなかったので目的地に辿り着くのは簡単だった。適当に目に入った標識を頼りにシャーロットはどんどん歩いた。そしてついにグリモールド・プレイス十二番地に到着した。
 あたりの家々は窓ガラスが割れ、ゴミ袋がいくつも放置されてあり、臭気がツンと鼻孔を刺激するような場所だった。五十年前空襲を受けた後は瓦礫しか残っていないような所だったが、まだそっちの方がましだったかもしれない。
 十一番地と十三番地が隣り合っているのを確かめると、シャーロットは杖を取り出した。幸い、昼間だからか人の気配はない。
「こちらが、お嬢様のご実家でございますか?」
 隣から声がした。姿を現しても平気よ、と声をかけるとシャーロットに寄り添うデイジーの姿が視認できた。
「マグル除けしてあるのは、相変わらずみたいね。新しい魔法もかかってるけど、多分――」
 シャーロットは親指に歯を当て、ひと思いに噛んだ。鉄の味が口に広がり、指からぽたぽたと血が流れた。
「お、お嬢様!?何をなさいますか!?」
「必要なのよ。ブラックの黒い黒い血が、ね」
 慌てるデイジーを尻目に、血を杖に垂らし何もないはずの空間に杖を向けると、バチバチと雷が走るような音がして屋敷を守っていた魔法が解けた。古びた扉が現れ、十一番地と十二番地を押しのけるようにして家と土地が広がり、その全貌を露わにした。
 シャーロットは石段を上がり、大きなクモの巣が張り巡らされた扉の下で、分厚いほこりに覆われたドア・ノッカーを凝視した。一体何年人の手に触れられていないのだろう。
「屋敷しもべ妖精がいなくなって久しいようね」
「お嬢様、差し支えなければデイジーめが掃除いたしますが……」
「待って。何か仕掛けがしてあるかもしれないから――スコージファイ!」
 シャーロットがハンカチを口に当て「清めの呪文」を杖から発すると、ほこりは消え去り扉は磨かれたように蘇った。古くて傷んでいるのはどうしようもないが、少なくとも随分ましになった。
「さて、はたして未だ有効か否か?」
 杖で扉を三回叩く。すると金属音が重たく響き、カチャカチャと鎖が外れるような音がしてギーッと扉が開いた。どうやらブラック家の人間だと認識されたらしい。
 扉の奥は、昼間なのにただただ闇の中だった。敷居をまたいだ玄関ホールの入り口で、シャーロットは茫然と呟いた。
「――以前から辛気臭い屋敷だとは思っていたけど……」
 何が一体どうしてこうなった。
 暗闇に目を凝らして見た屋敷の中は、見るからに荒れ放題だった。昔は少なくとも――いくらおどろおどろしい蛇の紋章や細工がそこら中にしてあったとしても、掃除は行き届き、きらきらと趣味のよろしくない飾りがあちこちに置かれてあった。妙な匂い――何かの腐ったような、口の中が酸っぱくなるような匂いが充満し、ガサゴソと何かが蠢く音がする。
「うげ……」
 シャーロットは急いで杖を振りランプに灯りをつけた。大きなクモの巣があちこちにあり、巨大なクモが足を動かしていた。ネズミもいるらしく、床のあちこちに糞がある。
「スコージファイ!スコージファイ!スコージファイ!」
 ぶんぶん杖を振りまわし部屋中を何とか人が歩ける状態にする。こんなところが生家だなんて、そう考えただけで鳥肌が立つ!
「デイジー、手伝って!」
「はい、ただいま!」
 シャーロットとデイジーの奮闘で、長い玄関ホールは何とか息を吸える状態まで回復した。ずらりと壁に並んだ肖像画は全て斜めになっていたが、直す気にはならなかった。とりあえず、歩ければいいのだ。剥がれかかった壁紙も擦り切れたカーペットもどうでもいい。
「――何でもでかければいいってものじゃないのよ!」
 肩をいからしてシャンデリアを睨みつけると、ネズミがチュウッと鳴いて逃げて行った。
「玄関ホールでこれじゃ、私の荷物を見つけるまで一体何時間かかることやら……まず探し物ができる状態にしないといけないなんて……」
「デイジーめは頑張ってお手伝いなさいます!きっと探し物は見つかります!」
 深々と嘆息したシャーロットをデイジーは一生懸命励ました。デイジーがついてきてくれてよかったと、心の底からそう思った。
 玄関ホールをクリアすると、次に待っていたのは階段だった。ここから上らないと、かつての自分の部屋へは行けない。
「スコージファイ!ああ、ホント最悪!!スコージ――」
「キャアアア!!お、お、お嬢様――」
 階段の上からデイジーの悲鳴が聞こえてきた。
「く、首が……首が……いやあああ」
「首?」
 デイジーの掃除していたところまで上がってみると、シャーロットにも彼女が悲鳴を上げた理由が理解できた。そこには屋敷しもべ妖精の首がずらりと並んでいる壁があった。
「あー……ごめんなさい、忘れてたわ」
 シャーロットは泣きじゃくるデイジーにハンカチを渡した。
「こ、こんなひどい……えっぐ、ひどすぎます……えっぐ」
「エラドーラ伯母さまっていう気狂いがいてね、癇癪持ちで、ある日思いついたといって、年をとって働けなくなった屋敷しもべ妖精の首を刎ねるという伝統を作り上げたのよ――幸いブラック家はもうほぼ絶滅しているし、そんなことする輩はいないと思うから、安心して頂戴」
 フォローの甲斐なくデイジーは号泣した。
 やれやれと肩をすくめると、突如として別の耳をつんざく金切り声が屋敷全体に響き渡った。
 デイジーも驚きのあまり泣き止み、シャーロットもびっくりして何事かと音の発信源を探した。長い長い悲鳴で、男とも女ともつかぬ声だ。耳を澄ますと、それがかろうじて言葉になっていることがわかった。
「汚らわしい!侵入者!高貴なる我がブラック家を踏みにじる盗人が!賊、屑、塵、卑猥な輩!出て行け、今すぐこの家から立ち去れ――!!」
 それは一階の壁から聞こえてきているようだった。階段を降りてトロールの巨大な傘立てのある向こう――虫食いだらけのビロードのカーテンから、悪意にまみれた呪いの声が上がっている。しわがれ声で、なんともホラーだ。
「うるさいわよ!」
 シャーロットはイライラしながらカーテンを一気に開けた。そして眼を見開いた。
 そこにいたのは、人であって人でなかった。白眼を剥いた老女が、皺まみれの顔を引きつらせて、唾を飛ばして叫んでいる――等身大の肖像画。魔法使いの動く肖像画だった。
「出て行け出て行け、この俗人!獣、人非人!屍を喰らう悪喰!忌まわしい――汚らわしい――極悪人!」
 シャーロットの姿を見ても老女は叫び続け、それに呼応するように他の肖像画たちも叫び出していた。
 ふいに、肖像画の下のプレートが目に入った。そこに書かれた名前を、シャーロットは信じられない気持で眺めた。
「ヴァルブルガ――?」
 そこには自分と一つだけしか年齢の違わない、ヴァルブルガ・ブラックの名前が刻まれてあった。
「――ブリー?」
 愛称で呼んでみても、ヴァルブルガはまったく変わらず悪態をつき続けるだけだった。
 どうして、こんな風になってしまったのだろう。
 ヴァルブルガは気位が高く、ヒステリックで、シャーロットによく突っかかってきた。裏表が激しくて、そのくせわかりやすい性格だった。欠点も多くて問題をしょっちゅう起こす人物だったが――猫が好きで、フィンが欲しいと駄々をこねて困らせられたこともあったくらいで、ほんの少しだけれど可愛い部分もあったのだ。それがこんな、白痴のような老女に成り果ててしまうとは、想像すらしていなかった。
「キャアアアア!!」
 背後でまたデイジーが悲鳴を上げた。振り返ると、階段の真ん中に老いた屋敷しもべ妖精が立っていた。肉付きのいい、豚のような鼻――大きな耳から伸びる白髪――ほこりにまみれ、汚れてだぶついた皮膚。見ただけで鼻を摘まみたくなるような容貌に、シャーロットは顔をしかめた。
「……何事かと思ったら。ご主人様なのか?よく似ているが、女のように見える。第一、アズカバンから出られるはずがない。おお、あんな血を裏切る罪人がご主人様なんて、なんてこのクリーチャーは哀れなことか。ではこの女は誰だ?ご主人様によく似た女――クリーチャーはわからない。ベラトリックス様はお可哀想にアズカバン。お子様はおられない。この女はベラトリックス様にも少し似ている。そして奥様を恐れ多くも愛称で呼んだ。知り合いだろうか?クリーチャーはわからない……」
 屋敷しもべ妖精はこちらにわざと聞かせているような独り言をぶつぶつと呟いていた。その奇行じみた言動にデイジーはシャーロットのローブにしがみついて怯えている。しかし、おかげでシャーロットはこの年老いた屋敷しもべ妖精が、あのクリーチャーなのだと知ることができた。
「クリーチャー、なのね?」
 クリーチャーはぶつぶつ呟くのを止め、今気づいた、とばかりにシャーロットを見上げた。
「申し訳ありません。クリーチャーめは、お嬢様に気づきませんで」
 クリーチャーはそう言ってお辞儀をしたが、低い声で「低俗な侵入者め」と続けた。
「それで、ご主人様によく似ていらっしゃるお嬢様、どんなご用件で?」
 この屋敷しもべ妖精の失礼な言動に、ただでさえイライラしていたシャーロットはブチ切れた。
「――まったく、私の顔はすっかり忘れているようね。屋敷しもべ妖精失格ね、クリーチャー。いつかのクリスマスパーティーで、シグナス叔父様の靴にイカスミを垂らして一週間逆さ吊りにされたのはどこのどなただったかしら?」
 不機嫌を笑みで隠しながらそう言うと、クリーチャーはギクッと身体を強張らせ、よどんだ灰色の瞳をぎょろりと一回転させた。
「な、何故それをご存知で――」
「まだまだあるわよ?そうそう、私が七歳の時の誕生日、うっかり私のドレスを扉に挟んで台無しにしたわよね?純白の、パールの飾りが付いたドレスだったわ。許してあげたけど、もう少しでお兄様に首を撥ね飛ばされるところだった」
「ま、まさか……まさかまさか……そんなありえない……だってあの方は行方不明でお亡くなりになったはず……」
「それが亡くなっていなかったのよね。残念だったわね、期待に添えなくてごめんなさいね?リ――ヴォルデモートの陰謀に巻き込まれて仮眠させられていたのよ。五十年もね。そして目覚めたの。ただ、まさかグリモールド・プレイスのこの屋敷がここまで荒れ放題になっているとは思いもよらなかったけれど――今まで一体何をしていたの?役に立たない屋敷しもべ妖精さん?」
 クリーチャーの顔色が真っ青になっていくのは面白い見物だった。シャーロットはくすくす笑いを止め、冷たく瞳を光らせて言った。
「――理解したのならばこのシャーロットに最大限の敬意を払いなさい。今すぐに!」
「も、申し訳ありません!シャーロットお嬢様!」
 クリーチャーはほこりだらけの床にキスする勢いで平伏した。
 ――これで荷物探し、もとい屋敷の掃除も少しは進展するかしら。少しは役に立ってくれればいいんだけど。
 シャーロットは叫び続ける肖像画たちと這いつくばる老いた屋敷しもべ妖精を見比べながら先を憂いた。






prev next
Top

bkm


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -