4.肖像画の祖父

 しばらくシャーロットとフィニアスは無言で見つめ合っていた。
 どう対応するべきか、シャーロットは思案に暮れていたし、フィニアスはただただ驚きのあまり声もないようだった。肖像画たちはざわついていたが、フィニアスの近くの肖像画の魔女が彼をつついたらしく、彼は正気に戻り口を開いた。
「お前……今までいったい何処にいた?どれだけ私たちが恥をかいたことか……!」
「それが行方不明になっていた孫娘に対する第一声ですか!」
 非難するようにブロンドの魔女が叫んだ。そうだそうだと賛同する肖像画もたくさんいたが、フィニアスの耳には入っていないようだった。
「申し訳ありません、お祖父様」
 シャーロットはそう言う他なかった。
「どれだけ探したことか……」
 低くなっていく父の声が、シャーロットは不気味でしょうがなかった。思わず目を逸らす。他の肖像画の視線も痛かった。
「どれだけ心配したことか……」
 シャーロットは違和感を覚えた。祖父の声の調子が──何だかおかしい。
 そこでシャーロットは肖像画の父が目を赤くしているのに気づいた。
 ──祖父が、あの祖父が──泣いている?
「お前の父はあれから倒れてしまった。お前の姉も兄もひどく心配して──それにその姿は、どうしたことだ──?」
「フィニアス……」
 銀色の巻き毛の魔女が、優しくフィニアスに声をかけた。フィニアスは涙に気づいたらしく、慌ててローブの袖でそれを拭い隠した。
「いかん、老いぼれはどうも線が緩い……」
 シャーロットはただ呆然として父の肖像画を見ていた。
 あの祖父が──人間らしい温情さなど、すっぽりなくしてしまっているような人間だった祖父が──。
 扉が開き、ダンブルドアが戻ってきた。静かに微笑んでいる。
 ──計ったな。
 そう言いたかったが、シャーロットの口からは言葉が出なかった。
「シャーロット、君が家をあんまり好いてはおらんことをわしは知っておった。だが、家族は家族じゃ。わかるじゃろう?」
 シャーロットはもう一度祖父を見、ダンブルドアを見た。やはり何も言葉にならなかった。
「フィニアス。彼女は秘密の部屋で眠っていたのじゃ」
 ダンブルドアは労るようにフィニアスに声をかけた。フィニアスは途端に眉間にしわを寄せた。
「秘密の部屋でか?いったい、何故?」
「トム・リドル──ヴォルデモート卿の仕業なのじゃ」
 他の肖像画がぴたりと一斉に口を閉じた。シャーロットはその様子を怪訝に思ったが、ダンブルドアは気にせずに続けた。
「ディペット先生、覚えておられるかの?」
「……ああ、確かに彼女はトムともっとも親しい生徒だった──」
「『例のあの人』と?シャーロット、それはいったいどういう──」
「それを今から聞こうと思っておる。──話してくれるな?シャーロット」
「はい」
 返事をすると、一斉に肖像画がこちらに注目した。……居心地が悪い。
「ことは、恐ろしく単純です」
 いつもに増して奇妙な感覚だった。ここにいる人間はシャーロットとダンブルドアしかいないのに、大勢の魔法使いたちが話に入ってくるのだから。
「リドルが、卒業式の次の日、私に魔法をかけた。それだけです」
 簡潔にシャーロットはまとめた。ダンブルドアはじっとシャーロットを見つめている。
「君がそう容易くトムの術中に陥るとはわしには思えないのじゃが」
「それは――私が少なくとも彼を親友と思っていたために――信頼を逆手にとられたという他ありません」
 苦笑せざるを得なかった。自分にとっては昨日のことのような記憶だ。
「杖を見たいと言われて――一応用心してリドルの杖と交換したのですが、それさえも偽物で――その隙をやられました。闇祓い見習い失格ですね」
「だが、私はその日、確か――門のところで君と話をしたんだが──?」
 ディペットが訝しげに尋ねた。シャーロットはあっさりと答えた。
「それは、恐らくリドルです。彼なら私に成りすますのも容易い。きっと、ポリジュース薬を使ったのでしょう」
「では何故『例のあの人』はお前に魔法をかけたのだ?」
 先程のしおらしい様子は何処へやら、フィニアスがぶっきらぼうに訊いてきた。シャーロットは肩をすくめた。
「さあ?確実なところは、わかりません。けれど──」
「君が眠っていた棺には、こう書かれていたよ、シャーロット。『ここに眠るは最も高貴な血を持つ者 彼の者を目覚めさせる者 最強の闇の魔法使いと恐れられし我のみ』──とな」
 シャーロットは鼻で笑った。全く、自信過剰な男だ――実際に私を見つけたのはダンブルドアだろうに。
「トムが、まさかそんなことをしていたとは……」
 悲しそうにディペットは繰り返した。無理もない。彼はリドルを信頼し、また慕われていると思っていたのだ。
「では、アルバス。私が質問をしても?」
 黙っていても無駄だと言わんばかりに、シャーロットは鋭く尋ねた。ダンブルドアはもちろん頷いた。
「トム・マールヴォロ・リドル──いいえ、今はもうヴォルデモートですね──彼は、私が眠っていた間、何を?」
「……暗黒の時代じゃったよ」
 ダンブルドアがゆっくりと話し始めた。
 卒業後、リドルが姿を消したこと。
 数十年後、彼がかつての面影を完全に捨て去って、ヴォルデモート卿と名乗り現れたこと。
 ヴォルデモート卿が純血主義を唱え、多くの魔法使いたちが彼を支持したこと。
 やがてヴォルデモート卿が本性を現し始め、何人もの魔法使いたちが殺されていったこと……。
「だが、彼はついにしくじった」
 ダンブルドアの瞳が鋭く光った。視線を逸らさず、シャーロットは話の続きを待った。
「トムはハロウィーンの夜、ある一家を殺害しに自ら出向いた。そこで、彼は殺そうとした赤ん坊にその魔法を跳ね返されたのじゃ。彼は死にかけた。そして逃亡し、魔法界に再び朝が訪れた」
「彼が?たったひとりの赤ん坊に?」
 シャーロットは驚いた。彼の潜在能力は在学中からずば抜けたものがあった。そしてそれに何十年も磨きをかけたならば、さらに凄まじいものになっていたに違いない。その彼が、生まれたばかりの赤ん坊に敗れたというのか?
「信じらぬかもしれんが、そうなのじゃ。その子の名を、ハリー・ポッターという」
 ハリー・ポッター。
 シャーロットはその名前を暗唱した。
 あのリドルを……私がどうあがいても超えられなかったリドルを、倒した子。
「そう。そうですか。──では、リドルは?」
「彼は生きておる。復活しようと、必死になっている」
 シャーロットは誰にも悟られないよう安堵した。
 彼の死を望んでいるわけではない。むしろ、シャーロットが彼に求めていたのは──。
「昨年も、そして今年も──彼は復活の為に様々な手段で仕掛けてきおった。そう、まさに、灯台もと暗しじゃの。わしも、まさかあの秘密の部屋に君がいようとは……」
「秘密の部屋?あの部屋が、開かれたのですか?」
 思わず声が大きくなった。しかしシャーロットは瞬時に理解した。ダンブルドアが決して単独ではたどり着けない場所。そして彼の盲点となりえる場所。それは、あの秘密の部屋以外にありえない。
 が、ひとつ腑に落ちない。どうしてダンブルドアが秘密の部屋を発見するに至ったのだろう?
「リドルは、今年、秘密の部屋を再び開いたのじゃよ。自身の日記に込められた記憶をもってしてな。他にも何かないかどうか確認しにいったら──君が眠っている部屋を発見したのじゃ」
「では、バジリスクを?」
「ああ、バジリスクの死骸も見た。いやいや、実に巨大な蛇じゃった。彼はたいしたものじゃよ」
「──?」
 シャーロットは首を傾げた。成人した魔法使いでさえ、例え複数でかかってもあのバジリスクには手を焼くだろう。だが、今の言い方では、ダンブルドアが秘密の部屋に行った時にはすでにバジリスクは死んでいて、誰か別の──ホグワーツにいる人間が、倒したように聞こえる。まさか、とは思うが──。
「……先生がバジリスクを倒したのではない?」
「そうじゃ。わしではない」
 ダンブルドアは事もなげに答えた。
「去年も、トムはここに預けられた賢者の石を手に入れようとしたが、バジリスクを倒したのと同じ者の手によってそれは阻まれた──ハリーにな」
「奇跡的な運の良さよ!」
 フィニアスが甲高い声で言った。
 いや、運ではない。あのリドルの企みから二度三度も逃れることができるとは。それは運だけではなく──。
「どれほどの使い手なのですか?その、ハリー・ポッターという少年は」
「普通の少年じゃ。まあ、少ーしばかり規則を無視する傾向があるがの」
 ダンブルドアは「まあわしも人のことをいえたクチではないのじゃが」と軽く付け加えた。反省しているのではないらしく、少しだけにやにやと長いひげをいじっている。
 ──何か隠している。シャーロットはそう直感した。そして今のところ彼がそれを素直に打ち明ける気がないらしいということも。
「さてさて、シャーロット」
 ダンブルドアがいくぶん話の調子を変えた──察しのいいことだ。
「あの部屋の封印が解けたことは、トムにもわかったじゃろう。それは、彼が今以上に必死で力を取り戻そうとすることを意味する。……そして、彼が戻ってくれば、君を全力で取り戻そうとするじゃろう」
「そこで、じゃ。──君はどうしたい?」
 ダンブルドアの瞳から発せられる強い光に、一瞬シャーロットは魅せられた。ごくりと喉を鳴らしてから、慎重に言葉を選び始める。
「私……は……」
 ──私に何ができる?何をしたい?
「──リドルに会いたいです。そして……」
 一呼吸置く。
「拳一発、あのふざけた優等生面にお見舞いしてやらなきゃ、気が済みませんね!」
 シャーロットはふんっ、と荒い鼻息を飛ばした。
 ──全てが一からやり直しとなってしまった今、私を縛るものは何もない。
 ディペットとフィニアスは、思わぬシャーロットの言動に、口をあんぐり開けていた。
「……あれは、あれは本当に、私のシャーロットなのか?」
「珍しく意見が合ったなフィニアス……私の記憶に寄れば、彼女は礼儀正しく聡明な女生徒の鏡だったはずだが……」
 ダンブルドアはしばらく目をぱちくりちせた後、
「君は、きっとグリフィンドールでもうまくやっていけたと思うんじゃがのう」
と言ってフォッフォッフォッと心底愉快そうに笑った。
「それならば、じゃ。当面は、ここ、ホグワーツにいると良い。ここまでは、そう簡単にトムも手出しはできぬ。また、君の存在は魔法省にも知らせねばならない。その取り調べも、ここで行えるように手配しよう。そして、これは、もし君が良ければの話なのじゃが──」
 ダンブルドアの瞳が上目遣いにこちらを見た。青い瞳がキラキラとしている。何を言い出すつもりなのだろう。少々構えてシャーロットは続きを待った。
「実はここ数年、少々人員不足気味でな。君はまだ若過ぎるから専任教授を任せるわけにはいかないのだが――近年は理事会や保護者がそういうことにうるさくてのう──補佐に回ってくれる助教授がいれば、何かと助かる」
 ホグワーツで働く。それは考えてもみなかった選択肢だった。考えてもみなかったが──。
「もちろん、昔の志が変わっていなければ闇祓い見習いとして働くことを止めはせぬ。推薦状も書こう」
 ずっと、闇祓いになりたかった。そのために、努力をしてきた。それは、なんのためだったろうか?すでにグリンデルバルトはダンブルドアによって倒されている。持っていた情報は全て時代遅れになってしまった。そして何より、今闇祓いになったとして戦う相手は――他の誰でもない、リドルなのだ。
「……少し、考えさせて下さい」
 気づくと、シャーロットはそう口に出していた。
「もちろんじゃ」
 ダンブルドアはシャーロットの迷いを全て知っているかのように頷いた。






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