12.屋敷しもべ妖精の活用法

 ――頭が重い。
 シャーロットはゆるゆると瞼を開いた。ぼやけた視界に映ったのは、白いシーツと自分の手。
 ……どうしてこんなに頭が重いんだろう。
 ゆっくりと上半身を起こす。そこはダンブルドアから与えられたホグワーツの客室だった。
 髪が少し油っぽい。指通りも悪いし……それに――ネグリジェじゃなくて、制服?
 そこでシャーロットは眠りに陥る前のことを思い出した。
 校長室で、闇祓い局長と会って、真実薬を飲んで、それから……それから?
 ――あ、あの男……!
 サーッと顔から血の気が引いていく。こともあろうにあんな陰険男に抱きとめられて――考えたくなかったが、ここまで運ばれて来たのだろう。
「不覚だったわ……」
 確かに疲弊していたが、自室まで戻ってくるくらいの余裕はあると思っていたのに。真実薬と解毒剤の組み合わせは、想像以上に協力だったらしい。
 何より、スネイプに借りがあるという事実が癪に障る。
 ――どうしていつも間が悪いところに居合わせるのかしら、あの根暗男。
「お目覚めになられたのですか?」
 突然、ベッドの下からキーキー声が上がった。声のした方を見ると、そこにはギョロリとした目玉に、ボロキレを身に纏った小さな身体の屋敷しもべ妖精が立っていた。
「お嬢様はお目覚めになられました!デイジーは校長先生様にご報告をしなければなりません!」
「ちょっと待って!」
 すぐにも「姿くらまし」しそうだった屋敷しもべ妖精をシャーロットは慌てて引き止めた。
「ええと、私が気を失ってからどれくらい経ってるか、あなたご存知かしら?」
「はい!デイジーは賢い屋敷しもべ妖精でございます!もちろんご存知なのです!」
「あら、すごいわ。それで、どれくらい私は寝ていたのかしら?」
「お嬢様は十日ほどお休みなさっていらっしゃいました!デイジーはその間ずっと、お嬢様のお世話をしていたのでございます!」
 ――十日……十日!?
「……本当に?」
「本当に本当でございます!」
 シャーロットは固まった。薬が効きにくい体質であるのに、どうしてそんなに長い間眠っていたのか。それは五十年の眠りが体力を奪っていたからとしか考えられない。
 ――鍛えなきゃ、駄目ね。
 シャーロットは深い深いため息をついた。
「バスに入りたいの。用意はできる?」
「もちろんでございます!では、デイジーはバスルームの支度をした後、校長先生様にご報告に上がりますのです!お食事はいかがなさいますか?」
「……スープくらいなら、入ると思うわ」
「わかりましたです!ではお嬢様がお風呂に入っていらっしゃる間に用意なさいます!」
 屋敷しもべ妖精は張り切ってバスルームに飛んでいき、あっという間に入浴の用意を整えた。シャーロットはベッドから降り、ふらつく足元で浴室に向かった。
「お嬢様はまだ完全に回復なさってはおりません!デイジーがお世話なさいます!」
「これくらい大丈夫よ。それより早くダンブルドアのところへ行きなさい。報告するよう言われているのでしょう?」
「お嬢様……お嬢様は優しいお方でございます!デイジーはすぐ戻って参ります!」
「慌てなくてもいいから」
 それはシャワーくらい静かにひとりで浴びたかったからなのだが、屋敷しもべ妖精は好意的に勘違いしたらしい。もちろんシャーロットはそれを正すような無粋は真似はしなかった。
 屋敷しもべ妖精の姿が消えた後、身に着けていたものを脱いで洗濯籠に放り入れ、シャーロットは浴室に足を踏み入れた。シャワーの栓を捻ると、少し熱いくらいの湯が勢いよく放たれた。それは全身に纏わりつく汗を洗い流していった。
 心地よい飛沫に打たれながら、シャーロットは失った時間のことを考えた。
 ――十日。それは生徒たちがいなくなるまで、もう二、三日しかないということ。早々にハリー・ポッターを見つけなければ。
 また、あまりに体力が落ちていることも問題だった。筋力トレーニングは今日から始めるにしても、運動における私の真骨頂と言えば――。
「……クィディッチ」
 シャーロットは学生時代シーカーを務めていた。その間は優勝杯を一度も他寮に渡さなかったくらいの腕前なのだ。今だって、空を飛ぶことが何よりも好きなことに変わりはない。どうせ身体を鍛えるなら箒を使いたかった。
 だが、愛用していた箒はどうなってしまったのか、さっぱりわからない。リドルが持っていって処分したのだろうか。あるいは、何処かに保管されているのだろうか。それならば考えられるのは――あの家。
 バスタブに沈みながら自分の思いつきに眉をひそめる。
 ロンドン、グリモールド・プレイス十二番地にある、ブラック邸。今はどうなっているのだろう。確かブラック家の生き残りはアズカバンにいると聞いた。ならばあの屋敷は無人のはずだ。
 ――行ってみる価値はあるかしら。
 あまり気が進まないが、こればかりは仕方ない。どんなに嫌いでも、あの家はシャーロットの生家なのだ。
「お嬢様、お食事のお支度ができましてございます!」
 ドアの外から屋敷しもべ妖精の声が響いた。
「今、上がるわ」
 食事を済ませたら、ダンブルドアに訊いてみよう。真っ白なバスローブに袖を通し、シャーロットはバスルームを後にした。
 化粧水やら美容液やらをペタペタと丹念に擦り込み、杖を振って髪を乾かす。それから屋敷しもべ妖精の用意してくれたスープを全て片づけ、ダイアゴン横丁で買ってきた真新しい服に着替えた。ロングドレスのように見えるタイトなローブは、黒い生地の上にところどころ繊細な白いレースが刺繍してあるだけのシンプルなものだったが、生徒のほとんどが黒いローブを身に着けているこのホグワーツでは明らかに部外者だとわかる恰好だった。
 ――目立つのは避けたいけど、制服は今洗っている最中だものね。
「ええと、あなた……デイジーだったかしら?」
「はい、お嬢様!」
 声をかけると、屋敷しもべ妖精のデイジーはスニッチのような大きな目をこちらに向けた。
「ダンブルドアは何か言ってなかった?」
「ええ!『十分によく休み、身体を労わるように』とおっしゃっていました!」
「そうは言っても、休んでばかりじゃ体力は戻らないのよね……」
 悩ましげに頬に手を添える。デイジーは心配そうにこちらを見上げていた。少しの間をおいて、躊躇いがちに口を開く。
「……もしあなたがお暇だったら、頼まれてくれる?」
「何なりとお申し付けくださいなさいませ!」
「ありがとう」
 シャーロットはにこりと笑い、膝を曲げてデイジーの目線に屈みこんだ。
「あのね、ダンブルドアに訊いてきてほしいことがあるの。私の失踪当時残した荷物、特に箒が何処にあるか、尋ねてきてくれる?」
「もちろんでございます!デイジーは一言一句違わずお尋ね申し上げます!」
 すぐにパチンと音だけ残して善良な屋敷しもべ妖精は姿を消した。
 デイジーが戻ってくるまでの間、シャーロットは飾り気のないドレッサーの三面鏡を開き、ブラシでゆっくりと髪を梳くことに専念した。しかしそれほど時間はかからなかった。五分もしないうちに再びパチンという独特な音が部屋に響いた。
「あら、お帰りなさい」
「お嬢様!お言いつけどおりデイジーは質問して参りました!校長先生様はこうおっしゃっていました!『フィニアスが言うことには、グリモールド・プレイスの君の部屋に全てそのままに保管されているらしい。ただ、掃除が行き届いている保証はないそうじゃ』」
「……せっかくシャワーを浴びたのに、汚いところにいかなきゃならないなんて」
「まだ続きがあります!『くれぐれも気をつけて行くように。本当はセブルスが一緒の方が望ましいのじゃが』」
「――断固としてお断りだわ」
「『……ちゃんと戻ってきてくれれば文句は言わぬ』。これで全部でございます!」
 ということは、行ってきて問題ないのだろう。早速今から行ってみるか。
「ありがとうね、デイジー」
 あまり可愛くはないが有能な妖精は、褒められて口元に大きな弧を作った。
 ……そうだ、屋敷しもべ妖精ならホグワーツの中からでも「姿くらまし」できる。彼らは魔法使いたちとは違う系統の魔法を使うからだ。これを利用しない手はない。
「ねえ、デイジー。もうひとつだけお願いがあるんだけれど」
「はい!何でございましょう!」
 ――ロンドンまで連れていってほしいの。
 丁寧な口調とは裏腹に、有無を言わせない笑顔でシャーロットはそう言った。






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