雨の日、一つの傘 愁生が風紀委員の仕事を終えて教室の壁に掛けられた時計を見てみればとっくに下校時刻を過ぎており、今日もまたこの時間か、なんて思いながら多少うんざりしていた。 それもそのはず、他にもいくつかの委員を掛け持ちしており、まして弓道部にも属している愁生にとって放課後というのは非常に忙しいもので、授業が終わったからといってそのまま家に帰れるわけでもない。 委員会にしても弓道部にしても結局最後は自分で選んで入ったのだから今更文句を言うわけではないが、本当に心の底から面倒くさく、どうでもよくなる時がある。 それは弓道で的に狙いを定める際にピーンと張りつめていた空気が弾けた時。 委員会で出されたいくつかの意見が折り合わず膠着状態が長く続いた時。 弓道でも委員会でも特にこれといった用事もないのに話し掛けられ、しかもその内容が至極どうでもいいものであった時。 まだ他にもたくさんあるが、元々他人との関わりに重要性を見いだせない愁生には、このどれもが十分すぎる威力をもつほどに面倒くさくて、どうでもよい事柄なのだ。 (まあいい。もう遅いからさっさと帰るか) 面倒だった委員会も終わったし、気分を切り替えるためには今すぐにでも黄昏館に帰るべきだ。 鞄に必要な物を入れて帰りの用意をしつつ、教室の窓から何気に見た外の景色は雲に覆われて薄暗く、しとしとと降る雨が梅雨という時期を嫌というほどに表している。 どうやら朝から降り続いていた雨は当分は止みそうもなく、今も校庭の砂を濡らしている。 愁生は誰もいない教室を出て廊下を歩きながら、今日も一日無事終えたなと振り返りつつ、階段を下っていく。 すると一階に誰よりも知っている人間が下足室と校庭を繋ぐ扉の傍に一人立ち尽くしているのが見えた。 「焔椎真?」 愁生と後ろ姿の人間との距離は教室一つ分ほどあるので呟いた声はその人には届いていない。 後ろ姿しか分からないが金色の髪、身長、体つき、立ち方、纏う空気、どれをとっても焔椎真としか考えられない。 いや、そんなふうに当て嵌めなくても愁生にはこの人物が焔椎真である事は明白なのだ。 前世からのパートナーだし、愁生にとってたった一人だけだ。 こんなに眩しくて鮮やかな色で彩られた人間というのは。 他の誰もこんなふうに輝いてはいない。 色がなかったり褪せていたり、薄くぼんやりしていたり。 焔椎真だけがこんなにも愁生に色を与えてくれる。 「焔椎真」 突然後ろから声をかけたから少し驚いたみたいだったが、振り向いた焔椎真は「お疲れ、愁生」と笑みを浮かべて、今まで委員会で仕事をしていた愁生を労ってくれた。 「お前、どうしてまだここにいるんだ? とっくの昔に下校時刻は過ぎてるぞ」 「それは分かってるんだけど傘を忘れちまってさ。どうやって帰ろうかな、なんて考えてたわけ」 「お前なあ、昨日の天気予報で雨が降るから傘は必要って言われてたじゃないか。それにしても夕月や九十九達に入れてくれって頼めば良かったじゃないか」 「まあでもあいつらの邪魔しちまうのも悪いしよ」 邪魔というのは九十九には十瑚がいて、夕月にはルカがいるという事を言ってるんだろう。 確かにパートナーという括りはあるが、きっと夕月や九十九達は焔椎真が困っていたら助けてくれる。 それは焔椎真も分かっているはずだから、今はもうこれ以上言わない。 そのかわり。 「おれのに入っていくか?」 「いいのか?」 「当たり前じゃないか」 「悪いな、愁生」 九十九と十瑚、黒刀と千紫郎がツヴァイルトで、夕月とルカはツヴァイルトではないがお互いをかけがえのない存在として位置づけている。 ならばそれは焔椎真と愁生も同じで、お互いがお互いを誰よりも大切な者として心に深く刻んでいる。 だからこんな雨降りに一つの傘に入りながら家に帰るなんて小さい頃以来だけど、不思議と恥ずかしいという感情なんてどちらにも湧いてはこなかった。 ただ、できるならほんの少しだけでも構わない。 無邪気に一つの傘に肩を寄せ合って入っていた、あの幼い頃の時間を今だけでいいから与えてほしい。 2010/6/27 |