怪我の功名






「つ……っ!」


今まで黙々と作業をしていた焔椎真が小さいが痛みを伴う声を出したので、同じ班の人間は反射的にそちらを向いた。







* * * * *


今日焔椎真のクラスは授業でカレーを作る事になっていた。
そのための班の組み方だって名前の順という至極分かりやすいもので、焔椎真からすれば班決めに気を遣わなくて良いのでラッキーだなんて思っていて。
けれど反対に名前の順で焔椎真と同じ班になった人間は内心ガックリしていた。
それもそのはずだ。
普段から人を寄せ付けず周りから浮いた存在の焔椎真は近寄りがたいものとして、クラスだけではなく多くの者から腫れ物として認識されている。
だから各班ごとにカレーを作る事になっても同じ班の子達はおどおどしていたし、料理が苦手な焔椎真としては全くやる気が起きなかったが、かといってサボっても得にはならず成績が下がるだけなので仕方なく人参の皮をちまちま剥いていた時だ。
同じ班の男子がぐつぐつと音をたてる鍋に驚いて、慌てて火を弱火にしようと身体を咄嗟に動かしたのがまずかった。
横で人参の皮を黙々と剥いていた焔椎真に身体が当たってしまい、持っていた包丁はザックリと焔椎真の左手の指に一筋の赤い線を刻んだ。


「つ……っ!」
「えっ?」


男子生徒が焔椎真に当たったと気付いた時にはもう遅かった。
じんじんと焼けるように痛みが襲ってくる指からは血がどくどくと流れていて、焔椎真のエプロンやリノリウムの床にぽたりと赤い滴が流れ落ちている。

「うわっ、蓮城すまん! 本当に悪かった!」
「いや、別にたいした事ない」

痛くないわけじゃないが男子生徒がわざと焔椎真に怪我をさせたんじゃないのは蒼白になった顔を見ていれば分かる。
だから気にするなとの意味を込めて大丈夫だと言ったが、ますます男子生徒は縮こまって謝罪の言葉を何度も口にした。
同じ班の子達も心配そうにしてはいるが焔椎真達の間には入りたくなさそうなのが見て取れたので、元凶である自分がこの場を去った方が丸く収まる気がして。

「俺、どうしよう……」
「だからもういいって。それより保健室行ってくるから後の事は頼んでいいか?」
「あ、ああ……分かった」

血が流れてるのにいつまでもここにいては血の拭き取りもカレーを作る事もできなくなるから皆に迷惑だろうと思って教師への伝言や片付け、人参の皮剥き諸々を頼んで焔椎真は教室を後にした。






「面倒だなあ」

早々に去った方が良いと思ったので保健室に行くなんて言ったが、いざとなったら保健室に行くのも面倒になってしまって。
かといってまだ授業中なのにうろうろして誰か教師に見咎められるのも賢いとはいえない。
いまさら皆の元にも戻りにくいしどうしたもんかななんて一人ごちていたら、ふと前方に見知った人間の気配を感じて焔椎真は顔を上げた。
いや、見知ったなんてそんな簡単なものじゃないが、まさか授業中に会うとは全く予想していなかったのだ。



「焔椎真?」
「愁生。なんか珍しいな、こんな所で会うなんてさ。授業中に何してるんだ?」
「何って……、急遽うちのクラスが自習になったって知った風紀委員の顧問から校内の見回りをしてほしいって頼まれたんだ」

「授業中にまさか生徒を駆り出すなんてな」、なんて悪態をついた愁生は、自分と同じように焔椎真も授業中に廊下に出ている事にはたと気が付いた。

「ところでお前はどうしてここにいるんだ?」
「いや……、まあ、なんだ。平たく言うならサボり?」

はははっと適当に笑ってみせて怪我した左手をそろーっと気付かれないように身体の後ろに隠そうとした焔椎真だったが、目聡い愁生にきっちり見られてしまった。

「何がサボりだ。嘘吐いてもバレてるぞ。いいから今隠したその手見せてみろ」
「いや、全然大した事ないんだって」
「大した事ないかあるかは見てからだ。バレてるんだから早く出せって」

こういう時愁生はとても頑固だ。
ああだこうだ言い合ったとしてもちっとも引く気がなさそうなので観念して焔椎真は左手を差し出したが、指先から流れる血を見た愁生は一気に眉間に皺を寄せた。
ああ、やっぱり見せたのは失敗だったなと焔椎真が内心で溜息を吐いたがもう遅い。


「……これ、どうした?」
「いや、俺の不注意だから」
「だからどうしたって聞いてるんだ。まさかお前また喧嘩したのか?」

焔椎真の左手を胸の高さまで持ち上げながら普段より若干低い声で尋ねてきた愁生に、言わなきゃいつまでも二人共ここで立ち尽くしたままだなと場違いな考えを起こしていたが、「焔椎真?」と再度名前を呼ばれたので慌てて我に返った。
どうしたってこの幼なじみからは逃げられないのだ。


「……今日家庭科でカレー作るはずだったんだけどさ、人参の皮剥いてたら俺の不注意でクラスの奴にぶつかっちまって切っただけだよ。そんで保健室行くって言って教室出てきた」
「そうか。ぶつかられたのか。で、そいつわざとか?」
「……は? いやいやっ! ぶつかったんだって! 俺から!」
「大体まな板の前で皮剥いてるだけなのに不注意で人にぶつかるなんてありえないだろ。うろうろしながら皮剥いてたのか?」
「……いや〜」

言葉の応酬を繰り返していたが痛いところをあっさりと突かれて焔椎真は冷や汗をかいた。
どうやら愁生には全て見通されてるのか氷みたいな冷たい笑みを浮かべている。

「……確かにぶつかられたけど本当にわざとじゃないんだ。運が悪かったって感じだ、お互いに」
「そうか。お前がそう言うならきっとそうなんだろう。信じるよ」

正直に言えばやっと分かってくれたみたいで、焔椎真もほっと安堵の息を零した。
元々戒めの手は回復力が高いので今回みたいなのは大した事ない傷なのだけれど、そんなのは関係なく、愁生は焔椎真が負った怪我や傷に対してやけに過保護に接してくる。
今だって焔椎真が止血のためのハンカチを持ってないと言ったら「仕方ないな」と呆れつつも、すごく丁寧に傷口にハンカチを巻いてくれた。

(こういうの、やっぱいいよな)

なんだか嬉しくなってじっと見ていたら「何笑ってるんだ」とぴしゃりと言われてしまい、自分が知らずのうちに笑っていた事に気付いた。

「これありがとな」

止血された手を翳して愁生に礼を言うと、「あんまり心配かけさせるなよ」と言われてひどく申し訳ないなと思う反面、実はこうやって気に掛けてもらえるのが単純に嬉しいのだ。
焔椎真は自分に対して本当にイイ性格してるよな俺、と己の性格を振り返り、愁生に気付かれないように苦笑した。









2010/6/2


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