深遠





シャワーを浴び終えてバスタオルで濡れた髪を多少乱雑に拭いつつ、愁生が自分の部屋のドアを開ければ、そこにはいつもの事と言えばいつもの事、焔椎真がベッドに寝転がり、漫画に目を落としていた。

「焔椎真……、またお前は俺の部屋に来て」
「ま、いいから、いいから。細かい事は気にすんなよ」
「何が細かい事だ。お前にも自分の部屋があるだろう」

悪びれた素振りを欠片も見せない焔椎真も、そんな焔椎真に悪態をつく自分というのも呆れるくらいよくある出来事で、今更どうという事もない日常の一コマだ。
けれど終わりの見えないような戦いに身を投じ、生死の境目すら行き来する自分達からすれば、かけがえのない日常こそ何にも代えがたいもので、それが焔椎真だからこそ、より失いたくなくて。


「なあ、愁生」
「何だ、急に改まって」


ベッドに寝転がった体勢から身体を起こして愁生に向き直った焔椎真は、今まで見ていた漫画を横に置いてじっと目の前の相手を見つめる。
真剣で真摯で強い意志を宿した焔椎真の両の瞳。
一文字に引き結んだ唇から一体何を言いだすのか予想だにしなくて、だけど逸らす事なんて少しもできなくて一瞬だけ愁生はたじろいだが、他の誰よりも深い絆で結ばれているパートナーの声に耳を傾けないなんて選択肢は、最初から愁生にはない。
水分を染み込ませて冷たくなったバスタオルを首に掛け、ベッドの端に腰を下ろして焔椎真に向き合えば同じ高さにきた視線が絡み合う。


「愁生、お前、手……」
「……っ!」


声と共に焔椎真は愁生の手の甲に自分の手の平を重ねようとしたので、触れ合う直前に咄嗟に腕を引いてしまった。

「え?」
「あ……、焔椎真」

すぐさま冷静になった愁生の頭はしまった、やってしまった、こんな挙動不審な態度じゃ焔椎真を怒らせてしまうだけだと考えたが、嫌な予感はやはり当たっていた。
案の定焔椎真はむっとした顔を隠しもせずにベッドから下りて、愁生に背を向けた。

「別にいいさ。お前が嫌なら無理にとは言わないけどな」
「嫌だなんて、そんな事」
「愁生……」

嫌だなんて少しも思うわけがないじゃないか。
誰よりも、それこそ己の命よりも大切なパートナーで、生きる意味をくれる人。
真っ暗な自分の中を照らしてくれる圧倒的な太陽のような光。
この一筋の光明を失ってしまったら、きっと自分が自分でなくなってしまうほどに。



そんな唯一の存在なんだ。
お前は。



「焔椎……」
「分かってるよ」

愁生の言葉に被せるようにして囁いた焔椎真の声はやけに澄んでいて尚且つ力強くて深くて、たった一言とはいえど、ふっと心が軽くなるのを感じていた。
ああ、これこそが「神の声」の持ち主である焔椎真の真価なんだと思えるような。

「言わなくていい。吐き出さなくていい。お前が何を考えてるのか。でも一つだけ。俺のパートナーは誰でもないお前なんだ。今まで一番傍にいたのも、これからだって一番傍にいたいのも。たくさんのものを一番共有していきたいのもたった一人。俺にとってそれはこれからも変わらないんだ」

身体を返した焔椎真の声と視線の先には愁生がいて、立ち尽くして、そして驚いた表情を向けている。
焔椎真にすれば普段見ない愁生の表情を見るのは楽しいが、さすがに十秒近く経っても石みたいに固まったまま全く動かないものだから、可笑しさ七割、心配三割といったところになってしまった。
その可笑しさ七割に任せて焔椎真がぷっと吹き出したら、やっと石化が解けた愁生は口をパクパク金魚みたいに開けていて。


「お前!」
「何だよ?」


愁生にしてみれば焔椎真のさっきみたいな直球の言葉はどうにも久々だった。
純粋で正直で、植物が太陽に向かってすくすくと育つように真っ直ぐな焔椎真。
だから普通なら照れてしまう事でも臆面もなく言える。
それが焔椎真の心からの偽りない言葉だから。



強く求める相手に求められるのは気持ちがいいし心が浮き立つし軽やかになる。

だけど自分ばかりが相手を想っているんじゃないかと栓無い事で悩んでしまう時があって、たまに衝動みたいにどす黒いまでの焔椎真へ向かう想いが身体と心を突き上げてしまう。




焔椎真

焔椎真

焔椎真




冬の寒い日に冷たいシャワーで自制しなければならないくらいに、おれをお前への想いでいっぱいにさせないで。




下手したら狂ってしまうよ――








愁生が病みまくりですね(笑)

2010/5/20






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