日常は大切に 1 ※8万HITリクエスト1 「愁焔で学園物」 しくじったという言葉は今みたいな時に使うものなんだな、と焔椎真は旧校舎の誰も使っていない教室に身を寄せ、ガラスでざっくりと切った自分の手を翳してぼんやり見つめていた。 事の発端は今思い返してみても単純すぎるくらい単純なものだった。 すでに授業も終わっているし今日は夕月の護衛もないから、ゲームセンターでも寄って帰るのを楽しみにしていたら上級生らしき人物が数人寄ってたかっていきなり因縁をつけてきたのだ。 しかも酷い言い掛かりで。 金色に染めた髪が気に入らないとかピアスをたくさん開けて何様のつもりだとか、指輪まで嵌めて粋がってるのかとか、焔椎真にとっては実にくだらないものだったしやり返すと後が面倒なので言ってやったのだ。 殴りたければ殴ればいい、と。 そんなふうに挑発すれば相手を余計激昂させるのは当たり前で、結局は誰も見ていない場所に連れていかれて力の加減さえされずに一方的に殴られたのだ。 「いてて……」 唇の端が痛かったので親指を当ててみたら紅い液体が付着した。 ああ血か、どうりで痛いわけだと指先を舐めてみればほんのり鉄の味がして眉間に皺を寄せる。 たまにこうやって喧嘩を売ってくる人間がいるのだ、学園内でも街中でも。 人間が好きだしデュラスからも守りたいと思うけれど、喧嘩を吹っかけてくるような、そういう人間達を見ているとたまに、本当にたまにだけど煩わしくなりかける。 そんな時はかぶりを振ることで落ち込み気味で嫌な考え方をする自分の思考を切り替えてみたりしている。 「帰るかな……」 いつまでもこんな場所にいる理由は何もない。 元々誰も来ない旧校舎の裏手で殴られたから近くにあって鍵の掛かっていないこの教室に忍び込んだだけなのだ。 学校指定のカバンを肩に掛けて教室を後にし、校門へと続く道を歩いていく。 周りは「あの人なんで殴られた傷があるの?」だとか「痛そう」だとか「また喧嘩したんだ、蓮城」なんてひそひそと小声でこちらに視線を遣りながら話しているが、注目を浴びるのも嫌で早足になりかけた時だった。 「焔椎真」 誰よりもよく知る声が自分の名前を呼んだので反射的に振り向いたら、やっぱりそこにいたのは愁生だった。 幾分か怖い顔をしながらも焔椎真の身体の状態を一通り確認した愁生は、何があったのか聞きたそうにしながらも周りを見て場所が悪いと感じたのか、ぐいっと焔椎真の手首を掴みどこかへ向かって歩き始めた。 「ちょ……、おい、愁生!」 「黙っていろ」 「……」 どすのきいた声に焔椎真は次の言葉を継ぐのを早々に諦めた。 こうなっては愁生は頑として譲らないのは今までの経験で嫌になるくらい熟知しているのだから、歯向かっても無駄な労力を費やすだけになる。 連れていかれる最中、愁生に何て言い訳するかな、と今から自分の身に起きるであろう災難を呪いつつ、あっさりと見つかった己の浅はかさに焔椎真はうんざりしていた。 「……で、何があった?」 「ってか、一体どこから俺のこと聞きつけたんだよ? お前今日部活だろ?」 「そうだ。弓道部の練習してたら祗王の関係者の教師が言いに来てくれたんだ。お前がボロボロの姿で帰ろうとしているってな」 「余計なことをっ」 お節介を焼いた祗王の関係者に舌打ちをするが今更どうにもならない。 愁生はじっと焔椎真を見つめながら何があったか話すのを待っているが、そのなんともいえない空気に焔椎真は早速挫けそうになっていた。 「別にたいしたことないって」 「その言い訳は通じない」 「本当に大丈夫だから気にすんなよ」 「馬鹿言うな。お前が怪我してるのに気にしないなんておれができるわけないだろ」 これじゃいつもと同じだ。 怪我をして心配されて、それでも似たようなことがまた起きたら怪我をして帰ってくる。 どうせこれからも喧嘩は売られるだろうし理不尽なものに対して頭を下げるつもりもないからきっと相手からは殴られるんだろう。 そういう未来がすぐに思い浮かんでしまうのはこれまでもずっと繰り返してきたから。 ずっと繰り返してきてそのたびに愁生に心配させているという申し訳なさがある。 ツヴァイルトは身体が丈夫なんだから気にしないでくれたらいいのに、優しいパートナーは一番に心配してくれる。 別にいいのに。 「あー、愁生。それよりさ、最近なんか変な感じしねえか?」 「話をすり替えるな」 「そうじゃねえって! なんかこう……、誰かに見られてるっていうかよく分かんねえけど、そんな感じがするんだ」 「デュラスか?」 最初は不審そうな顔をしていた愁生だが、焔椎真の表情に嘘が含まれていないのを感じ取った愁生は喧嘩のいきさつは一端横に置いておくことにして、話を聞く態勢に入った。 「デュラスが絡んでるみたいなそういう危ない感覚はしねえんだけどな。うーん。なんか俺もよく分かんねえ。悪い! 今のは忘れてくれ!」 「いや、焔椎真が何か感じるならそういうことなんだろ。デュラスじゃないみたいだけど油断はするなよ。大体それでなくても普段からお前は喧嘩に巻き込まれてるんだからな」 「分ーかってるって!」 「何かあったり分かったりしたらちゃんと言えよ? この怪我みたいに隠したりするなよ?」 「う……、」 過保護っぷりをいかんなく発揮する愁生に口うるさいなあ、なんて内心思いつつも一番大切にしているパートナーから同じように大切にされるのはやっぱり嬉しいものだ。 へへっと笑ったら案の定「何笑ってるんだ」と眉をつり上げられ、反対に焔椎真は眉を下げて少し控えめに「なんでもねえよ」と述べるに留まった。 「なあ、俺もう帰りたいんだけどそろそろ帰っていいか?」 「まだお前の怪我のこと聞けてないんだけどな」 「もう勘弁してくれよ〜。本当頼む!」 「仕方ないな。今は聞かないことにしておくよ」 「やりぃ!」 どうせまた後でしつこく聞かれるんだろうなと思えば多少うんざりしないでもなかったが、帰りたいのもあったから愁生の追及は後にすればいいやと楽に考えていた。 黄昏館に帰った焔椎真は愁生から幾度も怪我のいきさつを聞かれることになり、もういい加減にしてくれ!と叫びたくなったとか。 2010/11/10 |